ひらき

教室には西日が差し始めていた。


窓は固く閉ざされており、結露したガラスから水滴が流れ落ちていく。


教室の暖房が切られているので少し寒く感じた。


「急にどうしたの? 」


「ちょっと用があってな」


ひらきが俺のクラスにやってきた。


手にスマホを持っている様子を見ると、メッセージを見てすぐに来てくれたのだろう。


俺は退院して、停学期間も終わり学校に戻ってきていた。


連日のテレビの取材で慌ただしい校内で渦中の人となった俺やひらきは落ち着いて話ができていなかった。


だから、ついさっき『俺のクラスに来てほしい』とSNSで送っておいたのだ。


部屋の角がオレンジ色に染まり、少しずつ薄暗くなってきた。


俺の後ろを通る際、西日が目に入ったのか少し眩しそうに目を細めて、目の前の関本の席に座った。



俺は……まだ迷っていた。



話すべきか。



話すべきではないのか。



この話をすれば、ひらきとの関係が変わってしまうんじゃないだろうか。


それが怖かった。


どのくらい沈黙していたのだろう。部屋は薄暗くなっていた。


ひらきは俯いたまま静かに、俺が話し始めるのを待っていた。


「お前と始めた遺失物事件、まだ終わってないよな? 」


「もう、それは……いいんだ。駄目かな? 」


そう言って見せた笑顔は少し悲しそうな顔をしていた。


「警備室前の遺失物一覧をもう一度調べたんだ。中上先生に頼んでお前の名前が載っているか確認した」


ひらきは俺の顔を見つめた。



「ひらき、お前の名前は載っていなかったよ」



張り詰めた空気が漂う。それを払拭するようにひらきが取り繕う。



「……あれ、私うっかりしてたのかな?どうりでいつまで経っても見つからない訳だ」


ひらきは力なく、乾いた笑いをする。



「山下の事件の前日にお前は一人で遺失物一覧を見に行くと言った。なんでだ?」


ひらきは俯いたまま何も喋らなかった。



「正樹部長に裏サイトに投降された遺失物一覧のユーザーエージェント情報を調べてもらった」


ひらきは手に握られたスマホの背面にはオレンジのロゴが見えた。



「ひらき、お前のスマートフォンと同じmyPhone7……だ」


「myPhoneなんて持っている人沢山いるじゃん……」


「その機種は7年前に発売されたものだ。OSのアップデートも止まっているからな……意外と珍しいんだ」


そう言いながら、俺は自分のスマホを取り出し、裏サイトのスクリーンショットを見せた。



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【発見されていない遺失物】

4件▼


更新日:4/3

作成日:1/15

更新者:匿名(172.16.0.3)

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「裏サイトの遺失物一覧……だよね」


「そうだ。ひらき……お前のスマホのホーム画面を見せてくれないか? 」


ひらきはぎゅっとスマホを握る。



「それと、遺失物一覧と……何の関係があるの? 」


「あるんだ」


ひらきはスマホのロックを解除して、俺に手渡す。


その手は震えていた。


だから、できるだけ優しくそっと受け取った。僅かに触れた指先はとても冷たかった。


俺はホーム画面上部のピクトエリアを確認した。


そして、俺の推理が正しかったことが証明された。……できれば、外れててほしかった。



「やっぱり、お前が裏サイトに遺失物一覧を作成した張本人だな」


「な、なんで……」


ひらきは眉間に皺をよせ、目尻は下がり、今にも泣き出しそうだった。



「以前、裏サイトを皆で見たときに中上先生は言っていた。『このIPアドレスは学校の無線LANを経由したものだ』と」


「お前のスマホは何で学校の無線LANに接続されてるんだ? 学校の教職員しかパスワードを知らないはずなのに」


胃に重たくて冷たい何かが流れ込んで来て、沈んだ気分になる。


俺は知る必要のない真実を暴いているのではないだろうか?



