第22話 記憶
いつまで彼女は眠っているのだろう
シーツに広がる黒髪を撫でながら、彼はベッドに横たわる彼女を眺める。
閉ざされたまぶたの奥にある、金色の瞳は契約の刻印。
神の獣の祝福。
そっとそのまぶたに唇を触れて、彼は眠る彼女の指先をそっと握る。
彼にとって、彼女は唯一無二の存在だ。
繰り返す生と死を乗り越え、彼女は幾度も彼を孤独から救い出す。
これまでの再会はいつも、目を合わせれば彼女は自分の腕の中に自ら飛び込んで来た。
しかし、『ノア』は怯えて逃げようとしていた。
彼女は自分の事を覚えていなかった。
覚醒の証である魔力の放出を感じ取ってから十年、感じられる力の弱さを疑問に思いながら探し続けてようやく見つけ出した。
彼女の反応に驚きながらも、やはり、という気持ちが浮かんだ。
彼女の記憶が未だ曖昧なのは、おそらく事故によって覚醒が思いの外早くなってしまったからだろう。
ルゲルタの聖女は、常ならば十五歳前後で目覚める。
目覚めと同時に記憶が解放され、魔獣の主である刻印の力も封印を解かれる。
しかし、指先から伝わる彼女の力は不完全だ。
これでは彼女を狙う者達から身を守ることは難しい。
誰にも触れさせはしない。
自分が彼女のものであるように、彼女もまた自分のものだ。
子供のいなかったフェザード侯爵夫妻の元に姿を現わし、養子となることを甘んじて受けたのも彼女の為。
たかが人間の王に仕えるなど自分の性には合わないが、彼女を守る為に必要とあれば仕方がない。
仮面を被り演じるだけだ。
大切な相手を作るのは怖い。
そう思っていたのは遥か昔。
かつての主が彼の目の前から消えてからだ。
金の髪、金の瞳、眩しいばかりに輝く至高の存在。
強く誰も堕とすことのできない高貴な精神と、見る者を圧倒する美しい肉体を備え、畏怖と尊敬を集めていた存在。
自分には彼が全てだった。
彼につき従い、彼の信頼を求め、彼を常に守護した。
ある時、大きな戦が起きた。
邪悪なる存在が大地を蹂躙し、生ける者に呪詛を撒き散らし、破滅をもたらさんとした。
主は大地を守る為に戦いに参加した。
もちろん自分も。
戦乱で傷つき、不死の身体に消えない痛手を負い、それでも彼の意志のもとで戦い続けた。
戦が終わった時、自分の大切な主は目の前から姿を消した。
命をとどめた喜びよりも、絶望がこの身を駆け巡った。
彼の意思ではない。
そうわかってはいたが、それでも彼は自分の全てだったがゆえに、魂が引き裂かれ散り散りに消える思いで大地に倒れた。
いっそ自分も消えてしまえばよい。
そうすればこの苦しみから解放される。
大地に倒れ、天を仰ぎ、ただ血が流れるままにしておいた。
この世界の全てを拒絶し、虚無の入り口へ足を掛けた時、天空から光が降りて来た。
二つの光は、呪いを受けた獣達を神の山へ連れて行き眠らせていた。
だが、自分を見た彼等は、その魂の消えゆく姿を見てこう言った。
『貴方をこのまま眠らせても辛い悪夢を見続けるでしょう』
『それは自我を失い狂い暴れる獣になり下がるよりも不幸かもしれない』
光……運命と時の女神達は、そして自分を時空の狭間へ送り出した。
彼女等は彼女という存在を知っていたのだろうか?
傷つき彷徨う自分を抱き上げ、暗い闇に光を差し込んだ。
全てを拒絶していた自分を癒し魅了する生き物を。
「奏……」
ぽつりと呟かれた声は、誰に聞かれることもなく天井に消えた。
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