7月8日『こもれび』

六月の週末に叔父さんの家に越してきて、今日、ようやく荷解にほどきが終わりました。これで私はいよいよ親に見捨てられたんだと、改めて実感した気がします。

『学校に行けない病』は、薬でも治らない。だから私は要らなくなったんでしょう。弟もいるから、一人減ったところでなにも変わらないのかもしれません。

叔父さんは、この付近の小学校の校長先生をしていて、叔母さんも学童の運営を手伝っています。なので、この時期は子どもたちの夏休みに向けて、少し忙しそうです。

この家にはもう一人、いえ、もう一匹がいます。

白色と薄茶色と濃い茶色をした猫がいて、名前は北斗ほくと(みんなはほっちゃんと呼んでいます)といいます。ここに来た初日におやつをあげてたら、さっそく懐かれました。今ではどこへ行くにも、私の後をついてきます。



ここに来て既に一週間ほどが経ちますが、私には習慣が出来ました。叔父さんの書斎から本を借りて、叔母さんの温室で一日を過ごすことです。

オルゴールの小箱みたいに、ちょっと洒落た外観の館の中は、特に変わったものはありませんでした。あるとするなら、この温室です。叔母さんの趣味だそうで、いつ行っても花が咲いているのです。

案内してもらったその日の午後に、その温室に行ってみることにしました。

今は夏で、外は蒸し暑いのに温室の中は少し涼しいです。それでいてたくさんの見たこともない花が咲いていました。図鑑で見たことのあるものなら、白百合、チューリップ、サルビアに月見草、他にも咲く前の月下美人や夜来香やらいこうもありました。

のびのびと枝葉を伸ばすオレンジの樹の下には、ラウンドテーブルとガーデンチェアが設置してあり、ゆったりと寛げるようにもなっていました。天気がいい日はこもれびができて心地よいと、叔母さんも仰ってました。

今では、すっかり私のお気に入りの場所です。



学校に行けない病の私は、ここでも外に出ることさえを躊躇ってしまいます。

けれどその日の夕方、書斎から温室に向かうときに、庭から知らない人が見えました。私よりも少しだけ背が高く、肩まである黒い髪はひとつに括り、質素な白いTシャツにジーンズといったラフな格好をしています。郵便配達の鞄を肩から提げ、ちょうどポストに手紙を入れるところでした。

その人は私に気づくと「あんた、ここの人?」と聞いてきました。声からして男の子でした。

その人が差し出した郵便を受け取ると、彼は直ぐに自転車に乗って、次の家に向かっていきました。

私はここに来て、初めて叔父さんたち以外の人と接しました。



次の日。昨日と同じ時間、ついうっかり庭に出たとき、あの男の子に声をかけられました。

「よぉ、これ花葉かようのせんせーに渡しといて」

夕刊と一緒に手紙が何通かを渡されました。(叔父さんは校長先生だから、周囲の人からは「先生」と呼ばれているそうです。)

「あんた、せんせーの親戚?」

きた、と思いました。

「どっから来たの?」

口を開いても、緊張なのか、唇は震えて声が出てきません。

「言いたくない?」

塀に両腕と顎を乗せた男の子は、気を遣うようにこちらを見てきます。私が頷くと、彼はなんともあっけらかんとこう言ったのです。

「そっか。言いたくないなら仕方ないな」

そう言って自転車に乗ると、またなー、と颯爽と走っていってしまいました。

不思議な感覚でした。みんなの前で上手く喋れなくなってからというもの、あんなふうに、仕方ないな、と詮索してこない人は初めてでした。

夕ご飯のとき、さりげなく叔母さんに聞いてみることにしました。彼は平沢ひらさわ文夜ふみやくんといって、この地域を担当する郵便局長のお孫さんだそうです。ご両親はおらず、ここから自転車で一つ山を超えた学園の中等部に通っているそうです。配達のお手伝いをして、子どもたちの遊び相手もしてくれるお兄さんだとか。

「ゆきちゃんも、すぐに仲良くなると思うわ」

叔母さんはそう言っていたけれど、どうでしょう。

まだ不安です。

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