第28話 独白

「捨てた、か……確かに、その表現に間違いは無いな」


 少しの間を置いてから、男が深く長いため息をついた。


「そのことについては、何も弁解のしようがない」


「ですよね」


 ついつい辛辣になってしまう私の言葉に、男が苦笑する。


「今の私に出来ることは、咲希さきの質問に答えることぐらいだろうか……もしも知りたいことがあれば、だが」


 そうこうしているうちに、女将おかみさんの手で前菜の料理とお酒が運ばれてきた。さすがに第三者がいる場で、不毛なやり取りはしたくなかったから、お互いに押し黙ることになる。


 いかにも上等そうなお盆の上に、数々の料理が品良く飾られていた――のだが、正直なところ何が何だか分からない。とりあえず分かるのは茄子なす唐辛子とうがらし、何かの肉の料理ぐらいで、あとはさっぱりだ。


 お酒は日本酒の熱燗あつかんだったが、私はお酒のたぐいはたしなまない。そこでウーロン茶を頼むと、女将さんはすぐにグラスとセットで持ってきてくれた。


「乾杯……という雰囲気ではないな、今日は」


「……」


「まだ時間は十分にある。まずは料理をいただこう」


 そう言ってはしを手にする男。私が押し黙ったままでいると、男は軽くにらむような目をした。


「咲希。食事をいただかないことは、この店の人達に対して失礼になる」


 そう言われてしまうと、箸をつけない訳にもいかない。実のところここには話をしに来ただけで、この男から出されたものに手を付けるつもりはなかったのだが。


 しぶしぶ箸を手に取り、食事を口に運ぶ。当たり前と言えばそれまでなのだが、今までに食べたことがないくらいに美味しい。


 だが、美味しいという感想以外が出てこない。このような食事を食べ慣れていないこともあってか、具体的にどう美味しいのかが表現出来ないのだ。私が好きなのは、やはりお母さんが作ってくれた煮物の味だった。


「この店の料理長はまだ若いが、ミシュランの一つ星を獲得しているぐらいの良い腕をしている。それに、比較的こじんまりとした造りの店だから、しのんで来るにはちょうど良いんだ」


「そうですか」


「……食べながらで構わない。咲希、何か私に聞きたいことはないか」


 男の言葉に、内心戸惑った。当初は文句を山ほど言ってやるつもりだったのだが、いざ男を目の前にすると、緊張と困惑、そして若干の恐怖で、なかなか言葉が出てこない。


 なかなか上手く働かない頭の中で、ようやく出てきた言葉は――


「お母さんとは、どこで知り合ったんですか」


 その言葉を聞いた男は、箸を運ぶ手を止めて両腕を組んだ。


「そうだな、どこから話をしたらいいものか……お前のお母さんは私が会社の社長になってすぐの頃、私の秘書をしてくれていたんだ」


 私も初めて知る、お母さんの過去。でも、男の言葉を聞いてまず最初に思い浮かんだのは、秘書に手を出す社長の浮気のイメージだった。


「お前のお母さんは若いながらも優秀で、何よりとても優しい女性だった……一方、私はと言えば、父親から社長の座を継いだばかりで、社長として右も左も分からない若造だった」


「……」


「私の代になって会社を傾けさせる訳にはいかない。そんな思いが重圧となってのしかかっていた私を、お前のお母さんは非常に良く支えてくれた。そんなお前のお母さんに、私はある意味で甘え、そして好意を抱かずにはいられなかった」


 そこで男は気恥ずかしげな笑いを、自嘲じちょうのそれへと変えた。


「当時私は結婚していて、妻と幼い子供もいた。妻とのめには経営者一族としての事情があったが、もちろん妻や俊孝としたかのことを愛していた……ただ、お前のお母さんの温かさに心を奪われてしまったのが、私の犯した過ちだったと言えるだろう」


 そう言って、手酌てじゃくで日本酒を口にする男。私は少し震える唇で言った。


「それで、私が生まれたって訳ですか」


 怒りと困惑と、人を攻撃することに対しての恐怖。様々な感情が、胸の内でない交ぜになっている。


 私の言葉に、男は手にしていた杯をゆっくりと置いた。


「まあ、そういうことになるな」


 その時、再び部屋の扉が開いて、次の料理が運ばれてきた。赤魚の煮物が入ったお椀で、女将さんの説明によるとキンキという名前の魚らしい。


 再び二人きりになってから、男は口を開いた。


「食べながらで聞いてくれ。せっかくの料理が台無しになってはいけないから」


 この話の流れで、難しいことを言う。


「お前のお母さんは、最初は身ごもったことを隠そうとした。そのことに気づいたのは、当時の秘書室長だった。二人きりになった時に私が問いただすと、お前のお母さんはただ笑って、会社を辞めさせて欲しいと言った……おそらくは私をおもんぱかってのことだったのだろう」


 そう言った男は、少しの間無言になった。しばらくは視線を落としていたが、やがて視線を上げて言葉を続けた。


「お前のお母さんは、お前を産みたいと言った。新たに授かった命が愛おしいと言った。それを聞いて、私はそれ以上何も言えなくなった」


「……それで?」


「せめて父親との責任は果たしたいと言ったが、それも受け入れて貰えなかったよ……私には家族と立場があるから、と言ってね」


 そこで私は戸惑った。男の目が、やや充血して見える。やり場のない、私の感情の矛先。下ろしどころの無い、振り上げた私の拳。


 だが、いかにもお母さんが言いそうな言葉だとは思った。お母さんは人に優しく、自分に厳しい人だった。


「それからお前のお母さんは会社を辞めて、一人でお前を産み、育てた。私に出来ることと言えば、門坂かどさかを頼ってお前達親子の様子を陰ながら見守ることだけだった」


「言いたいことは、それだけですか」


 我ながら、随分と冷たい言葉だと思った。だが、私にはこの男の懺悔ざんげを聞く義理も、聞かなければならない理由も無いだろう。


 男はしばし絶句し、随分とたってから一つ咳払いをして言った。


「お前とお前のお母さんには、大変な苦労をかけた。済まない」


「……」


「その上で咲希、お前には勝手なことばかりを言ってしまうが、今度こそ本当の娘として、私の元へ帰ってきて欲しい」


「どうして私が、あなたの元へ行かなければならないんですか」


 私の問いに、男はしばらくの間黙っていたが、やがて重々しく口を開いた。


「それは……会社のため、だろうか」


「は?」


「今の私には妻も子もなく、私自身も年老いている。このままでは私がこの世を去ったとき、私が所有する会社の権利が宙に浮いてしまう。その時にはきっと会社は大混乱におちいり、下手をすると社員約四万人に多大な迷惑をかけてしまうかも知れない」


 その言葉を聞いて、胸の奥からふつふつと怒りが湧き上がってきた。何なんだ、その理由は――思わずテーブルを手のひらで強く叩いてしまう。


「そんな勝手なことばかり言って、人を振り回さないでっ!」


「咲希……」


 驚く男を睨みつけ、大声で思い切り言い放つ。


「やっぱりこんなところ、来るんじゃ無かった。帰ります」


 私はひったくるようにしてバッグを手に取り、お店の人達がびっくりする様子を横目に、そのまま振り返ること無く店を飛び出した。


 自分でも理由は分からなかったが、悔しくて悲しくて、腹立たしくて涙が止まらなかった。

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