7月28日『方眼』

文夜の霊と話した次の日。

図書館を閉館した後、愛衣は来夢の部屋で千燈の日記を開いていた。翠色のインクで描かれた物語は、彼自身が言ったように、どれもがハッピーエンドのお話だった。

「また読んでるんですか」

凍らせたイチゴとラズベリーとブルーベリーを入れたアイスティーのグラスが、そっと愛衣の前に置かれた。

「なんか、つい読みたくなっちゃうんですよね、文夜さんのお話」

だからこそ、続きがないのがもったいない。

昨日、時間がほしいと文夜に言ったけれど、自分が同じようなものを書けるとは思えなくて、原稿用紙もペンも持てていなかった。文夜にも、書く書かないは任せると言われたが、こういう時に優柔不断が顔を出すのだから嫌になってくる。

ソファーの後ろから、優しい手つきでするりと頭を撫でられた。来夢は本棚とは別の戸棚から綴じた原稿用紙の束を三冊ほど持ち出してきて、隣に深く腰掛けた。

「じゃあ、僕は愛衣ちゃんが書いたお話を読みましょうかね」

「本人の前で読んじゃうんですか?」

「読んじゃうんです」

普段は誰にも見せない穏やかな笑みを浮かべて、原稿用紙の束に視線を落とした。

静かな読書の時間に沈もうとしていた時、愛衣のスマホが音を立てて鳴り響いた。メッセージの通知ではなく、電話の方だ。画面を確認すると、悠馬の名前が出ている。

滅多に連絡してこないのに、どうしたんだろう。

来夢に断りを入れて、窓辺で通話ボタンを押した。

「どうしたの、悠馬」

『おい、ここ開けろ』

「それが人にものを頼む態度? っていうか開けろって、今どこにいるの?」

『星空図書館の玄関。閉まんの早すぎだわ』

「なんで」

『花葉の療養場所がわかった。資料持ってきたんだけど、今すぐ開けなかったら持って帰る』

「ちょっと待ってて!」



悠馬が持ってきてくれた資料は、方眼用紙に手書きでまとめた簡素なものだった。

来夢と頭を合わせるようにして資料を確認していく。

「愛知県の奥三河おくみかわ設楽郡東栄町したらぐんとうえいちょうにあるスターレイン・フォレストキャンプ場。廃校になった小学校をベースにして作られたキャンプ場で、天文台とロッジやバンガローもある」

近くに滝もある、と悠馬は教えてくれた。幻翠げんすいの滝、と呼ばれ、その名の通り幻想的な翠色の光景らしいが、立ち入り禁止になっているという。

来夢と顔を見合わせる。彼も確信したのか、こくりと頷いた。

「森に入るときの注意事項で、滝の周りは水難事故があったから入れないようになってるって、教えられたことがあってさ。んで、兄さんに連絡とって、詳しいこと教えてもらった」

確かに、ここに間違いはなさそうだ。『星が降り、蛍舞う里』という言葉は、このキャンプ場のコピーフレーズだったこともわかった。

「確かに、可能性は無いことも無いですね」

来夢も唇に指を当てて考え込んでいる。

「で、行くの? 行かないの?」

「どこに」

「スタフォレに決まってんだろ。スターレイン・フォレストキャンプ場」

さも当たり前のように言うものだから、愛衣も来夢も一拍置いてから「はぁ?」と間の抜けた声が出た。

「おまえダメっつっても行くたちだろ」

八月に入ってから、と口を付くと、悠馬はまた呆れたように声をかぶせてくる。

「それでもいいけど、八月は天文現象たくさんあるぞ。天文マニアに加えて部活動の高校生たち、カップルだって来るし、おまけにお盆の時期にペルセウス流星群の時期が重なるから、家族連れも大勢来る。騒がしくなるけど、来夢くん大丈夫?」


話し合いによってキャンプ場行きは七月の三十、三十一日、つまり明後日になった。

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