喪失

吐く息が白くなってきた。


季節は秋から冬に差し掛かろうとしていた。かじかんだ手を擦りながら自転車を押して歩く。


ダッフルコートのボタンをしっかりと閉める。


いつものコンビニへ向かう、いつも通りひらきが先にコンビニの前で待っていた。


「ひらき、おはよう」


「うん、おはよう」


お互いに目を合わせずに挨拶をする。


道すがら何かを話すこともなく、ただ何となく毎日同じ事を繰り返していた。


ひらきを朝迎えに行き、一緒に登校する。そして夕方、ひらきと一緒に下校する。


でも、会話らしい会話はしない。


ただ、トボトボと歩いて登下校をするだけだ。


この日課をやめてしまったら頭がおかしくなってしまうかもしれない……その恐怖が、身体を動かし続けていた。


ひらきも以前と比べると静かになった。寧ろ、何も喋らなくなった。


でも、1人で遺失物事件の調査はひっそりと続けているようだ。


危ないから止めるようにと言っても聞かないのだ。始めのうちはできるだけ傍にいて、調査の手伝いもしていた。


だが、7月の夏休み前にひらきから決定的な言葉を告げられた。


「私のせいで……遺失物事件の調査に巻き込んだせいで……りえ……があんな事になったんだよ」


「別に……それは関係ないだろ……」


ひらきはあの日を境に山下のことを“りえピン“と呼ぶのをやめてしまった。


「俺は……」


「私は1人で大丈夫だから」


ひらきは俯きながら、静かに強くそう言った。


ピシャリとドアを固く閉ざされた。そんな感じの声だった。


それ以来、俺は遺失物事件の調査には関わっていない。


それでも、何となく登下校だけは一緒に行くようにしている。


そう、これは俺の業なのだろう。


あの日、山下をひとりで調査に行かせてしまった……迂闊と言わざるを得ない俺の失態。


少し考えれば分かったはずだ。


朝練で既に朝早く出ているのに、更に20分早く出ると言い出した山下の行動に何の疑問も持たなかった自分が悔やまれた。


何故、あの時一緒に行くと言わなかったんだろう。


後悔の念で押し潰されそうになる自分を無理矢理奮い立たせている。


いつもと同じように陽芽高の正門が見えて来た。


自転車のかごに入れてあるカバンをひらきに手渡す。ひらきは黙ってカバンを受け取ると昇降口に走って行ってしまった。


俺は何をしているんだろう。


口も聞かない女の子と登下校を毎日繰り返している。


時間は止まったままなのに身体だけが年老いて行っているような錯覚を覚えた。



 山下は4月のあの日、一階の階段に転落している所を発見された。


第一発見者は如月生徒会長だったそうだ。


発見した当時、山下に意識はなく、頭から出血も確認されたらしい。


すぐに病院に運ばれ一命はとりとめたたが、意識は戻ることはなかった。


医師の診断によると階段から転落による頭部の強打……つまり脳挫傷と診断されたそうだ。


あれから7ヶ月経過したが、山下は未だに目覚めないままだ。


病院には一週間に一回顔を出している。


以前は毎日顔を出していた。


だが、管に繋がれて殆ど動くことのない山下を会いに行くことがつらかった。


最近は学校にいる時はぼんやりと毎日を過ごすことが多くなった。


学校が終わると身体を動かしていないと変になりそうで、道場に通い、ひたすら練習をした。


俺は……何なんだろうか?


気がつくと教室が薄暗くなっていた。机に座ったまま、眠っていたようだ。



前方の関本の席に誰か座っていた。



「藤井くん、帰ろう。もう、真っ暗だよ」


ひらきだった。


俺の頭に乗せていた手を静かに降ろす。


何故か、ひらきは悲しい顔をしていた。


……いや、ひらきはあの日からずっと悲しい顔をしている。


俺は彼女になんて声をかければ良いんだろう。


ずっと言葉が出てこない。


「うん、ごめん。待たせた。帰ろう」


自分とひらきの荷物を持つと、立ち上がった。


少し足早に教室を出た。


昇降口の階段を下る頃にはあたりは真っ暗になっていた。


なかなか降りてこないひらきを下から見上げると、こちらの視線に気がついたのかひらきが急に駆け降りてきた。


降りてくるひらきの足音が一定のリズムではないことに気がついた。


この感触はまずい……!


「キャッ!」


前のめりに転倒しそうになったひらきを抱きとめた。


……ほんのり甘い香りがした。


ひらきと始めて話したあの日と同じ香りだった。


ひらきの髪が俺の顔をそっと撫でてくる。


はっとして、ひらきから離れた。何をしてるんだ、俺は。


「ご、ごめん」


その時、ひらきのコートからひらりと紙が落ちてきた。


倒れそうになった反動でポケットから落ちたようだ。


それが何なのか暗くてよく見えなかったが、拾い上げてひらきに手渡した。


でも、階段横にある街灯の光に反射して、その紙が何なのか分かった。


「ひらき、これ……」


「りえ……ピンからもらった白紙の手紙だよ」


二人を沈黙が包む。


気まずくなったのか、ひらきが白紙の手紙を封筒から取り出し、広げてみせた。


「いつもしっかりしているりえピンでもこんなミスするんだね」


「……そうだな」


まるで二人して喪に服すかのように、故人を慈しむかのように話した。


山下は死んでなんかいないのに……。


ひらきは手紙を広げたまま、涙を流し始めた。


大きな瞳を見開いて、何かに驚いたような表情をしていた。


「……ひらき? 」


「あっはっはっはっは」


ひらきの様子がおかしい、ついに狂ってしまったのかと思った。


だが、違った。


「凄い……凄いよ。りえピン、こんなことって……」


「ひ、ひらき? 」


くるりと振り返ったひらきの髪がふわりと宙を舞う。涙で濡れた瞳を薄く開け、少しだけ口元に笑みを浮かべた。



ああ……綺麗だな……。



不謹慎だと思う。でも、素直にそう思ってしまった。


ひらきは真剣な表情で俺に語りかけてくれた。


「この手紙……ちゃんと文字が書いてあるんだ」


俺には白紙の紙にしか見えなかった。だが、ひらきには違った。



「私にしか……私のシナスタジアじゃないと読めない文字が書いてあったんだ」



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