「俺は教職員意外で無線LANのパスワードを知っている人物に心当たりがある」


「芳川だ」


ひらきの瞳から光は消え失せ、ガランとした真っ暗な空洞が広がっているように見えた。



「お前は一連の遺失物事件や身の回りで起きる不可解な事故の犯人を初めから知っていたんじゃないか?」


「そ、そんなの、知っているはず……」


ひらきは俺のシナスタジアを思い出したのか、はっとして口を噤んだ。


ひらきが論点をずらそうとする。



「遺失物事件の犯人は……芳川でしょ? 」


その通りだが、それは本質ではない。



「一連の遺失物事件は腕時計集めを目的に、芳川が実行したんだろう」


「そ、そうでしょ」


「なら、俺の腕時計は誰が掃除用具入れに入れたんだ? 犯人は芳川じゃない……お前がそう言ったんだ」


教室の室温が下がったのではないか……そう錯覚するくらい冷たい空気が流れていた。



「ひらき……お前なんだろ? 」



山下は犯人ではないことは証明されている。山下は関本に声をかけて腕時計を机に戻している。


関本、本人にも確認をしたので間違いない。


「シナスタジアのことを説明しても、なかなか信じてもらえないことが多い……お前ならその理由が分かるよな?」


躊躇いがちにひらきは言った。



「私達の見ている世界は普通の人に認識できないから……」


「そうだ。だから、俺も例外ではない」


俺のシナスタジアも俺以外には真実かどうかはわからない。


「お前の本当の目的は遺失物事件の解決なんかじゃない。腕時計の回収だ……」


「コレクターが誰なのかわからないから交渉には時計が必要だった。だが、お前は都合の良い時計を持っていなかった」


「そこにお前は偶然見つけてしまったんだ。都合の良い時計を……」


また、俺はスマホのスクリーンショットをひらきに見せる。


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【発見されていない遺失物】

4件▶

 10/5 桧川ひらき 革ベルト腕時計

 11/2 今村伊澄 金属製ベルト腕時計

 11/7 絵川拓夢 金属製ベルト腕時計

 2/2 中上卓也 スマートウォッチ


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「中上先生が遺失物届けを出したら、すぐに返却されたそうだ」


俺はポケットから腕時計を取り出すと、机の上に静かに置いた。



「これがその時計だ。お前が拾って交渉に使ったんだろうが、コレクターのお眼鏡にはかなわなかったようだな」



ひらきは俯き、その時計をじっと眺めていた。


「この時計にはお前の思念の色が付着しているはずだ」


廊下を歩く誰かの足音が響いていた。足音が聞こえなくなるのを待って話を再開する。



「そして、俺の時計がなくなったあの日、お前は俺に『芳川は犯人じゃない』と言った」


「さらに『芳川が俺を嫌っている……机が赤黒くなっているから』とも言った。そこに違和感があった」


「本当は俺の腕時計に芳川の思念の色が付着していたんだろ?」


あの時点でひらきは俺が嘘を見抜けることを知っていた。


つまり……


「ひらき、芳川が盗んだ俺の時計をさらに横取りしたな?"はい"か"いいえ"で答えてくれ」


ひらきは自分を犯人にすることで真実の上書きをしたのだ。


これで犯人は芳川でなく、ひらきになる。つまり嘘ではない。


嘘ではないなら、俺のシナスタジアにはそれを見抜くことは不可能だ


ひらきはそこをすり抜けたのだ。


ただ、本音を言うと芳川から時計を横取りしたくだりは証拠がなく、俺の推測の域を出ない。


だから、俺のシナスタジアで言質を取ることにした。


俺のシナスタジアは嘘を見抜けるが真実が混ざっている嘘や嘘の上塗りをされると判定が曖昧になる。


だが、"はい"か"いいえ"の二択ならどちらを答えても嘘は見抜ける。


窓からサッカー部のシャトルランをしている声が聞こえた。そろそろ、部活の終盤のようだ。


ひらきが顔をあげた。



「……はい。ほぼ藤井くんの推理の通りだよ。ついに、バレたか」



力なく笑うひらきの顔が俺たちの関係の終焉を物語っていた。



「前に話したと思うけど、私は藤井くんをずっと探していたんだ」


ひらきは机に視線を落としながら話す。


「芳川とは一時期友達だった。彼を家に招いたことがあって、そのときにコレクターの話を聞いたんだ」


「芳川も片親でね……つい気を許してしまった」


ひらきの口から芳川の話を聞くと、少し心が落ち着かなくなる。


「だけど芳川はうちに盗撮用のカメラを仕掛けていたことに気がついて、すぐに縁を切った」


芳川の外道に気分が悪くなる。


「でも、コレクターの情報は私には魅力的だった。腕時計と引き換えにどんな情報でも調べることができると聞いて、すぐに取引を始めた」


そう言って、ひらきは私の方をじっと見た。その目は何かを求めているようだった。


「コレクターに何を頼んだんだ? 」


「藤井くんの個人情報と、私と藤井くんが血縁関係にあるかを調査してもらったんだ」


あまりに予想外の内容に面食らった。個人情報は分かるが、血縁関係とは一体、どういうことだ?


