第28話 禁軍将軍との朝食(一)

 夜が明けきらぬ内に冬籟がさっさと善後策を進めていく。


 朱莉姫の身柄は詰所の衛士に預け、鴻臚客舘の庭を散策しているうちに外に迷い出たのを保護したということにする。璋伶が一緒だったことは伏せ、彼は女遊びにハマって蘇人街の妓楼に入り浸っているということにした。近々冬籟に武芸の腕を見出されて禁軍に勤める予定だ。


 二人と別れ、白蘭は冬籟と急いで雲雀の家に向かう。もう麻酔が切れた頃だが妙な後遺症など残っていないだろうか。


 蘇人街の朝は早い。家並みは粗末でも、厨房で煮炊きをするよい匂いと家族が会話を交わす温かく穏やかな雰囲気が街に満ちている。


 その中で一軒だけ朝っぱらから大騒ぎの家があった。雲雀の家だ。


「雲雀、母さんがどれほど心配したと思うの! あんな奉公先はもうやめなさい!」


 雲雀の母親らしい声に雲雀が反発する。


「いやよ! 私はお嬢様にお仕えしたいの! 字だって書けるようになりたい!」


「だけど、こんな危ない目に合うなんて!」


「だって!」


 帰りの遅い娘を母親が心配するのも無理はない。一度目は人買い商人に騙されたからだが、二度目は白蘭が急に東妃に会うことになったからだし、三度目は市で白蘭のために履物を買い整えようとしていたからだった。


 白蘭は慌てて雲雀の家の戸を開けた。


「すみません。それは雇い主である私が悪かったんです。雲雀を叱らないで下さい」


 突然現れた白蘭に母親は「あ、いえ」とうろたえたが、隣の父親が落ち着いて頭を下げる。


「これは白蘭様。昨夜は娘を助けて下さりありがとうございました。この子を雇って給金を払い、字を教えて下さっているのも感謝しております」


 父親は母親と違って雲雀が字を勉強することを歓迎しているようだった。


「字は……雲雀から授業料を受け取っていますから」


「その授業料を得るのに、ご奉公先があって給金をいただけるのがありがたいのです。わしら蘇の移民にそんな働き口はありません。だから貧しいままで字も習えず……」


 同じ房室にいた幼い子どもたちが「字の先生?」「先生ありがとー」と口々に声を上げる。


 父親が説明した。


「この子らは雲雀の弟です。雲雀が白蘭様に教わった字をこの子達に教えてまして……」


 母親が苛立った声で会話をさえぎる。


「だからってあんた、娘が危ない目にあってるのに字どころじゃないよ!」


「だがお前、字を知らないことにはいつまでもみんな貧しいままだ。それにこの子たちだって字の勉強が好きになってきたところじゃないか」


 子どもたちは無邪気に「字のお勉強好き!」「楽しい!」とはしゃぐ。そのうち一人がトコトコと家の奥に入り、何かを握りしめて戻ってきた。そしてそれを白蘭に差し出す。


「あのねー、これ僕の宝物」


 陶器の壺か何かの破片だった。釉薬の瑠璃色が綺麗なので幼い子どもにとっては珍しい宝物なのだろう。金銭的な価値はまるでないが。


「あのー。この宝物あげますから僕たちにも字を教えてください!」


 雲雀が「こらっ。そんなんじゃ授業料にならないって」ととがめるのを、白蘭は片手をあげて止めた。そして自分を見上げてくる幼子の前にしゃがんで目線を同じくする。


「それ、大切なものなんだね?」


「うん。ずーっと前に拾って大事にしてたの。でも、せんせーから字を習うのにお代がいるんならこれにするー。これあげますから僕たちの家に教えに来て下さい」


 両親と雲雀がたしなめようとするが、白蘭はその子にほほえんだ。


 そうだ。何も夜に雲雀の帰宅を遅らせなくても、こちらからこの子たちの家に教えにくればいいのだ。代金は? もちろんこの瑠璃色の宝物だ。


「分かった。こんなに綺麗なものをもらうんだものね。私がここに教えに来る。私も仕事があるから夜になっちゃうけどいい?」


 子どもたちは「わーい!」「眠くても待ってるー」と笑顔をはじけさせるが、父親が疑問を口にする。


「ですが坊門が閉じた後の夜の外出は……」


 白蘭が「そこは禁軍将軍が何とかして下さいますよね」と後ろにいるはずの冬籟を振り返ると、冬籟はうつむいた顔の口元に手をやり、肩を震わせて笑いをこらえていた。


 その理由は察しが付く。金にうるさい白蘭が陶器の欠片なんかで授業を引き受けるのがおかしいのだろう。


「冬籟様?」


「……ああ、もちろんいいぞ。俺が許可する。それに俺があんたに付き添おう」


 冬籟はまじめな顔を作るが、すぐににやにやと表情が崩れてしまう。何もそんなに笑わなくてもいいだろうと思って軽くにらんだが、彼は「いや、悪い」といいながらくすくすと忍び笑いをもらし続けた。


