第8話「世の中にはいろいろな世界があるようです」

 その後、アールシャとともに来た道を引き返し、ダンジョンの階層間をつなぐ扉をくぐった。

 さきほどまでとは打って変わって平穏な草原。

 本当に、扉ひとつ隔ててまったく別の世界を行き来しているのだということをこのとき強く実感した。


「……ふう」


 アールシャが俺の手を離し、一息つく。

 ここに来るまでの間、アールシャはずっと俺の腕を握っていた。

 華奢な白い手に込められた力に、俺はずっと感謝していた。


「アールシャ、さっきの階層って――」

「その前に、いくつかシンラに確認したいことがある」


 アールシャがこちらを振り返り、たずねる。


「シンラの元いた世界に、手で触れることができる神はいた?」


 変な質問だ。

 しかしアールシャの赤い眼に宿る光は鋭く、まじめそのものだった。


「俺の知るかぎりじゃ、いなかったよ。比喩ひゆとかをのぞいて」


 信教のうえで定義される神はいたし、事実、世界単位で見ればそういった神を信じる者のほうが多かった。

 個人的には目に見えない、あるいはその時点の人間に解明できていないことを神や悪魔のせいにして精神的な安定を図っていた気もするが、さりとて俺自身それが正しいかどうかを定義できるほど物知りではない。


「さっきの階層世界は、シンラの元いた世界とうり二つだったんだよね」

「そうだね。しかも、俺がいた世界の、俺が住んでいた国の景色だった」


 匂いも、相違ない。まだ両親が生きていたころに行ったことのある祖父母の家の匂いによく似ていた。

 あの男の背格好からするに、もしかしたら時代は異なっていたかもしれないが、あれは日本の原風景で間違いないだろう。


「もう少しシンラのいた国の歴史とか文化について知りたい。とりあえずさっきの大樹まで戻って、そこで少し話をしよう」


 そういいながらアールシャが魔導スクリーンを開く。


「私は報告書を送りながら進むけどなにか異変があったら気にせず話しかけていいからね」


 アールシャはまだ俺の体調を気にしているようだった。

 本当に、ありがたいことだ。


「うん」


 俺はアールシャの少し後ろを歩きながら、今まで自分が生きてきた世界や国についての知識を、頭の中のタンスから必死にかき集めることにした。


◆◆◆


八百万やおよろずの神か……」


 あの大樹にたどり着いて、腰を下ろしながらアールシャに俺の知るかぎりの日本の歴史や文化を話していた。


「実際に八百万体いるってわけじゃなくて、『たくさん』の例えらしいけど」


 しかしそれにしても、日本人は多くの神を持つ人種だと思う。

 当時の世界基準でいう信仰とは少しおもむきが違う気はするが、人の手の及ばぬ領域の存在について、日本人はわりと想像してきた人種ではないだろうか。


「俺からも聞きたいんだけど、前にアールシャが自分のことを『ぴちぴちの女子高生』って言ってたよね。アールシャの元いた世界はどんな感じだったの?」


 女子高生というワードに妙に親近感が湧く。

 言語能力を例の疑似神族とやらいじられているというから、その過程で俺が知っている単語に切り替わっただけかもしれないが――


「ああ、私の元いた世界には高等学校なるものがあって、そこでの私は物静かな読書好きの一般少女だったんだ」

「へ、へえー」


 たしかにアールシャの外見は超俗的ではあるにしろ、物静かと言われればそう思える可憐さがあるし、たとえモンスターを前に両手にグローブをはめてファイティングポーズをとっていたにしろ、平時は深窓しんそうの令嬢と呼んでも差し支えない。……はずだ。

 しかし高等学校。

 もしかしたら俺と同じ――


「まあ、そんな物静かな少女も惑星間航行の途中で事故にあって、突発性次元断層に落ちた結果こうして元気に公僕をしてるわけなんだけど」


 違うわ。

 一気にわけわからん単語が飛び出してきた。


「そっかー、もしかしたら俺と同じ世界から来たのかと思ったけど、違うなー」

「あはは、世界ってたくさんあるからね」


 アールシャはきょとんとしたあと、少し面白そうに笑った。


「でも、もしかしたら本当に同じ世界かもしれないよ。世界って必ずしも同じ進度でこの基底世界と繋がるわけじゃないから。時間軸すら前後することがあるって、ダンジョンの探索で判明してるんだ」

「めちゃくちゃだなぁ……」


 広い視点で見たこの世界というものは、人が思っているよりずっと混沌としているのかもしれない。


「世界は、あらゆる世界のあらゆる時間と繋がる可能性を持っている。だから、シンラや私がいた世界もまた、神々の実験場の一つだったのかもしれないし、この基底世界もまたその一つなのかもしれない」

「でも、呼び方は基底世界なんだね」

「疑似神族たちが言うにはね。少なくとも基底世界は多くの実験場とのハブ――結節点けっせつてんという点では間違いないと」


 ややこしい。

 これ以上この問題について考えると耳から煙が出そうだ。


「ちなみに、ここでいう『神々』と疑似神族はまったく別のものだから」

「なんとなくそんな気はしていたよ」


 おそらく神々というのは元いた世界の神の認識に近いのだろう。

 人智の及ばない神的なもの。

 対する疑似神族というのは、神っぽい――それこそ別の世界から人を呼べるような――力を持った一つの種族。


「そういえばアールシャはさっきの階層のことを〈禁域〉って言ってたけど――」

「ああ、そのことなんだけど――」


 アールシャが言いかけたとき、ふいにアールシャの顔の横に例の魔導スクリーンが開いた。


【室長ー‼ 報告書読んだんですけど今期の探索可能域が第2階層までってどういうことですかー‼ 死にますぅ‼ デインフェールの国民は一週間後に仲良く餓死ですぅ‼】


 スクリーン上に映っていたかわいらしい猫耳の少女が半泣きで叫んでいた。

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