第3話 時を超えた電話

 黒谷から純に電話があったのは、今から二月ほど前のことだった。


「はい、長嶺ですが」


「お久し振り、黒谷です。突然だから私のことわからないよね」


 携帯ディスプレーに表示された番号は純の知らないものだった。女の声にも全く聞き覚えが無い。


「くろたにさんですか」


 仕事の関係でも携帯電話番号を人に教えているので邪険な応対はできないが、夜九時過ぎに掛けてくる取引先はそうそうあるまい……純の声に多少の不信感が滲んだ。


「やっぱりじゅん君憶えてないんだぁ……」


 女の声は鈴を転がすような軽やかな響きがある。

 懐かしげにしゃべる女……純は過去の記憶を手繰ってみるくろたに、くろたに……


「ひょっとしてクロユリの黒谷さん?」


 そんな筈は無いと思いつつ、恐る恐るそう訊ねる。


「ほぼ正解!」


 女の声はがっかりした感じから急に嬉しそうな響きに変わった。


「ほぼって(笑)どうしたの、十年振りか」


 純の声に懐かしさが帯びる。クロユリの黒谷なら中学の同級生だ。しかしその中学の卒業と同時に親の都合で転居、純は佃島を出た。それ以来一度も帰らず十年が経っている。懐かしくはあっても黒谷は遠い過去の人だ。


「どうしてるかなと思ってさ、元気?」


 過ぎ去った歳月を感じさせない口調だった。


「うん、元気元気。そっちはどうなの」


 十年振りの旧友に対する普通の挨拶だ。元気が無くたってそう答えるさ……そう思いながらも、何故今頃黒谷が連絡してきたのかかなり気になる。


「なら良いんだけど‥‥今失恋中でしょ」


 唐突な問いに大いに戸惑った後、純は急に腹がたった。


「何のことかな。それよか俺の携帯番号どこで聞いた」


「怒ったの」黒谷は声を落とし、ごめんねと付け加えた。


「怒っちゃいないけど。黒谷がからかうからだよ」


「電話番号はね、卒業者名簿で調べて実家のお母さんに訊きました。勝手なことしてごめんなさい」


 黒谷が馴れ馴れしい口調を少し改めると却って純は焦った。


「いいんだ。ただ驚いただけさ。黒谷から電話があるなんて思いもしなかったから」


「いきなり幼馴染のように接してゴメン。十年も経ったら過去からやって来た亡霊みたいなもんだよね」


 口調はさらに暗くなったが電話を切ろうとする素振りは無い。


(恋人と喧嘩でもして、寂しくなって突然俺のことを思い出したとか。ま、俺の場合は黒谷を思い出したりなどしなかったけどな。何れにしろ昔のよしみで話くらいは聴いてやんなくちゃ)


「遠い過去なんかじゃない、たった十年だよ。付き合いは中三からで短かったけど、小さい頃から地元通しだった訳だし幼馴染みたいなもんさ。だからいつでも連絡してもらって良いんだ。それより黒谷、何かあったんじゃないか。俺で良かったら相談に乗るよ」


「そう思ってくれるの。あの頃みたいに喋っても構わない」


 もちろん構わないさ、と純は答えた。


「じゅん君。先週、築地の場外市場へ行ったでしょ」


(そんな呼び方だっけ……え、先週?築地って、マジか)


「何でそんなこと…」


 純の背中に冷汗がツと流れた。あの日は……


「寿司の蔵っていうお店で彼女と食事してたよね」


「あの店に居たのか」


「うん、友達と一緒だった」


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