第9話「財政課を威圧してよろしいか(伺い)」
【ちなみに今財政課の方が事務所に来ていて『なんとかしろ』とお怒りですー!】
「えー、めんどくさいなぁ」
アールシャが眉をしかめながら言った。
【なんで財政課にも報告書まわしちゃったんですかー⁉】
「いや、一応大変動後のダンジョンの報告書は
はあ、とアールシャが大きなため息をつく。
「ちなみに財政課からは誰が来てるの?」
【パシりさんです!】
「――ああ、パシりね」
なんだそのかわいそうなあだ名は。……あだ名だよね?
「わかった、とりあえず私が対応するよ。魔導通信のグループは繋げる?」
【はい! 今お繋ぎしまーす!】
猫耳少女が映っていたスクリーンがいったん消える。
その間にアールシャが俺に目配せしながら言った。
「素直な良い子でしょ」
「彼女も特務官?」
「いや、彼女は特務官付きの補助職。特務官によっては雑務の処理を補助職を雇って任せることもある。まあ補助職とはいえ試験とかはあるんだけど」
何日寝ずに働けるかとかかな。
「さて、ちょうどいい機会だからシンラにも参加してもらおうかな」
「なにに……?」
なんとなく察しはついている。
行政の財布を握る財政課。その名は前職でもさんざん聞いたものだ。
「これから文句をつけにきた財政課の職員と少しやり取りをする。魔導通信を会議モードにして行うんだけど、シンラのハンドルネームはとりあえず『六号』でいい? あとで自分で変えられるから、気に入らなければ変えてね」
「いいけど、そもそも俺魔術とか使えない……」
「今回は私が補助するから大丈夫」
するとアールシャが再び魔法陣を展開する。
それは見慣れたスクリーンになって俺の前に移動し、顔を映した。
「さて、と」
アールシャの前にも再びスクリーンが開く。
それからしばらくすると、自分を映したスクリーンの上下左右にさらにいくつかのスクリーンが展開された。
「あ」
実はひそかに『パシり』と呼ばれた財政課の職員がどれだけ当てようと思っていたのだが、おもいのほかすぐに答えがわかった。
毛先が無造作にカールした砂色の髪に、ふちの太い黒の丸眼鏡。
どこか少年のようなかわいらしい顔に、あらんかぎりの鋭さを込めた目でこちらを見てはいるが、身を守るようにぎゅっと胸に抱いたバインダーが、かえってその態度が強がりであることを表してしまっている。
【ア、アールシャ室長! 報告書を読みました! 今期のダンジョンの探索可能階層が第2階層までとはどういうことですか⁉】
「いや、報告書どおりなんだけど。かろうじて第2階層までなら民間の探索士でも探索できるだろうけど、第3階層に〈禁域〉らしき領域が出ちゃったからやめといたほうがいいよ、って」
【っ、ですが、あまりに探索可能領域が狭すぎます! 食糧の調達が間に合いません! しかも第1階層はゴブリンばっかりっていうじゃないですか⁉】
「うん。ゴブリンはあんまりおいしくないよね。いかにこれまで無数のゲテモノに鍛え上げられてきたデインフェール国民でも、見た目的に受け入れづらいし」
アールシャがわざとらしく肩をすくめる。
【せめて特務官とその担当探索士の精鋭を組んで、3階層以降の領域を調査できな――】
「は?」
ぴり、と。
アールシャからその可憐な見た目にまったくそぐわない強烈な覇気が発せられたのを感じた。
【ひっ】
正直その矛先を向けられていない俺ですらちょっとちびりそうになったので、パシりの反応はしかるべきだと思う。こえぇー!
「冗談でも〈禁域〉を探索だなんて言わないでほしいな。どうして禁域が禁域と呼ばれるか知らないわけでもないでしょ」
俺は知らないから教えてほしいかもしれない。
【……ダンジョンの暴走後、神々ですら意図しないバグが発生しているために、存続派の
パシり、
「そう。しかも〈禁域〉は〈神域〉と違って、疑似神族による加護が効かないという特性がある。まだ断定はされていないけど、我々の知る神々とは別種の神性存在によって世界のルールが書き換えられているから、という説があるね」
ほー。
……ていうかアールシャさん、フリですね?
怒ったフリして、良い機会だからとついでに俺への説明をしてますね?
アールシャがちらりと俺の方に目配せしたのを見てそう思った。
「つまり、あそこで死ねば、蘇生官による蘇生も行えない」
……ん? それって逆に言えば禁域以外は死んでも大丈夫なの?
「たしかに探索領域を広げるのは大事だけど、それ以上に大切なのは探索を行う人員の確保だ。そんな人的資源をごみのように捨てるつもりはない」
一息に言い切ったアールシャはそこで一息つき、それからめんどくさそうに手を振った。
「――もういいでしょ、パシり。どうせあの冷血女に言われてとりあえず釘を刺しに来ただけなんでしょ? 『言ってやりました!』みたいな顔で事務室に戻って『できるだけがんばりますって言ってました』って報告しなよ」
図星だとばかりにパシりの顔が歪む。
「それでこの話はおしまい。――まあ、どうせあとであの冷血女から代替案提示されると思うから、私たちはこの階層で待機するよ。たぶん第1階層の鉱脈からありったけの鉱石を掘り出して持ってこいとかだと思うし」
【うう……わ、わかりました……】
なんかすごくかわいそうになってきた。
アールシャの話しぶりから察するに、このパシりという眼鏡少年もまた、外部と内部の上司との間で板挟みになっているのだろう。
がんばれ、パシり。俺はひそかに応援している。
「……ふう」
複数のスクリーンが閉じられたのを確認し、アールシャがまた息をつく。
「と、いうことで」
あ、ちょっと待って嫌な予感してきた。
「シンラ、残業だ。まあ、私たちダンジョン対策室の特務官にとって、実質時間外労働なんて存在しないんだけど」
ブラックにもほどがある。
初日から残業とはいかがなものか。
いや待て、初日ってなんだ?
この世界に来てから三日経つが、俺まだ一度も家に帰ってないし、それどころか寝てない。ざっと80時間労働。四日で80時間労働って労基まっしぐらじゃん。
「ていうかそもそも俺にはもう家がないんだった……」
「ふふ」
アールシャの笑みが『これでずっと職場で働けるね』と言っているような気がした。
―――――――
【あとがき】
終:第一章
次:第二章
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