 今日は雲雀に麻酔の後遺症が出ないか様子を見るため休暇を与え、白蘭は一人で宿に戻ろうとした。


 冬籟が「朝飯を食わないか。おごってやるぞ」と誘ってくる。白蘭も笑われたままで別れるのが癪で「ありがとうございます」と誘いを受けた。


 冬籟が華都で最もうまい飯を食わせてやるというので、二人は街路を北に歩いていた。


 ところが冬籟が小声で「おい、声を上げるな」とささやき、急に白蘭の手を引いて小走りで坊墻の角に入る。声を出すなというから目線だけで何事かと問うと「春賢が飯庁に入っていった」とひそめた声の返事があった。


「あんたの宿の飯庁で朝食をとれなくなったからこちらに来てるんだな。この近くに崔家の別宅があるからそっちで暮らしているんだろう。俺たちの朝飯は……そうだな、もう少し東の別の所で食べよう」


 春賢を避けて離れた飯庁に入って卓に着くと、冬籟が名前を聞くだけでもおいしそうな品々を注文していく。


「あんたの好みそうなのを一通り注文したが他も頼んでいいぞ。あんたが体を張って璋伶を捕らえてくれたおかげで姫の駆け落ちは未然に防げたし、蘇王の卓瑛暗殺も察知できた」


「私は雲雀が心配だっただけです」


「相変わらず素直じゃないな。あんたが人買いから雲雀を助けたときも、俺が佩玉を褒美に与えようとしたのにごちゃごちゃと「理屈をこねた。今回は董王朝の存続にかかわる大事だ。今日は褒美などいらないなんて言うなよ。あ、食後にちまきはどうだ? 麦粉の菓子は西域でも珍しくなかろうが、米で餡を包んで蒸した粽は食べたことないんじゃないか?」


 それは初めてだ。ぜひ食べてみたい。白蘭が答えるより先にお腹がグーと鳴り、冬籟が「よし、決まりだ」と笑う。


 運ばれてきた食事で腹がふくれていくうちに、昨夜からの緊張がほどけていく。


「それにしても思いもよらない出来事だったな」


「王女が役者と駆け落ちですからね。まあ、璋伶さんには武勲を立てて南妃を下賜してもらわないと。私は恋愛体質の女が苦手ですから、後宮に出入りするようになっても朱莉姫と顔を合わせる期間が短くて済むなら助かります」


 冬籟が軽く溜息をついた。


「あんたはまだ子どもだから朱莉姫の恋する気持ちが分からないんだろう。もう少し大人になれば分かることもあるさ」


「はあ?」


 白蘭は箸を握っていない方の手を卓上で横に振った。


「いやいや。冬籟様の言いようではまるで私が姫より年下のように聞こえるじゃないですか」


 冬籟が箸を動かす手を止めた。


「違うのか?」


「姫は伝統的な年の数え方で十六歳ですよね?」


「あんたはそれより年上だと?」


「ええ。その数え方では私は当年とって十七歳ですが?」


 董では生まれた年を一歳とし、新年が明けるたびに一歳年を取っていく。


「えっ? あんた、それじゃ俺と三歳しか変わらんのか?」


「冬籟様が二十歳ならそうですよ」


 冬籟が箸を置き、まじまじと白蘭を見つめる。禁軍将軍がそんな呆気にとられた顔などしては他に示しがつかないだろうに。


「あんた……童顔だと人から言われないか?」


「いえ? 別に? それじゃあ冬籟様はいったい私を何歳だと思っていたんですか?」


 冬籟は顎に指を当てると視線を泳がせた。


「いや……具体的に何歳だと考えていたわけじゃないが……。十歳は過ぎているだろうと思っていたが二十歳に近いとは思わなかった」


「年齢の把握が大雑把すぎやしませんかね?」


「女の年齢は分からん。これが武官になりそうな男なら、仕事柄、あと何年で身体が出来上がるかとか、もう大人だからこれ以上逞しくはならなさそうだとか見当をつけられるが」


「……」


「あんたの年は、だいたい側燕宮に来た頃の藍可くらいだとなんとなく思っていた」


「そうですか」


 冬籟はもう一度「俺と三歳しか変わらんのか」と呟くと右肘を卓につき、その広げた手の中に額をのせる。




*****

各話ごとの「あとがき」を書いております。「どの部分がどの資料に基づいているか」あるいは「どの部分が鷲生の独自設定かなのか」などについて書いております。何かのご参考になれば幸いです。


中華ファンタジー「後宮出入りの女商人」の資料や独自設定など。→https://kakuyomu.jp/works/16817330659369663557

第28話 「唐菓子」について

https://kakuyomu.jp/works/16817330659369663557/episodes/16817330659574174547





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る