第9話 十年前の約束
「黒谷は始めの五分間だけだったろ。あの後の方がずっと凄かったんだぜ、蘭ちゃんに聞いてみなよ」
その言い方には幾分か棘があった筈だが、黒谷は気が付かなかったようだ。
「今は一緒に住んでない。大学卒業して佃島を出て一人暮らし始めたからね。百合も蘭もアパートで一人暮らしなんだ。だから実家には父母の二人だけ」
佃島を出て行ったのは俺だけじゃないのか……
「そうなんだ。でも電話くらいするだろ」
黒谷は視線を戻さず外の花火を眺めながら話し続ける。
「別々に暮らすようになってから姉妹では殆ど電話しない。時々週末に実家で一緒になるから。大抵のことはその時話してる」
純も黒谷の視線の先を見た。色とりどりの花火が夜空に踊り続けている。テラス席の方から大きな歓声が上がった。尺を超える大花火が白い糸を長く引いてするすると高く打ちあがって行く。一際高い所でそれは弾けた。東京湾に花火が大開花すると、ガラスの内側でも所々に歓声が上がった。
『どーん!』
三秒ほど遅れて大きな音が
「俺も実家にはあまり電話しないかな。母さんからは良く掛かってくるけどな」
黒谷の目は熱を帯びて来たようだ。
「またいつか佃島で花火見たいね」
黒谷となら佃島で花火を見ても良い、そう思えた。自分が佃島を避けている本当の理由にやっと気が付いた。
「佃島って好い所だもんな」
「寄り付かないくせに」
「残っている連中だけで高い垣根を作ってるような気がするんだ。ずっと一緒にいれば心地良いんだろうけど、若い時に離れるとあそこへ戻るのが少し怖い気がする」
それは純が漠然と感じていたことでウソではなかった。でも大きな理由が黒谷にあったことを今認めざるを得ない。
「今だって若いでしょ」おかしそうに黒谷が笑う。
「まあ、そうだけどね」
あの頃はあの頃さ、今黒谷の心は自分にある……純は自信を取り戻していた。ふとまた、花火の時の黒谷蘭が頭中をよぎった。
「蘭ちゃんも大学へ行ったのか。元気なの」
「今年卒業して、四月から一人暮らし。とても元気だよ」
「あの日 蘭ちゃんと約束したことを思い出した」
「え、どんなこと」
黒谷は純を直視する。
「来年もじゅん君と一緒に花火見たいなって言うから、俺、来年は姉さんと三人で一緒に見ようって言った」
「へえ……」黒谷は次の言葉を待っている。
純は思い出し笑いをした。
「蘭ちゃんが私と二人だけじゃダメですかって、二個上の俺をからかうんだ。だから、うん良いよ、蘭ちゃんと二人だけで見に行こうって答えたっけ。黒谷の方は隅田川の花火を誘うからいいさって冗談言ったらきゃっきゃして喜んでいた。可愛いよな」
黒谷は嬉しいとも寂しいとも取れる複雑な表情を見せた。
「そんなことがあったんだ」
「誤解するなよ、ただの冗談だったんだから」純は黒谷の気持ちを押し測るように覗き込む。
「蘭は案外本気だったのかも」
「そりゃないだろ。中一だもの蘭ちゃん。まだ子供じゃん」
「そうだね、子供なんだろうね。中三から見た中一は」
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