第20話 苦悩
家に帰ってから、特別に何かを言われることはなかった。
唯一、今日の出来事を知っていた
仕事から帰ってきたおじさんは、お風呂と晩ご飯を済ませ、今はリビングでごろりと横になってテレビ番組を見ている。
「あの、さ……ちょっと、良いかな?」
私が声を掛けると、おじさんはこちらに視線を向けるでもなく、ジャージのズボンを少しずらしてボリボリと腰の辺りを掻いた。
「何じゃい、改まって」
「少し、相談に乗って欲しい」
私がそう言うと、おじさんはようやくテレビからこちらへ視線を向け、のっそりとその場にあぐらをかいて座った。そして少しの間、私の方をしげしげと眺めてくる。
「なーんか気難しそうな顔をしとるのう、何かあったのか?」
「うん、ちょっとね」
ちょうどその時、晩ご飯の後片付けをしてくれていた帆夏さんとイェンさんがリビングに戻ってきた。帆夏さんの手には、お盆に乗った急須と湯飲みが四つ。
おじさんがちらりと二人を見て、再び私を見た。
「帆夏さんは、少しだけ話の内容を知ってくれているの」
私の言葉に、おじさんが今度は帆夏さんの方を見る。帆夏さんは、ほんの少し困ったような顔で笑った。そのやり取りだけで、二人にとっては十分らしい。
「そうか。イェン、すまんが少し部屋に戻っていてくれるか。
「ウン、ワカッタ」
無邪気に笑ったイェンさんは、すぐにリビングから姿を消した。イェンさんはここ数ヶ月の間で、まだ片言になることが多いものの、随分と日本語が上達している。日頃の様子を見ても、勤勉さもさることながら、元々頭が良いタイプなのだろう。
この家に来た時のように、座卓を挟んでおじさんや帆夏さんと向かい合う形になる。帆夏さんがお茶を入れた湯飲みを、おじさんと私の前に差し出してくれた。
「えっと……雰囲気からすると、今日の午後のお話のこと?」
「ええ、まあ」
「何じゃい、今日の午後の話ってのは」
おじさんの問いに、帆夏さんが自分の分のお茶を淹れながら答えてくれた。
「実は今日、咲希さんを尋ねてお客さんが来られたんですよ。確か、
「ほう」
ずずっ、とお茶を
「で、その探偵ってのが、咲希に一体何の用だったんだ?」
「私の父親の関係者って人から、私のことを探してくれって頼まれていたらしいんだ。で、その人と会って、話をして欲しいって言われた」
私の言葉に、おじさんと帆夏さんが顔を見合わせた。
「その様子じゃと、まだ返事をしとらんようだな」
「うん」
おじさんは座卓の上にあったテレビのリモコンに手を伸ばして、スイッチをオフにした。それから腕組みをして、小さく唸った。
「で、お前さんはどうしたいんだ?」
「……分からない」
分からないから、こうして相談しているんだけれども――という言葉は、ひとまず飲み込む。
「その鳴沢って探偵、どんな奴だった?」
今度は私が、帆夏さんと顔を見合わせた。
「外国人の女の子を連れた、ちょっと不思議な雰囲気の人でしたよ。でもまあ、悪い人ではなさそうでしたけれども」
「何か性格悪そうな感じのおじさんだった。一緒にいた助手のマーシャちゃんは、普通の可愛い女の子だったけれども」
私達の言葉に、おじさんが軽く眉をしかめる。
「ワシの聞き方が悪かったかの。その探偵、嘘を言うような奴に見えたか?」
再び顔を見合わせる、私と帆夏さん。
「いいえ。見た感じ、誠実そうな方でしたけれども」
「たぶん嘘は言っていないと思う。第一、そんな嘘をついても、何の得にもならないんじゃないかな」
それぞれの言葉を聞いたおじさんは、じっと私を見た。
「さっきも聞いたが、咲希、お前さんがどうしたいのか。それが一番大事だとワシは思う」
「……」
「ただ、意見を求められるとするなら、そうさなぁ……ワシならその話、まずは聞くだけ聞いてみるぞ」
私が無言のままでいると、おじさんは小さなため息をついた。
「まあ、これまでの話からすると、お前さんの気持ちも分からんではないが……今回の件、何も知らずに後悔するよりは、知って後悔する方がまだマシってもんだろう。それに、話を聞くだけならタダだしの」
「それは、そうかも知れないけれど」
「お前さんにとっては、親父さんはさぞかし憎い存在なのかも知れんが……親のことを全く知らない者からすれば、親のことを知ることができるってのは羨ましくもある」
おじさんにそう言われてしまうと、つくづく返す言葉が無い。
帆夏さんが、遠慮がちにこちらを見ながら言った。
「私もね、親兄弟とはもう長い間会っていないの……夫が事業に失敗して、かなりの額の借金だけを残して失踪してからは、親戚とも一切会っていない。だから私には、
力ない笑みを浮かべる帆夏さんと、少し気まずそうに視線を外すおじさん。場違いながら、何でこの二人が本当の夫婦じゃないんだろうかって思ってしまう。
帆夏さんの過去について、今まであまりよく知らなかった。この家に住む女の人達は全員がそれぞれ訳ありだったし、それを根掘り葉掘り聞く趣味もなかったから。
ただ、今にして思えばおじさんを含めて全員に共通するのは、親に会いたくても会えないということだった。
帆夏さんはさっきの話の通りだし、おじさんは児童養護施設の出身だ。美琴さんは元ダンナのことがあって実家に帰れないし、莉奈さんは両親と喧嘩別れをして家を飛び出してきている。イェンさんだってベトナムに帰れず、いつ親に会えるのかも分からない状態だ。
そんな人達に今回のような相談をしたら、返事はおそらく似たり寄ったりになるだろう。
「だから、ね……無理強いするつもりはないけれども、お父さんの関係者っていうその人とのお話ぐらいは、してもいいんじゃないかしら。咲希さんもたぶん、お父さんのことを良く知らないのでしょう?」
「それは」
「もちろん、咲希さんの気持ちが一番大事だと私も思うわ……ただ、その人の話を聞かないまま、お父さんのことを良く知らないままにこれから先も生きていくのって、咲希さんにとっても、とても寂しい事だと思うのだけれども」
何だかんだ言いながらも色々世話を焼いてくれるおじさんと合わせて、いつも優しくて本当のお母さんみたいな帆夏さんからもそう言われてしまうと、こう答えるしかなかった。
「うん……もうちょっと、考えてみる。二人とも、ありがとう」
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