第23話 迷い

 結局、門坂かどさかさんへの返事は保留にしたまま、私は家に戻った。


 家に戻ってから、おじさんや帆夏ほのかさんに何かを聞かれるということもなかった。おそらくは気を使ってくれてのことだろう。今みたいに頭の中の整理が出来ていない時には、正直ありがたい。


 お母さんからの手紙は、なくさないようにと思ってお母さんの骨壺が入った箱の中に収めた。手紙には、お母さんは父親に対して悪い感情は持っていなかったと書かれていたが、私は父親がいないのを理由にいじめっぽい扱いをされたことだってあったし、お母さんがずっと苦労して私を育ててくれた姿を見てきていたから、父親に対する恨み言の五つや六つはある。


 それに、お母さんも門坂さんも、父親の立場のことをたびたび口にしていたが、私にしてみればそれが一体何なのだ、という気持ちもある。立場があると言うのだったら、そもそも最初から不倫などしなければ良かったのだ。


 だが、一方で、父親がずっと門坂さんを私達の元へ通わせ続けていたことや、ずっと養育費を支払ってくれていたことについては、複雑な感情を抱かざるを得ない。特にお金の件については、そもそもそのお金を使っていれば、苦労の末に亡くなるようなことはなかったのかも知れないのに――と、お母さんに対しても、少々苦言を言いたくなってしまう。


 いずれにせよ、嘘か本当か分からないものの、自分の父親の素性は知ることが出来た。その上で、父親の要求に対してどう返事をするべきなのか――目下の一番の悩みどころはそこだ。


 古橋重工業という会社については、正直今まで良く知らなかったのだが、さっきインターネットで調べてみたところ、明治時代の頃から続く会社で、大型の建設用機械や巨大な建築物、船舶、鉄道、航空宇宙などの分野に強いとのことだった。日本の三大重工企業の次ぐらいの企業規模で、日系平均株価の構成銘柄の一つ。古橋グループ内には数々の関連子会社がある、非常に大きな会社だ。


 そんな会社の会長が父親だと分かれば、普通の人間だったら喜んで親元へと駆け寄っていくのかも知れない。「寄らば大樹たいじゅかげ」というやつだ。


 だが、私にしてみれば、今までに一度も会ったことがない相手が父親だと言われたところで実感などはないし、むしろその父親のせいで今まで散々苦労してきたのにっていう気持ちの方が強い。


 そう言えば、さっき会社のホームページを見た時に、古橋ふるはし孝太郎こうたろうという人物の写真が掲載されているページがあった。細面で背が高く、グレーの髪を七三分けにした男の人が、一見にこやかに、でも見ようによっては不敵そうに笑っていた。私の目から見れば、どちらかと言えば後者のように思えた。


 表現するのが難しいのだが、この人物が実の父親だと言われ、これから一緒に暮らして欲しいと言われても、正直うんとは言えない。その点で言えば、全くの赤の他人同士の寄り集まりである現在の境遇で生き続けていくほうが、まだ現実味を感じられた。


 それなのに、こんなにも色々と悩んでしまうのは、やはりお母さんからの手紙のことがあったからだろう。お母さんからは門坂さんを頼れと言われ、その門坂さんからは父親に会って欲しいと頼まれている。


 門坂さんとは今まで挨拶程度しか話をしたことがなく、相応の話をしたのは今日が初めてだった。それでも、今までの門坂さんに対する記憶からしても、あの人が悪い人だとまでは思わない。


 それに、小さい頃からお母さんには「受けた恩は返せ」と教わってきた。門坂さんが私達親子のことをずっと見守ってきてくれていたというのであれば、その恩人の頼みを無碍むげに断ることも出来ないだろう。


 結局、私は門坂さんから渡された名刺を前に、途方に暮れ続けることになった。

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