第29話 家族の意味

 それからどうやっておじさんの家まで帰ったのか、よく覚えていない。ほぼ無意識で電車の切符を買って、感情の整理もつかないままに電車で揺られて帰ってきたのは確かだったのだが。


 家に辿り着いてから玄関のドアを開けるまで、随分と時間がかかった。何とか感情を押さえ込んで、思い切ってドアを開けて中に入ると、早速帆夏ほのかさんが出迎えてくれる。


「あら、咲希さきさん。お帰りなさい」


「……ただいま」


 憂鬱ゆううつな気分のまま、自分が使っている部屋に戻ろうとしていたところ、居間でテレビを見ていたおじさんから声を掛けられた。


「おう、咲希よ。親父さんと会ってみて、どうだった?」


「……会わなきゃ良かった」


「はあっ? 何じゃそりゃ?」


 いぶかしげな顔をしたおじさんにそれ以上返事をする気力もなかったので、そのまま部屋へと戻る。


 それからお風呂に入ってメイクを落として、再び自分の部屋へ戻ると、今度は寝間着姿の莉奈りなさんが待っていた。


「何か用ですか?」


 私が尋ねると、莉奈さんは何とも気まずそうな笑みを浮かべた。


「い、いやー、今夜は久しぶりに咲希っちと一緒に寝てみたいなー、なんて思ったりして」


 なるほど、言われてみれば布団は二組敷かれている。いつもだったらもう一組の布団はおじさんが使っているのだが、莉奈さんが隣で一緒っていうのは、この家に来て初めての夜以来だろう。


「今日は仕事じゃなかったんですね」


「えっ? あ、ああ、まあね。ほら、アタシだってたまにはゆっくりしたい時もあるし」


 この話しぶりからすると、本当は仕事の日だったけれども休んだっぽいなぁ。何となく理由は想像出来るけれども。


「すみません、今日はとても疲れました。私、もう寝ます」


「えっ……じゃ、じゃあ私も、ちょっと早いけれども寝よっかな。電気消すね」


 そう言って、部屋の電気を消してくれる莉奈さん。私は莉奈さんに背を向けるようにして、布団に潜り込む。


「ねえ、咲希っち……お父さんと会ってみて、どうだった?」


 しばらくしてから、暗い部屋の中で莉奈さんの声がした。おじさんと同じで、やっぱり聞かれるのはそのことか。


 私が無言のままでいると、莉奈さんは何とも喋りにくそうに言葉を続ける。


「いやほら、創太そうたも帆夏さんも心配してたよ、咲希っちのこと。そりゃあ、表立ってそんな素振りは見せていなかったけれどもさ」


「……」


「それに、帰ってきてからの咲希っちの雰囲気からすると、何となく想像はつくんだけれども……無理強いはしないけれど、話せば気が楽になることだってあるだろうし」


「すみません、今は思い出したくもないんです」


 私の言葉に、少しの間無言になる莉奈さん。


「……そんなに嫌な人だったの、お父さん」


 莉奈さんからの質問に、しばし考え込んでしまう。どこがどう嫌だったのか――。


「分かりません」


「分からない、って、どゆこと?」


 これ以上話を続けるべきかどうか少し迷ったが、やむなく言葉を続けた。莉奈さんは以前、キャバ嬢は相手の気持ちを上手く吐き出させて、ストレスを解消させてあげるのが仕事のうちだと言っていた。今回は少し甘えてみよう。


「最初は、私達を捨てた父親のことが憎くて仕方がありませんでした。でも、父親の話を聞いていると、お母さんとの間にも色々と事情があったことが分かりました」


「ふうん」


「でも、結局父親は私やお母さんのことよりも、自分の会社のことが大事なんだって分かって、とことん嫌気が差したんです」


「えっ、何それ?」


 やや素っ頓狂な声をあげた莉奈さんに、暗闇の中で自嘲する。


「家族が全員いなくなった中で自分の跡継ぎがいないと、自分が死んだときに会社が混乱するからって……そんな理由で、父親は私と一緒になりたいって言われたんです」


「それはまた、何とも……」


「私とお母さんを捨てたのも会社の事情で、私に戻ってきて欲しいっていうのも会社の事情……大企業の社長だか会長だか知りませんが、あんまりにも身勝手すぎると思いませんか」


 暗い天井を見上げてそう言うと、莉奈さんは隣で小さく唸った。


「うーん……確かに咲希っちの気持ちは分かるんだけれどもさ。アタシはちょっとだけ、咲希っちのことが羨ましいかも」


「は?」


 この話の流れで、どうしてそんな感想が出てくるのか。


「だってさ、理由はともあれ、お父さんは咲希っちに自分のところへ帰ってきてくれって言ってるわけでしょ? アタシは親元を飛び出してから一度も、そんな風に言われたことがないからさ」


 莉奈さん、そういう言い方は正直ずるいと思う。こちらもおいそれと否定出来ないではないか。


「でもまあ、咲希っちのお父さんにしたって、大企業のお偉いさんだっていう割にはずいぶんと口下手だよねぇ。そりゃあ会社の事情だって色々あったのかも知れないけれど、他にもっと言わなきゃいけないことがあったはずなのにさ」


「他に、言わなければいけなかったこと?」


「そう。家族として、咲希っちと一緒にいたいって」


 思いがけない莉奈さんの言葉に、軽く頭を殴られたような気分になった。もしもそんな風に言われていたら、私はどう答えていたのだろうか。


「莉奈さん……家族って、一体何だと思いますか?」


 私の問いかけに、再び唸る莉奈さん。


「咲希っち、難しいこと聞いてくるなぁ……そうだねぇ、今のアタシにとっては、この家のみんな、かな」


「ですよね」


「でもね、この家での人間関係って結局、お互いの利害関係がたまたま一致しているってだけなんじゃないかって思うよ」


 莉奈さんの言葉に、今度は私が唸る。


「だってさ、この家のみんなってそれぞれポジションみたいなものがあるけれども、結局は赤の他人同士じゃん? 法律上結婚している創太とイェンの間柄はともかくとして、他のみんなを本当に家族って呼んで良いのかどうか、アタシには分からないかも」


「私にとっては血の繋がっている父親よりも、ここの皆さんの方が家族だって感じがしますけれど」


「うれしいこと言ってくれちゃって、このー」


 莉奈さん、人の布団に潜り込んできて抱きつくのはやめて欲しいです。何か色々と気まずいから。


 私の背中に抱きついたまま、莉奈さんが私の耳元にささやく。


「でもね、アタシが言うのも何だけれど、やっぱり実の家族がいるんだったら、仲は良いにこしたことはないと思うよ……咲希っちは、アタシみたいになっちゃ駄目」


 それだけ言い残して、莉奈さんはいそいそと自分の布団へ戻っていった――やれやれ。一体何なんだかなぁ、もう。

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