「私が一人暮らしをしている理由は話してなかったよね? 」


「そうだな、聞いてなかったな」


ひらきは少し考えながら、その背景を話し始めた。


彼女の両親は、彼女が10歳の時に離婚。原因は父親の浮気だった。


「私のシナスタジアはお父さんからの遺伝らしい。話に聞く限り、同じ能力みたいだしね」


離婚後は母親に引き取られ、それなりに楽しく暮らしていたんだとか。


「私はお父さんのこと嫌いでさ、面会の日も憂鬱で嫌だった」


「夜な夜な浮気をしてくるような奴が父親だと思うと気持ち悪かった」


「でも、シナスタジアで思念の色を見る度に父親と同じ血が流れていることを実感して、それが堪らなく許せなかった」


ひらきが続ける。


「だから、そんなに不快なら二度と会わなければいいやって。だから、それ以来面会にも行かなくなった」


「でもね、ある日お母さんが死んじゃったんだ」


淡々と語るひらきの声から、長い時間をかけて母親の死を受け入れた強い意志を感じた。


「私達が中学一年生の頃にあった芽原市無差別殺傷事件って覚えている?」


「何人も死傷者を出した事件だよな。隣の街の事件だからな、よく覚えているよ」


休日の白昼に突如起きた惨劇ということで、当時、世間を震撼させた事件だ。


「お母さんはあの事件で通り魔に殺されたんだ」


言葉が出なかった。


「疎遠だった母方の親戚に引き取り手はいなくて、私はお父さんに引き取られることになった」


だが、暫く会っていなかった父親は再婚し、新しい家族を築いていたそうだ。


元々、不仲の父親と見ず知らずの義母に囲まれて、居候させてもらっている環境はお互いの心身を疲弊させたそうだ。


居候から半年くらい経過した頃、父親に連れてこられたのがこのアパートだったという。


「お互いに気を遣わなくていい環境を用意したからここに住みなさいって」


「そんなことって……」


「私も悪いところがあったから何も言えなかったよ。だから、それからずっとここに一人で住んでいるんだ」



天涯孤独。


そういう単語しか出てこなかった。



「藤井くんのお父さんの旧姓は知っている?」


父さんの旧姓を聞かれて驚いたが、コレクターから情報を買ったなら、父が婿養子に入っていることを知っててもおかしくない。


「確か、和泉だ。父さんは実家と仲が悪かったから名字しか知らないけどな」


「私のお母さんも和泉……藤井くんのお父さんと兄妹なの。つまり、私達はいとこ」


そう言うとひらきは俺の顔を見つめてきた。


「私は孤独じゃなかった……それが嬉しかった」


「でもね、それと同時に後悔もした。母さんの大事な形見を渡してまで得た対価が、それだけだったことを」


それからひらきは必死になってコレクターを探した。


だが見つかるわけもなく、人の腕時計を対価にコレクターから形見の時計を回収するという考えに至った……そうだ。


「藤井くんが時計を探しているのを見て、今なら友達になれるかもしれないと思って声をかけた」


「そしたら、仲良くなって、嬉しくて、楽しくて……どんどん本当の事を言えなくなった」


「藤井くんが怪我をして、りえピンが昏睡状態になって、気がついたら引き返せなくなってた」


「これが遺失物事件の真相だよ」



気がつくと運動部の声が聞こえなくなっていた。窓を見ると弱々しい星の光が空に見えた。


そろそろ、下校時間だ。


伝えなければ……。


でも、伝えればひらきとの関係が終わってしまうかもしれない。


でも、言わないと駄目だ。


息を小さく吐き出し、腹の下に力を込める。


「ひらき……お前の事情は分かった」


「だが、お前がやったことは犯罪だ。如何なる理由があろうと、許されることではない」



静まり返った教室にひらきの泣き声が響いた。



「ごめんなさい……」


「私がみんなに事情を話していれば、りえピンも藤井くんも誰も怪我をしないで済んだ」


「私が時計を盗まなければ……ごめんなさい。二度と皆の前に顔を出しません」



ひらきが基本は善良な人間だと言うことは知っている。


思い返せば、ひらきは何度か俺に何かを言いたそうにしていた。


気づいてあげられなかった。


気がつけば部屋は真っ暗になっいた。廊下の明かりが暗くなった教室をほんのり照らしていた。


まだ、終わってない。


ひらきは自分の罪を認め謝った。


ならもう一つ、ひらきに伝えるべきことがある。


ドアの外に向かって叫んだ。



「安井!そこにいるんだろ?」



安井が廊下から教室に入ってきた。


「何故わかった?」


「お前は俺の能力を舐め過ぎだ。盗み聞きとは趣味が悪いな」


「俺はコレクターだ。趣味が悪いのは今に始まったことではない……知っているだろ? 」


そう言うと安井は何かを投げてきた。


それをキャッチした。


「これで取引終了だ」


そう言うと安井はさっさと教室から出て行った。


ひらきの方を振り返る。


「右手を出して」


ひらきは不思議そうな顔をしながら、右手を差し出してきた。


ひらきの右腕に安井から渡された腕時計を着けた。



「これ……私の腕時計……なんで? 」


「コレクターと取引した」


「だって、対価は? 」



ひらきは俺の手首を見て気がついたようだ。


「……まさか、藤井くんの腕時計と交換したの? どうして……」


「俺の時計は盗まれていない。そして、中上先生はこの時計を要らないから捨てたんだそうだ。だから俺が貰った」


「これでお前の罪は……チャラだ」


「でも、私……みんなに迷惑かけて……」


「お前と関わったのは、みんなの意思だ。迷惑なんてかかってない。ただ、みんなには謝罪と感謝をしっかりと伝えるんだ」


ひらきはわんわんと泣き始めてしまった。俺はひらきを泣かせる天才なのかもしれない。



「ひらき、帰ろう」


「うん……」


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