7月20日『甘くない』
星空図書館でのお手伝い、といっても愛衣のすることといえば、本棚の整理だったり、返却図書を棚に戻したり、貸出要望のある図書を探したり、と簡単なことだけだ。本の案内や在庫に関しては来夢を通すので、厄介な案件は回ってこない。これも来夢の気遣いなのだろうけれど、なんとなく物足りない気がした。
そうして時間は過ぎて、閉館後。
白いカモミールを浮かべたハーブティーが入ったカップを、両手で包み込むように持って、部屋の主人を待つ。あたたかくて甘い金色の紅茶は、冷房でいつのまにか冷えていた体を内側から温めてくれる。
先ほどから来夢は、訪ねてきたクラスメイトの春希となにやら話し込んでいた。
まだかなと扉の方に視線を送っていると、窓辺の止まり木で白いフクロウが二、三回羽ばたいた。来夢と共に暮らしているクリスだ。
カップをテーブルに置いてクリスの眉間を指で撫でると、ぴぃ、と可愛らしい声を出した。来夢がいうには甘えているときの声らしい。
「あなたのご主人は夏休みでも忙しいんですね」
話しかけても、気持ちよさそうに目を閉じるだけだ。
「桃子を連れて来れなくてごめんなさいね。最近の名古屋は気温も湿度も高すぎて、外へ出してやりたくても、できないんです」
首のあたりをかいてやると、さらにきゅーっと糸目になった。
「クリスとお話しですか?」
部屋の入り口で来夢が新しい紅茶が入ったポットを持って立っていた。
「一人にさせてすみません。春希がどうしても伝えときたいことがあるというものでしたから」
「春希さんって、呪い屋さんの?」
えぇ、と来夢もクリスの額を撫でる。けれど表情はかすかに翳っている。
「なにか、大事なご用でしたか?」
来夢の表情がさらに曇る。
「愛衣ちゃん。花をくれるミケ猫のことですが、
「えぇ」
来夢は唇に指を当てて少し考え込んでいた。
「あの猫は、もしかしたら愛衣ちゃんを文夜さんと間違えているのでしょうか」
「……どういうこと?」
愛衣と文夜では、まず性別が違うし間違えることなんか。
そう反論しようとして口を開いたが、思いとどまった。先日見た夢を思い出したからだ。自分と同じ
「『猫に
「いいえ、初めて聞きます」
「猫はたくさんの命を持っていて、九回生まれ変わることができる、という言い伝えです。迷信とも言われていますが」
淡々とした口調で来夢は続けた。
「春希が違和感を感じて調べてくれたそうです。北斗は生まれ変わって九回目の命だと」
どうやって調べたんだろう。それは来夢も疑問に思ったが、春希は企業秘密といって教えてはくれなかったそうだ。来夢は勉強机に置いてあった千燈の日記を手に取ると、静かに表紙を開いた。ゆっくりとページをめくって、あるところで手を止める。
どうぞ、と差し出されたページには、こう書かれていた。
『どうして、彼はいなくなってしまったの?
物語の続きはどこにあるの?
ほっちゃんを抱きしめて、今日も泣いてしまう。
涙が溢れてきて、止まらないのです。
彼は、自転車に乗ってやってきません。
あの美しい言葉たちを引き連れて、私の元へはやってこないのです。
お願いします、どうか、どうか。
あの人の書く物語を返して。
文夜くんを連れて行かないで。
私はまだ、声を取り戻せていないのです。
面と向かって「文夜くん」と呼んでいないのです』
心臓がどくんと大きく跳ねた。
こないだまでは『平沢くん』と呼んでいたのに、いつの間にか『文夜くん』となっていた。
以前まで読んだところでは、くすぐったくて、切なくて、甘くて胸がときめくような言葉が、大事な宝石のように並んでいたはずだったのに。
この言葉はちっとも甘くなんかない。ただ、ぎゅっと胸を締め付けられて、泣きたいのに泣けなくて、ただ声を押し殺して、寂しさが胸を押し潰している。その寂しさが、足元から一気に駆け上がってくるようで、たまらず来夢の服を掴んだ。
「九回も生と死を繰り返してまで、文夜さんを探していたのかもしれません」
「でも……」
声が震えていた。
得体の知れない何かに、知らずのうちに巻き込まれていく。
「どうして、私を……?」
彼のような親戚がいたなんて、一度も聞いたことがない。
ぐるぐると忙しなく回り出した脳が、自分と彼との共通点を一つ見つけ出した。
「私が……物語を書くから……?」
来夢はなにも言わなかった。ただ、何かから守るように背中に手を回してくれた。
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