第26話 覚醒

 王太子がはっきりとリース公爵の名前を出した。それはもう後戻りできない決裂を意味する。


 これまで黙って聞いていただけだった公爵が、ギラリと目を光らせる。彼は身体の前で組んでいた腕を解き、初めて口を開いた。


「私の名が出てくるとは、思いもよりませんでした。王太子殿下」


 低くよく通る声は支配者の威厳を持ち、聞く者を畏怖させる。しかしキルデベルト様は気圧される事なく、真っ直ぐ彼を見返した。


「公爵は王宮の厩に一体何の御用があったのでしょうか」

「たまたま馬を見に行ったら、御者が馬を連れて行くところだったので、どこへ行くのか尋ねただけだ」

「御者は馬と共に亡くなりました。ですが、私の騎士は貴方が御者に何かを手渡していたのを見ています。金色の馬具……それは轡だったのではないですか?」


(どうした?ノア)


 私の身体がカタカタとふるえているのに気付いて、アルバート様が私を覗き込む。けれど私は返事をすることができなかった。

 リース公爵の声、朗々と自信にあふれるその声は、私の心臓を掴み上げ引きちぎるような記憶を呼び起こしたのだ。





     *******





 激しくいななく馬の声と、焦る御者の叫び。あり得ないほどに揺さぶられる馬車の中で、母様は私の身体を抱き締める。

 狼狽えた父様の御者を呼ぶ声。その次に私を襲ったのは、奇妙な浮遊感と全身を叩きつけられた衝撃だった。


 どれくらいの間、気を失っていたのか。押し潰されるような重みと息苦しさで意識が戻る。助けを求めて声を出そうとしたが声にならず、さらに肺から空気が抜けて苦しくなった。

 息が吸えない。助けて……声が出ないの。すぐそばに人のいる気配がするのに。

 声が聞こえるのに……。


『あったか?』

『はい、こちらに』

『すぐに燃やせ。手紙を奪われるなどあり得ぬ失態だぞ』

『申し訳ありません。兄が私を疑っているとは思いませんでしたので』

『甘い。どうだ、死んだか』

『……大丈夫でございます』


 なんの話をしているのだろう。

 苦しい。助けて。

 身動きがとれないまま這いつくばって動こうともがく。

 うう、と獣の唸り声のような息が漏れた。


 私の呻き声が彼等に聞こえたのか、不意に上半身の重さがとれる。息ができるようになった私はゴホゴホと咳き込んだ。



『子供がいる……娘も乗っていたのか』

『なんですと?』

『死にかけだ』


 私の身体の上に乗っていた瓦礫を持ち上げたらしき人物が、私を覗き込んで呟いた。

 ———これで、助かる。

 そう思った私の耳に、思いもよらない言葉が響く。


『始末しておくか』

『バレませんか?』

『木で打ち殺せばわかるまい』


 そう聞こえた後に、首筋に激しい衝撃が落ちた。


『っあ!!』


 容赦のない明確な殺意。彼等は私を殺そうとしている。

 何故?この人達は一体誰?



 頭を打たれると死んでしまう!

 二度目の殴打の来る予感がして、私は出ない声で思い切り叫んだ。


『——っ!!』


 バチバチッという音と、砕け散った木片が私の上に降り注ぐ。


『ぎゃっ』


 私の周囲がチカチカと白い光に包まれた。パリパリと何かが弾ける音がして、私を襲う男達の狼狽える声が聞こえる。


『今のはなんだ?』

『わかりません。手を火傷しました』

『早く始末しろ』

『ですが……』


 その時、遠くから馬のいななきが聞こえた。


『こっちだ!』

『馬車が落ちたのはここか!』


 数頭の馬のひずめが土を削る音が止まり、誰かが地面に飛び降りる足音がする。たくさんの人間がこちらへと走って来ている。


『チッ、行くぞ』


 見つかると困るのだろう。

 二人の男は慌てた様子で走り去った。


『これは酷い。ご夫妻は無事か?』

『わかりません。ですがこれでは……』


 話し声はだんだんと近づいて来る。

 再び私は奈落の底へ落ちてゆく。



『だめだ……亡くなっておられる』

『お二方ともか』

『はい』




 ああ、これは……

 この記憶は…………


 私が封印していた、〈覚醒〉の瞬間だ。

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