7月7日『酒涙雨』

織姫と彦星が再会に喜びの涙を流した、と言われる酒涙雨。にしては少し早い時間に降った夕立の音が、すっかり収まっているのに気づいたのは、星空図書館のオルゴール時計が午後十七時を報せたときだった。読んでいた書物顔を上げると、螺旋書架のてっぺんにあるステンドグラスから、きらきらと光が降り注いでいた。

来夢は先程から訪れた業者の人と話している。愛衣は一人、千燈の日記を読んでいた。ちょうど七夕のことが書かれたページがあったからだ。七夕の短冊に、友だちが欲しい、と書いたら村の子たちと友達になれて嬉しい、と書かれてあった。

「よかった……千燈さん、七夕でお友だちできたんだ……」

そういえば自分も小さい頃、なかなか友だちの輪に馴染めず、そんな願いごとを短冊に書いた覚えがある。

懐かしいなぁ、とページをなぞった時。

「来夢ー! いるー?」

大人っぽい艶のある声が、扉が開くと共に入ってきた。

ウェーブのかかった明るいオレンジ色の髪をたなびかせ、堂々とした足取りで入ってきたのは、来夢のクラスメイトである松島聖蘭だった。

「聖蘭ちゃん」

「あぁ、愛衣ちゃん、こんにちは。来夢は?」

「今、本屋の業者さんが来られてて、お話してますよ」

そう告げると、彼女はあーっと片手で顔を覆った。

「そっかぁ、タイミング悪っ……」

聞くと、学園の寮に飾る七夕の短冊を回収しに来たのだと言う。

その事について愛衣はなにも聞かされていなかった。謝罪を口にすると、聖蘭も申し訳なさそうに両手を振った。

「いいのいいの、愛衣ちゃんが知らなくて当然よ。それより……」

大きなつり目を楽しそうに輝かせて、愛衣に近づいてきた。

「愛衣ちゃん、その服どうしたの? いつも着てるのとは違う系統だけど」

そう言われて自分の服装を見下ろす。リボンレースのついたシャツにクラシカルなデザインをした、紅茶色のストラップスカート。スカートの裾には、薔薇と蔦の絵柄が織り込まれている。来夢が選定したものらしいが、こんなにオシャレなものを着たことがない愛衣は、さっきから落ち着かなかったのだ。

「さっき夕立に降られてしまって。来夢くんが買っておいてくれたものらしいんですけど、あんまり似合わないですよね……あはは……」

苦笑いをすると、聖蘭はむっと唇を尖らせて大股で近づいてくる。

「もぅ! 恋する女の子がそんなこと言っちゃダメよ! ほら、髪をまとめてあげる! ついでにメイクも似合うようにやってあげるから!」

椅子に座らされると、どこから出したのか、ポーチからメイク道具を出してテーブルに並べ、手際よく髪に櫛を入れて梳き始めた。

「愛衣ちゃんの髪って、けっこうしっかりしてるのね」

「うん、強情でしょ? だからパーマとかもかかりづらくて」

「それならそれなりのアレンジがあるのよ。この私に任せなさい。来夢をもっと惚れされましょ!」

オシャレのことや、学校のこと、好きな人のこと、趣味のことなんかをおしゃべりしながら、髪と顔周りを綺麗にしてもらうこと三十分。

「ほら、ちょっとだけど、けっこう良いでしょ?」

手鏡を渡されて覗いてみると、見た事のない顔をした自分がいた。

「……はい、私じゃないみたいです。魔法みたい……」

「いいこと言うわね。メイクアップは乙女の魔法よ。そんでもって、ここにいるのは正真正銘の愛衣ちゃんなの。もっと自信持ちなさい」

聖蘭ちゃんは満足そうに笑って、ぽんと両肩に手を置いた。

「ありがとうございます、聖蘭ちゃん。そうだ、お礼といってはなんですけど……」

スクールバッグを漁って、目当てのものを出して聖蘭に差し出す。

「どうぞ」

「なにこれ」

「ウィッシュスターっていうんです。紙で作った星を、こうして小瓶に入れて、その中にお願いごとを囁いて唱えるんです。これを、七夕の星明かりにさらして、大切に保管しておけば、お願いごとが叶うっていうおまじないです」

おまじない、と聞いて聖蘭は大事そうに両手で小瓶を受け取った。

「へぇ〜 なんかロマンチックね」

そういう声は、なんだかさっきよりも少し高かった。

「おまじない、というよりはお守りに近い感じですかね。願いも口にしないと、自覚が持てない時もありますから」

「私が貰っちゃっていいの?」

「もちろん! 仲良しになった証です」

「ふふっ、ありがとう、愛衣ちゃん」

その声に重なるように、奥から愛衣を呼ぶ落ち着いた声が聞こえ、来夢がこちらにやってくるのが見えた。

「あ、やっと来た。彼女ほっといて何やってたのよ」

「なんだ、うるさいと思ったら聖蘭でしたか……っ、愛衣ちゃん、その髪……」

「どーお? 私がメイクした愛衣ちゃん! かっわいいでしょ〜」

肩を引き寄せて聖蘭がどやっと笑ってみせ、愛衣は心臓が飛び出るかと思うくらいにドキドキしていた。

来夢はというと、なんとも悔しそうな表情でこちらを見ていたが、ポケットから一枚の短冊を出して、聖蘭に差し出した。

「ほらこれ、七夕の短冊です。用はこれだけでしょう。とっとと帰ってください」

なによその反応! と唇を尖らせていた聖蘭だったが、短冊を受け取るという目的は果たしたので、そのまま扉に向かって歩いていく。さっき渡した小瓶は、大切そうに右手に抱えられていた。

「愛衣ちゃんまたね。今度小豆たち誘って、ショッピングでも行きましょ!」

「はい、ぜひお願いします!」

じゃあね〜と上機嫌の聖蘭は、蝶々のように手を振って出ていった。ばたん、と閉まる音の後に、いつもの海の底のような静寂が戻ってきて二人を包んだ。

そっと来夢の方を見上げると、気づいたように目が合った。

「まったく、好き勝手にされてしまって……」

軽いため息の後、手が顔に伸びてきて、そっとほつれ髪を耳に掛ける。そのまま親指で頬を撫でて、髪型を崩さないようにとびきり優しく頭を撫でた。

なんとなく気になって、思っていたことを口にしてみた。

「来夢くん、まだ、聖蘭ちゃんのこと気になりますか?」

ぱっと瞬きして、来夢は大きく目を見開いた。愛衣にも緊張が走って、肩に力が入り、息が止まる。

「…………いつからそのことを?」

「…………私が来夢くんに告白するずっと前から」

声が震えて、気づかれないように来夢から離れようとしたけれど、髪に触れた手は離してくれなかった。

来夢が聖蘭のことを特別な意味で好ましく思っているのは、見ていてわかった。終わったことだとしても、それは残滓になって来夢の周りを漂っていて、一時、愛衣は告白するのを諦めようとしたほどだ。

瞼を伏せていたせいで、来夢の顔が近づいてくることに気づかなかった。ふと顔を上げたタイミングで唇が軽く重なって、一瞬だけ熱を帯びた。

「愛衣ちゃんに出会う前に、終わったことです。今はあなた一筋ですよ。これだけ一途に思っているのに、まだ伝え足りないですか」

額をくっつけて、猫がするみたいに甘えるように鼻を擦り寄せる。

「充分過ぎるほど伝わってますよ」

お返しに、頬に軽くキスを落とした。


「ところで来夢くん、七夕の短冊、なんて書いてたんですか?」

「秘密ですよ」

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