7月11日『飴色』

――――あたたかな、幸せに似た匂いがする。


重たい瞼を開けると、視界はぼんやりと滲んでいた。何度か瞬きをして、手の甲で目を擦る。眼鏡がない。どこに置いたのだろう。

どうやらソファーで居眠りをしてしまったらしい。ふと、体にかけられたブランケットに気づく。今は七月の中旬に差し掛かったところで、ブランケットなんて使っていないはずだ。

それから、一気に脳が覚醒した。

書類を読み終えてから、少し休憩しようとして、そのまま眠ってしまったのか。

「……しまった、」

体を起こすと、首の後ろと肩甲骨のあたりがにぶく痛んだ。肩も荷物を背負っている時みたいに重たい。ずきんと痛んだ頭に手をやると、やわらかな声が頭上から降ってきた。

「おはようございます、お寝坊さん」

覗き込むようにして、愛衣の顔が目の前に現れた。

「来られてたんですね」

いつから来ていたのか。聞くと午後の三時ごろからと答えた。今の時間を確認すると、すでに夜の七時を回っていた。窓の外は、ちょうど夕陽が落ちようとしているところで、オレンジ色と紺色が混ざり合い、空は不思議な色をしていた。

「すみません、少し休むはずが」

「いいんですよ。図書館の方はちゃんと対応してましたので」

「え、愛衣ちゃんがですか?」

「はい。今日は来館される方が多くて。あ、でも途中から留宇さんが来てくださいましたよ。もう帰られましたけど」

どうやら彼女に大変な迷惑をかけてしまったらしい。頭を抱えていると、愛衣は頭を優しく撫でて、穏やかに体調の具合を聞いてきた。体調は特に問題はなかったので、そう答えた。

「それなら、少し疲れが溜まっていたんですね」

ソファーの傍に座り込んで、今度は愛衣が来夢を見上げる姿勢になる。

「千燈さんの日記のこと、調べてくれていたんでしょう? ありがとうございます」

愛衣が目をやる方を見ると、テーブルに置いた千燈の日記と一緒に、数枚のプリントが置いてあった。そういえば、気になるところがいくつかあって、調べていたんだった。

「ごはん、食べられそうですか?」

気分的に寝起きなので食欲はそこまでない。しかし体は正直なもので、くぅ、と控えめに催促を始めた。一気に顔全体が熱くなり、ブランケットで顔を隠す。彼女はというと、お腹が空くのはいいことです、とくすぐったそうに笑い声を立てて、勉強机においてあったトレイを、ソファー横のラウンドテーブルへと移してくれた。

美味しそうな匂いが強くなり、あ、と声が漏れる。あの、幸せに似た匂いだ。

「夏野菜は体を冷やすので、オニオングラタンスープにしてみました」

白い器の中に、飴色のスープととろけたチーズが乗ったバケットが、たっぷりと入っている。匂いの正体は、コンソメスープだったのだ。

「これ、愛衣ちゃんが……?」

彼女は恥ずかしそうに肩をすくめた。それから背筋を伸ばして軽く咳払いをしてから、恭しくお辞儀をして見せた。

「どうぞ、お召し上がりくださいませ。来夢様」

まだ食べてもいないのに、胸とお腹のあたりが温かくなっていって、どうしてか、泣きそうになった。

この匂いのせいだ。

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