第5話 別れ話その2

 最近繰り返されて来た口喧嘩くちげんかと、少しばかり様子が違っていることに気がついてはいたが……観察が甘く自制に結びつかなかった。


 広瀬は下を向いて小さな声を絞り出す。


「二人で良い家庭を作りたいと思っていたけれど、やっぱり私達向いてなかったんだよね」


「またそれか。結婚の話だったら何年か待ってくれないか」


 顔を起こした広瀬は静かに純を見詰める。


「もう二度と言わないから、安心して」


「待ってくれるのか」

 純はほっとした。


 純を見詰める短い時間に二人の濃密な歴史が超早送りヴィデオのように巡っていた。広瀬は晴れやかな笑顔を見せた。


「結婚の話も、お付き合いも、今日で終わりにする」


 純は愕然がくぜんとした。今すぐの結婚は考えられないが二人の関係に終止符を打つ気持ちなど微塵も無かった。問い掛けの声は裏返った。


「何でだよ。別に結婚なんて急がなくてもいいじゃないか」


「二人の気持ちが重なり合わないって分かったからもういいの。これまでお付き合いしてくれてありがとうね」


 初めて出会った頃のように広瀬が魅力的に映った。小うるさい妹ではなく、さばさばした活きの良いあねさん気質かたぎ。一言も返せず、純はその顔に見惚みとれた。


「じゃあ私もう帰るから」

 そう言って、広瀬は帰り支度を始める。


「また連絡するよ」

 ぼおっとしていた純は、靴を履き終わった広瀬に気がついてそう呼び掛けた。


 女は振り向くこともなく階段に向かって歩き始める。

 男はテーブルの端に置かれた請求書をひったくって、慌てて靴を履いて追い掛けた。

 女は階段の手前で立ち止まり、背中を見せたままで低い声を絞り出した。僅かに肩が震えている。


「もうお互いの連絡は無し。すっかりケジメはついたから」


「どうして」


 破局を覚った男の声は消え入るようだ。階段を駆け下りながら女は素早く言葉を捨てた。


「さようなら」


 後姿を目だけで追いかけながら、男も心の中で同じ言葉を呟いた……

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