第24話 思い違い

「お前さんも、たいがい頑固者よな」


 私が「妻」の番だった夜、部屋の電気を消して布団にくるまったおじさんがぼそりと言った。


 おじさんが言ったことの意味は分かっている。悩み事があるのであれば、何故相談しないのか。でも、返ってくる答えが分かりきった相談なんて、しても意味が無いだろう。


 ここ一週間ほどの間、ずっと父親のことを考えていた。でも、結論は出ないまま、同じ場所をぐるぐると回り続けているような感じ。


 それはそうだろう、同じ頭で同じことを考え続けていても、よほどの閃きでも無い限りは新しい発想は生まれない。


 自分一人では結論が出せず、かといって相談しても返事が見えている。これで一体どうしろと言うのか。


「イェンですら、何かしらを勘づいて落ち着かん様子だぞ。他の女達だったらなおさらだ」


「そんなことを言われても」


「親父さんのこと、悩んでいるんだろう? さしずめ次は、直接会うかどうかって話か」


「……なんでそんな風に思ったの?」


「あのなあ……おっさんを舐めるなよ。酸いも甘いも噛み分けて、ワシが今まで何年生きてきたと思っている」


 こっちに背中を向けたまま、大きなため息をつくおじさん。


「だいたいなぁ、自分の親父に会うってだけなのに、何でそんなに悩んでおるんだ?」


 簡単そうに言ってくれる、腹立たしい。


 私が返事をしないままでいると、おじさんが今度はいつもより少し低い声で言った。


「お前さんの親父さん、そんなに訳ありの相手なのか? 実は筋者スジモノだったとか?」


「……違うよ。大きな会社の会長って言ってた。去年の年末の高速道路の事故で、社長一家が亡くなったって会社の」


「はあっ?」


 おじさんが頓狂とんきょうな声を上げ、がばりと布団の中から起き上がった……んだと思う。私はおじさんに背を向けたままで布団の中だったから、その様子はまるで見えていなかったけれども。


「それじゃあ何か、お前さん、実は良家のお嬢様だったってことか」


「やめてよ、そんな言い方」


 掛け布団を頭から被って、乱暴に言い放つ。自分でもびっくりするぐらいに。


 そして、びっくりしたのはおじさんも一緒だったみたい。


「いや、なあ……でも、他に言い方もないだろうが」


「そうかも知れないけれども……嫌なの、そんな風に言われるの」


「何が嫌なんだ?」


 暗闇の中に響く、おじさんの声。そんなことは全然無いんだろうけれども、何故か責められているような気がしてならない。


「一つ言うておくが、親が金持ちってのは恵まれてこそいれど、別に恥ずかしいことじゃないんだぞ」


「……」


「お前さんの素性も分かって、落ち着く先も見えてきたとなったら、こんなボロ家で、怪しいおっさんの隣で寝ている場合でも」


「嫌! 私、父親のところになんて行かない!」


 そう叫んだあと、目から涙がポロポロとこぼれ落ちてきた。嗚咽が我慢出来ない、恥ずかしい。


 しばらくしてから、おじさんがこちらの様子を伺うように言った。


咲希さきよ。金で幸せは買えないが、不幸は選ぶことが出来る。貧しさの辛さは、お前もよく分かっているはずだ」


「……別に貧乏でも、家族がみんな一緒の方が良かった」


「何?」


「貧乏でも良いから、お父さんにはお母さんや私と一緒にいて欲しかったって言ってるの!」


 思わず感情が高ぶってしまい、布団の中から飛び起きた。おじさんに泣き顔を見せるのはこれが初めてじゃなかったが、気恥ずかしいことには変わりがない。


「生まれた時からお母さんと二人暮らしで、そのお母さんもいなくなって……勤め先のお金を盗んだ疑いをかけられて、どう生きていったら良いのか分からなかったあの時、自分のところに来いって言ってくれたのはおじさんだよ」


「いや、それは」


「そりゃあ、あの時はびっくりしたし、怖かったし、どうして良いのか分からなかったけれども……でも、今私がこうして生きていられるのは、おじさんのおかげなんだから」


 ここまで勢いで口走ってしまい、あまりの気恥ずかしさでおじさんに背を向けた。おじさんも気まずそうに、軽く咳払いなどをしている。


「ま、まあ、お前さんが今も元気なことは何よりだが」


「ここにはおじさんがいて、帆夏ほのかさんがいて、美琴みことさんや莉奈りなさんやイェンさんがいて……まるで本当の家族みたい。だから私、この家が好きだよ。それなのに何で、実の父親ってだけで今まで顔も名前も知らなかった人のところへ行かなきゃいけないの」


 きっと今まで口に出来なかった本音が、そのまま口をついて出た。これこそが、私がずっと父親とのことで悩んでいた理由なんだと思う。


 でも、おじさんは深いため息と共に言った。


「お前さんに対するワシの目は、どうやら狂っていたようだ」


 それはとても寒々とした声で、思わずぞっとした。けれども、その意味が分からない。


「どうして、そんなことを言うの」


「いつぞやにも言ったはずだ……すがりついてくるような女は、ワシには救えん。一緒におぼれるのも御免だ、と」


 その言葉を聞いて、私は愕然がくぜんとなった。私はおじさんの「虎の尾」を踏んでしまったのかも知れない。


所詮しょせんこの家は、生きる道を見失った女が一時しのぎをするための宿り木だ。傷ついた鳥が羽を休めるのは一向に構わんが、いずれは皆前を向いて飛び立たねばならん。ましてや、お前は若い。そうでなくてはならん」


 そう言うなり、おじさんは暗闇の中、静かに立ち上がる。


「何? どうしたの?」


「済まんが今夜は、余所で寝る」


 おじさんに見捨てられるのかと思うと、再び涙がこぼれだしてきた。


 だが、泣きじゃくる私の頭を、おじさんが軽く撫でた。


「咲希よ。まずは目の前の現実に立ち向かってみせろ。やるだけのことをやってみて、どうしても駄目だったら、その時はまたここに戻ってこい。ワシから言えるのは、それだけだ」


 そう言い残して、おじさんは部屋を出ていった。一人残された私は、冷たい布団の上に突っ伏して泣き続けた。

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