7月15日『解く』
夜も更け、昼間の暑さが幾分か和らいだ頃。来夢は自室のランプ型の電気スタンドを点けて、勉強机に向かい、
ここ最近、日記について気になることが多かった。
千燈が田舎に療養に来た理由。学校に行けない病……いわゆる引きこもり。
文夜が千燈に渡していたという緑色のインクで書かれた物語。愛衣もまた、文芸部に所属していて自ら物語を書いては来夢に読ませてくれる。
それから、ここ最近で愛衣の前に現れるようになったミケ猫。千燈の叔父の家にいたという猫も、よくよく読み返してみると三毛猫だったと書かれていた。
偶然にしては、繋がりすぎている。
その手掛かりがこの日記に書いてあるのではと考えたのだ。愛衣とゆっくり読み進めていこうと言っていたが、そうはいっていられない。もし、何かしら起こった後では遅いのだ。
読み開いた臙脂色の文字が綴るのは、千燈と文夜の、まるで物語のような時間だった。物語そのものと言っていいだろう。
家から出ることを拒んでいた千燈に、外の世界を教えるように、文夜は夕刊と一緒にいろんなものを届けてくれていた。
夕暮れのオレンジ色の中に現れた、束の間の儚い虹。七夕祭りの帰りに、買って届けてくれたリンゴ飴の艶やかな紅色。森に咲いていた白百合の、瑞々しい香りと花弁。文夜の学校にあったディスクオルゴールの可憐な音色。そして
『私のことには踏み込んでこない。そこが居心地がいいのかもしれません。その代わりと、平沢くんは夕刊を届けに来るたびに、私にいろんなものを見せてくれるのです』
『りんご飴、というものを初めて見ました。皮ごと雨の中に閉じ込められた林檎は、見たこともないくらいに赤々としていて、まるで小さな宝石を齧っているみたいです。いけないことをしているようで、神様に見られたら、きっと楽園を追い出されてしまうかもしれません』
『学校から帰る途中に見つけた、と、無邪気に差し出されたのは見事な白百合でした。白百合なら温室にも咲いているけれど、平沢くんの持ってきてくれたそれは、昼間にさっと降った通り雨の雫が花弁についていて、陽の光に当たってまるで金剛石みたいに輝くんです。芳しい香りは、静かな森の気配を含んでいて、温室の百合たちよりも誇らしげに香っているのです』
読んでいくうちに。千燈の言葉が愛衣の声で聞こえるようになっていた。
『平沢くんは、私が故意に話さないんじゃないってわかってくれた次の日、学校から大きなスケッチブックと青色のマジックペンを持ってきて、私にくれたのです。
“声に出せなくても、これで話せないかな”
私のペースで構わないから、と付け足してくれて、今までに感じたことがないくらいに胸がドキドキと高鳴りました』
『私がスケッチブックを使わないので、平沢くんが不貞腐れてしまいました。特別に思えてきて、いざ使おうとしても、もったいなくて結局やめてしまうのです。それを思い切って、手紙に書いて渡してみたら、なんと手紙で返してくれました。どうしましょう、また宝物が増えてしまいます』
読み解いていくうちに、来夢は初めて愛衣と出会った時のことが蘇ってきた。偶然に愛衣が星空図書館を訪れて、読書をする姿が目に焼きついて、思わず自分から声をかけたんだっけ。
少しずつ芽生えていく、初々しい淡い感情。なるほど。これは確かに、永遠を望まずにはいられない。
『私が本が好きと知ると、彼は手紙に、小さい物語を書いてくれるようになりました。子どもに聞かせるような、たあいのないお話でしたが、心がぽかぽかと温かくなってくるのです』
『今日は、少し長いお話でした。二匹の猫が、ちょっと遠くまで冒険するお話です。黒猫と白猫、どっちも可愛らしいんです。そう、ほっちゃんに言うと、拗ねたようにしっぽを振ってました。ほっちゃんは三毛猫ですから、ヤキモチでしょうね』
そうして何日も続く長い物語になっていった。
文夜の物語のページをめくっていくと、その物語は愛衣の書く話によく似た雰囲気をしていた。
すると、途中からその雰囲気が無くなった。ページが真っ白になっていたのだ。
「……え?」
何も書かれていなかった。物語が途切れていたのだ。
そして、あるページに目が留まった。
「これは……」
そこに書かれていた文字に、来夢は目を開いた。
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