Episode2.願いのカタチ—1

 横家明里は、いつも絵を描いていた。

 森本志穂と明里が通っている中学校は、校則が緩く、授業中でなければスマホを触っていても特に怒られない。そのせいで生徒たちは授業中にまで携帯を触ることが当たり前になっていた。

 だが、明里はそんなことはしない。志穂が明里の斜め後ろの席になった時でも、彼女が授業中に携帯をいじっているというのは見たことがない。

 ただ、授業終了のチャイム、号令が終わった途端、明里は一心にスマホの画面上に手を走らせていた。絵を描いているのだ。

「いつもいつも、熱心ねえ」

 明里の前に座っていた志穂は振り返って彼女ににそう声をかけた。二人は仲良くないか仲良いかで言えば仲良いと答えるほどの間柄だった。たまに喋るほどで、明里は志穂のことを全く気にしていなかったかもしれない。でも、志穂は彼女が始終描いている絵に興味があった。

 絵柄が好みだというだけではなく、その暖かさに惹かれていたのだ。明里は美術部に入る様子もなく、それが尚更志穂の好奇心を燻っていた。

 志穂に珍しく声をかけられた明里は、驚いたように少し顔を上げて、

「うん」

 適当にあしらうように答え、再び画面に向き合って描画を続ける。彼女はあまり人付き合いが上手い質ではなく、クラスでも腫れ物のように扱われていた。

そんな態度取るから、避けられるのよ!

 呆れたようにそう心の中でつぶやいて、志穂は明里の描いている絵に目を向けた。

「何を描いているの?」

 数日に一枚仕上げられていく絵は、それらがアニメの一コマであるかのように連続していた。パラパラ漫画である。デジタルだから、パラパラはできないけれど。多少のずれはあるものの、ほぼ精巧なアニメだった。志穂が知る限り中学入学後からずっと描いていた。

「夢」

「夢?」

 不似合いすぎる言葉である。

「そう。私の夢」

 そう言って黙々と指を動かし続ける明里。

 彼女の携帯には、二人の女の子が仲良く向かい合うように座って、それぞれペンを持ち、楽しそうに話し合っている様子が描かれている。窓を通った陽光が部屋を照らす。そこに志穂の知らない明里が隠されている気がした。

 麗らかな春日の中、幸せそうに見える二人。片方は、明里だろうか。肩までの髪をサッと束ねている。それに向かい合っているのは今度はショートカットの黒髪の女性。見たことのない顔だ。

「この人は?」

「——」

「うん?」

 聞き取れない。明里の手がゆっくりになってまた戻る。

「お姉ちゃん」

「姉? 明里ちゃんってお姉ちゃんいるの?」

 初耳だ。でもクラスメイトの家族事情なんてそんなもの。

「うん」

「知らなかった」

「言ってない」

 そらそうだけれども。

「でも、なんでお姉さん? ずっとお前から描いてたよね」

「——」

 手が、止まった。スマホの中では、窓から降り注ぐ光が、不器用に二人と机を照らしている。途中まで塗られた光。不完全な。

 その質問に明里が答えることはなかった。先生が教室に入り、授業が始まった。明里は黙ってスマホをしまい、机の上に拒絶するように教科書とノートを広げた。

 その日、再び明里のスマホをのぞいた時にはすでに絵は写真に保存されたあとだった。彼女はそれを眺めることなく、新しい白のデジタルキャンバスに新しいラフの線を描き始めていた。



     +++ 



 気まずい雰囲気で終わったその翌日。

「えっ」

 一限の授業が終わって背後から驚きの声が漏れた。

 教室がガタガタとざわめきだし、人口密度が一気に上がる。その中で志穂は振り返った。

「どうしたの?」

 いきなり振りむいてスマホの画面を覗き込む志穂の無礼さを咎めることもせずに、明里はスマホの画面に見入っていた。

 志穂が覗き込んだ画面には“写真”が写っていた。明里が昨日まで書いていた絵。そのスクリーンショットなどではなく、情景そのままを映したものだ。アプリではなく、カメラで撮ったそれ。

 精巧な絵というものは存在するが、明里の反応からしても彼女の描いたものではない。そもそも、彼女はもっと水彩風で画面に映る写真ほど精巧には書かない。

「写真?」

「わからない」

 わからないとはどういうことだ。このスマホは明里の物ではないのか。それとも——。

「私、こんなもの——」

 そこまで言って明里はやっと気づいたかのようにハッと顔を上げた。気まずそうにこちらを見る。

「というか、人の画面」

「あ、ごめん。っていうか今なの?」

 気にしないものだと思っていた。昨日覗いた時も、特に嫌な顔もしていなかったから。

「いや、別にいいけど」

「いいの」

「うん。大したもの入ってないし」

「そういう問題じゃ」

「じゃあ見ないで」

「いや——」

 曖昧な会話が続く中で、志穂の視線は画面に釘付けだった。昨日まで映っていたものと同じ。でも、窓の外の風景は成功に書き込まれ、背景も複雑になっているせいかどこか暗くなっている気がする。

「で、これは?」

「私、撮ってない」

 明里はキッパリとそう言い切った。

「他の人に撮られたとかは——」

「ない。と思う」

 そんなことがあるものか。勝手に写真が出てきたというのか。そんなはずはない。

「それに、こんな写真、撮れる筈ない」

「どういうこと?」

 この写真をもとに絵を描いていたんじゃないのか。見たところ、絵と一緒の場所に今の明里とその姉が写っているように見えるのだが。

「だって、お姉ちゃんは」

「お姉さんは?」

「こんなこと、してくれない」

 どういうことだ。仲が悪いということか。それではこの写真がより意味不明になるではないか。

「仲、悪いの?」

「そういうわけじゃなくて」

「じゃあ、何」

 またチャイムがなった。教室は再び慌ただしくなり、明里は再びスマホをしまう。志穂はしょうがなく前に向き直った。

 二限が終わって、三限が終わって、四限になって、昼休みになっても明里は口を開かなかった。そして、スマホの画面を開いて絵を描くこともなかった。教室の廊下側、二人の間にだけ微妙な空気が満ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る