第26話 似たもの同士

「鳴沢さんのお仕事って、探偵業じゃなかったんですか」


 車に乗り込んでから数分後、私はそう言わずにはいられなかった。


 父親に会ってもいいと門坂かどさかさんに電話をしたのが、三日前のこと。そこから急に日取りが決まって、今夜に食事を交えて東京都内で会うという話になった。


 その時に「迎えの車を手配しますから」とは聞いていたが、まさかまたこの人達と顔を合わせることになるとは思ってもいなかった。


「零細のしがない探偵事務所じゃ、仕事を選んでもいられなくてね」


 バックミラー越しに半分は自嘲じちょう、半分は皮肉を込めたっぽい笑みを浮かべて、車のハンドルを握る鳴沢さんが言った。まあ一応、私の言葉の意味は伝わっているようだ。


「コースケ、またそんな言い方をする。良くないクセですよ」


 助手席に座っていたマーシャさんが、軽く口を尖らせた後、後席の私を振り返って笑った。


「カドサカさん、サキさんのこと気にしていました。知らない人が迎えに行くより、知っている人と一緒に話しながらお父さんのところ行く方がいいだろうからって」


 門坂さん、それは一周回って余計な気の遣い方だと思う。マーシャさんはともかく、私はこの人、どっちかっていうと苦手なんだけれどもなぁ。


「今回の行き先はどこなんですか」


 どちらに、という訳でもなく聞いてみた。前回は行き先を聞いていなかったため、場違いさに少々恥ずかしい思いをさせられた――といっても、仮に知っていたところで出来た対策などは無かったのだろうけれども。


 だからまあ、今日は手持ちの服の中では一番ましなものを着てきたつもりだ。とは言え、大企業の会長と会うのにふさわしいものかどうかは分からないが。


「送り先の住所地番を見た限り、表参道のビルにある料亭らしい」


 鳴沢さんの言葉にげんなりした。そこはたぶん、さぞ高級なお店なのだろう。私にはあまりにも場違い過ぎる。


「俺達の今回の仕事は、君をその料亭まで送り届けることだ……そこで俺達と君との関係は終わり。帰りは門坂氏が、別途タクシーを用意してくれるそうだ」


「そうですか」


「それにしても君、よく親父さんと会う決心がついたものだな」


「それ、どういう意味ですか?」


 私が尋ねると、鳴沢さんは唇の端だけで軽く苦笑した。


「いやなに、こんな仕事をしていると、色々な人間と関わることが多いんだが……君みたいな子の場合、親父さんとは意地でも会わないって言いそうだったから」


「何を根拠に」


「単なる勘だよ」


 何よ、それ。人を馬鹿にしているのだろうか。


 私が眉をひそめると、マーシャさんがフォローするように笑った。


「コースケ、言葉が足らなさすぎです……コースケはサキさんのこと、お金目当てで動く人じゃないって思っていただけです。自分のお父さんがお金持ちだって知って、急に態度を変えるような人じゃないって」


 ふうん、そういう意味か――だったらまあ、別に怒る理由もないけれど。


「だから今回はマーシャとの賭けに負けて、大損させられたよ」


「それ嘘ですよ。ただちょっと、珍しいフィギュア買って貰っただけですから。それにこの賭け、私が負けたらイッカゲツ、家事を全部することなってました。条件アンバランスです」


 ――前言撤回。この二人、私をに一体何をしているのだろうか。


 いや、ちょっと待って。それよりも。


「マーシャさんが家事当番、って……お二人は一緒に暮らしているんですか?」


 この二人の関係、一体どうなっているのだろうか。明らかに他人同士のペアだが、一緒に暮らしているとなると、単なる探偵とその助手って訳でも――。


「話すと長いし、わざわざ話す気もないが、こいつは単なる居候いそうろうみたいなもんだ」


 私の表情から察したのか、鳴沢さんが素っ気なく言った。


「うちのおじさんも大概だけれども、鳴沢さんだってこんな美人の女の子を」


「冗談はよしてくれ……こいつと俺とじゃ倍ほども歳が違う、俺にロリコンの趣味は無い」


 吐き捨てるようにそう言って、本気で焦る鳴沢さん――この人って一見クールそうに見えて、こんな顔もするんだ。


「マーシャさん、今何歳?」


「ニジューイチです」


「鳴沢さんは?」


「……四十一だ」


「なるほど、それは犯罪ですね」


 私がそう言うと、マーシャさんは苦笑し、鳴沢さんは苦虫を噛みつぶしたような顔をした。


「マーシャはロシアからの留学生でな。ちょっとした行きがかりで、うちに下宿させることになっちまった。ただそれだけのことだ」


「本当に?」


 私がニヤリと笑うと、鳴沢さんは心底げんなりした顔で答えた。


「あのなぁ……自分の子供みたいな歳の娘を、で見られるか」


 まあ、普通はそうだろう。おじさんがちょっと?特殊なだけで――でも、そんな話を聞くと、私の中で別の疑問が頭をもたげてくる。


「あの」


「何だ?」


「赤の他人同士が一緒に暮らすのって、一体どんな感じですか?」


 きっと予想もしていなかったであろう私の質問に、一転して難しい顔をする鳴沢さん。


「君のその質問は、に捉えられそうだが……君自身、ここ最近の環境がそうだったんだろう。それについては、どう感じていたんだ?」


 質問に、質問で返されてしまった。思わず考え込む。


「そうですね……最初は驚いたり、戸惑ったりしたけれども、今はもう慣れました」


「じゃあ、きっとそれが答えだ」


「何かずるくないですか、その答え方」


「少なくとも、嘘はついていないつもりさ」


 おじさんとは違う男の人はどう考えるのだろうかと思ったのだが、どうやら適当にあしらわれたようだ。攻め方を変えてみる。


「じゃあ、マーシャさんの意見は?」


「えっ、私、ですか?」


 マーシャさんは少し目を丸くした後、気恥ずかしそうに頬を掻きながら言った。


「私、お金なくて住むところを追い出されていたのを、コースケに助けて貰いました。コースケいなかったら私、今どうなっていたか分からない。コースケ、命の恩人です」


 へぇ、ちょっと意外――この二人の関係って、私とおじさんとの関係に似ているのかも。


 少しの間、車内に沈黙が流れた。窓の外に目を向けてみるが、高速道路沿いの高い壁が見えるだけで、何の気晴らしにもならない。


「今まで会ったことないお父さん、怖いですか?」


 そっと伺うような、こちらを見ないままのマーシャさんからの問い。さて、どう答えたものか。


「父親のことは怖くないです。文句を言いたいことは山のようにありますが……ただ」


「ただ?」


「……父親から目を背けて、失望されるのは怖かったかも」


 それだけしか言えなかったが、正直な気持ちでもあった。あの夜のおじさんとのやり取りを思い出す度に、少し胸が痛む。


 鳴沢さんとマーシャさんは顔を見合わせ、それぞれ意味が分からないと言いたげな表情を浮かべた。

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