第8話 台場の花火と佃島の花火

 六階にあるイタリアンレストランの外側テラス席は六月からの予約受付で既に一杯だと言う。

 二人が案内された席は室内だが窓側のテーブルで冷房もそこそこ効いていた。

この日は特別メニューでコース料理の設定しかないとのことだ。花火の日は客が回転しないと見たレストランの計算だろう。

高価格というふるいに掛けられた客層は静かに花火と料理を楽しもうとする人達で占められ、却って恋人達にとってムードは高まったかも知れない。

ワインを注文し一定の間隔で運ばれてくる料理と、レインボーブリッジの右横に次から次へと打ち上げられる花火を二人はゆったりと楽しんでいた。


 下に尾を引いた花火が上がる度に黒谷は少女のように顔を輝かせ、明るい褐色の瞳には開いた花火の色がキラキラと反射する。いつしか純は花火よりも黒谷を見詰める方が多くなっていた。

黒谷も熱い視線に気が付いていた。

「あの時は、私がずっとじゅん君を見詰めていたんだよ」


 純はそれがどの時か思いつかない。

「あの時って」


「佃島で見る花火の方が、ずっと近くて大きく見えたよね」

 うっとりとした目が純に注がれる。


 視線が眩し過ぎた……そう、思い出した。黒谷とは一度だけ花火を見に行ったことがある。

「中三の夏だっけ。あの時黒谷は家の用事があるってすぐ帰っちゃったじゃないか」


「ああ、そうだったっけ……」

 黒谷は続け様に瞬きした。


「そうだよ、だから俺 花火は黒谷の妹と見たんだよ。名前何って言ったっけ」


 黒谷は静かに名前だけを答えた。

らん


「そうだ、蘭ちゃんだった。可愛い娘だったよね黒谷の妹」

 純は黒谷蘭の顔をおぼろげに思い出した。


 黒谷の目が光る。

「憶えてるの」


「だんだんと思い出してきた。あの日、黒谷は二つ下の蘭ちゃんを連れて来ていきなり俺にゴメンねと言ったんだ」


 黒谷も思い出していた……しまいまで純と花火を見たかったことを。

「うん」


「お盆休みで急に叔父さんが遊びに来たとかで、私だけでも叔父さんの相手をしなくちゃいけないとか言っていた」


「…良く憶えてるね」二人だけの花火…


 黒谷に見詰められ純は言葉を一つ一つ置いて行く。

「蘭ちゃんはどうしても花火を見たいと言って、俺が残って一緒に見ることになった」


「そうだったね」黒谷は花火に視線を移動した。


「そりゃないだろってがっかりしたけど、花火が始まると俺は直ぐ夢中になっていた」


 女の横顔を見ながら、うっすらと産毛の光る白い首筋に男は目を奪われている。花火を見ていた女は男に視線を戻す。時間差を置いて今咲き終わったばかりの大きな花火の音が腹に響いて来た。


「綺麗だったよねあの花火。ここから見るよりずっとずっと近くて、目の前に覆いかぶさって来るようだった」


 遠い視線の女を見てから男は東京湾に咲く花火に目をやる。

 男には目の前の花の方がずっと美しいようで視線は速やかに元へと戻った。

あの頃、この花は何故俺を忘れ、他に恋人を作ってしまったのだろうか。別の高校へ進学した俺が悪いのか……十年前、忘れようとして忘れてしまったことを純は思い出した。


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