第27話 父との対面

 私が鳴沢なるさわさんの車から降ろされた場所は、表参道の駅の近くでメインストリートから少し路地を入った場所にある、一棟のこじんまりとしたビルの前だった。


 コンクリート打ちっぱなしの、良く言えば小洒落こじゃれた感じの、悪く言えば無機質にも感じられるビルの一階のドアには「湖月こげつ」という看板が出ている。料亭と聞いて、てっきり豪勢な日本家屋をイメージしていたのだが、少々拍子抜けだ。


「Who dears wins、幸運を祈る」


 車を降りる時、鳴沢さんが私にそう言った――んだけれども、いきなり英語で言われても、さっぱり意味が分からない。ふーであずうぃんず?


 それはまあ良いとして、グレー一色の一見殺風景な扉を前に、私は少し膝の震えを感じた。門坂かどさかさんの話では、この店で父親が待っているはずなんだけれども――最初は会うだけ会って、文句の五つや六つも言ってやろうと思っていたのだが、いざ父親がいるはずの店の前に立つと、もうすぐ春だというのに何やら寒気が止まらない。


 とはいえ、店の前で立ち尽くしていても始まらないので、思い切ってお店のドアを開けてみる。簡素な見かけにしては意外にがっしりとしたドアで、手応えは結構重たかった。


 中は明るく綺麗で、いかにも日本料理のお店といった感じの造りだった。材質はよく分からないが、たぶん白木しらきっぽい上等そうなカウンターがまっすぐ伸びていて、椅子が八つほど並んでいる。カウンターの向こう側では、白衣に身を包んだ職人さん――ひょっとしたら、このお店の料理長さんだろうか――が、こちらを見てにこやかに笑っていた。


「いらっしゃいませ」


「えっと、あの……わ、私、高城たかじょうっていう者なのですが」


「ご来店いただき、誠にありがとうございます。お名前は伺っております……すぐにお部屋へご案内いたしますね」


 部屋に案内する、か――その部屋に待っている人物について敢えて触れないっていうのは、このお店なりの気遣いなのかな。


 すぐに店の奥から、このお店の女将おかみさんらしき和服姿の女性が出てきてくれたが、その人が私を見るなり遠慮がちに言った。


「あの、失礼かも知れませんが……ひょっとして、お身体の具合が悪いとか?」


「えっ……いえ、大丈夫ですが」


「そうですか……これは失礼いたしました。少し顔色が優れないご様子でしたもので、つい」


 そう言って頭を下げる女性に戸惑う。そんなに傍目から見て具合が悪そうに見えているのだろうか――いや、しっかりしろ、私。


 部屋に案内といっても、それほど大きな造りのお店ではないため、すぐに一つの引き戸の前へと通される。心臓がドキドキしてきた。


「失礼いたします、お客様がお越しになりました」


「……ああ、入ってもらってくれ」


 低い男の人の声。生まれて初めて聞く、父親の声。


 女性に引き戸を開けてもらって、部屋の中へと入る。和洋折衷わようせっちゅうっぽい落ち着いた感じの個室はこじんまりとした広さで、厚めの木製のテーブルに椅子が四脚。壁際の――何て言うんだったっけ、これ。書院、だったかな――ともかく壁際の棚のスペースには、立派な花瓶に生けられた豪華な花。


 その部屋の奥の椅子に、その男は座っていた。


「そんなところで立っていないで、中に入りなさい」


 そう言われて、ようやく私は自分が立ち尽くしていたことに気がつく。少し慌てて部屋の中に入ると、女性が一礼して引き戸を閉めた。


「え、えっと、あの……高城、咲希さきです。はじめまして、古橋ふるはしさん」


 しどろもどろになっている自分が情けなかった。この男にはいっぱい文句を言ってやるつもりでここへ来たというのに、どうしてこんなにも緊張してしまうのだろうか。


「古橋さん、か……まあ、そう呼ばれるのも致し方あるまい。とりあえず、席に着いたらどうだ」


 わずかに苦笑を浮かべた男の、真向かいの席に座る。どうしてもうつむき加減になってしまう自分を叱咤しったし、頑張って顔を上げた。


 会社のホームページで見た写真よりも、父親は少しやつれて見えた。髪の色も、グレーというよりは白髪に近い。細面で背が高そうなのは変わらないが、部屋の照明の加減のせいか、ややしわが目立つ。


 その男が、大きく息を吐いた。


「目と耳が私に似たようだが、あとはお母さんにそっくりだ……綺麗になったな、咲希」


 その言葉を聞いて、だんだんと頭に血が上ってきた。緊張よりも、怒りの方が勝ってくる。


「……お母さんと私を捨てた人が、知ったようなことを言わないで下さい」

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