第18話 異邦人
年末年始の休みが明けてすぐぐらいから、私は働きに出始めた。おじさんの家からそれほど遠くない場所にある工場の、社員食堂でのパートタイムの仕事だ。
どんな仕事に就くのが良いかは、おじさん達とも色々話をした。
ただ、
仕事の内容は調理補助で、特にこれといって必要な資格などはなかった。勤務時間は午前九時から午後二時までで、時給はそこそこ悪くない。また、土日祝日は工場が休みなこともあって、そんなに稼げる訳ではないけれども、時間の融通は比較的利かせやすい。
この仕事を選んだ理由は、やはりこれまでの職歴にあった。居酒屋での仕事とは随分と勝手が違ったけれども、飲食に関わる仕事に就くのは嫌じゃなかった。
また、午後二時までの仕事だったから、買い物など家事の面で帆夏さんのお手伝いが出来るだろうとも考えた。健康面に不安がある帆夏さん、外出は極力避けたい美琴さん、昼以降は夜の仕事の準備で忙しい莉奈さん、まだ日本語を勉強中のイェンさんといった面々の中で、この仕事だったら働きながらもみんなとの共同生活の役に立てるのではないかと思った。
そして、働き始めてから二か月ぐらいがたった頃――
「咲希ちゃん。これ、今日の分の残りだよ」
その日の仕事を終えた帰りがけに、
浜中さんというのは、一緒に食堂で働くメンバーの一人で、四十代半ばぐらいのおじさんだ。工場の食堂業務を受注している会社の正社員で、調理師の免許を持っている現場のリーダー。ちょっとぽっちゃり体型で、その風貌から一緒にパートで働くおばさん達は陰で「
「ありがとうございます、いつもすみません」
私は浜中さんにお礼を言って、差し出されたビニール袋を受け取った。ビニール袋の中身は、食堂で提供された食事の残り物が詰められたプラスチック容器の数々だ。
百人単位の社員さん達が働く工場で複数のメニューを提供していく食堂では、どうしてもある程度のフードロスが発生してしまう。要はその日に提供した昼食の余りものなのだが、浜中さんは私が出勤すると、必ず帰りにその余りものを持たせてくれるのだ。
最初の頃こそ、他のパートのおばさん達からは怪訝な目で見られ、私もすごく気が引けていた。だって、それまではその日の余りものは残飯として、すべて廃棄処分にしていたのだから。
でも、浜中さんの「咲希ちゃんの家は六人家族で、家計を支えるために働いているそうだから」の一言で、私に対するおばさん達の目は、同情または哀れみのそれになった。
それはそれで色々と気まずかったし、後でおばさん達からは家族のことについて根掘り葉掘り聞かれるようになり、言葉を濁して適当にごまかさなければならなかったが、浜中さんのおかげで帆夏さんの日々の労力――買い出しや晩ご飯作りの手間は、随分と軽減されている。また、味はそこそこで内訳は複数メニューのごちゃ混ぜ、牛肉を使った料理はほとんどなかったが、おじさん達からの評判も決して悪くはない。
ひとまず帰り支度をして、おじさんの家の片隅に放置されていた
三月の初めということで、少しずつ春の気配は感じられていたが、まだまだ冬物の衣類は手放せない。肌寒い風が吹く中を十五分ほどかけて帰宅すると、おじさんの家から少し離れたところに一台の車が停まっていた。
色は灰色がかった銀色で、形は――何て言うんだっけ。確かSUV、だったかな。雰囲気からして外車っぽくて、エンブレムは丸の中が十字に仕切られて青と白に塗られている。車の前の部分には縦格子の大きな穴が二つ空いた、少しいかつい感じで、トランク部分はスパッと切り落としたかのように寸詰まりだ。
その車は、ここ何日かの間同じ場所に停まっていた。特段これといって気にしていたワケでもなかったのだが、今日は少し様子が違った。車の運転席と助手席に乗っていた人達が、私を見るなり車から降りてきたのだ。
「
家の門扉を開けて自転車を中に入れようとしていた私に、そのうちの一人が声を掛けてきた。
歳の頃はおそらく三十歳を少し過ぎたぐらいで、かなり背が高い男の人だった。痩せ型ではあるけれども筋肉質な体格は、精悍で少し陰のある顔立ちと相まって、見ていてちょっと惚れ惚れする。
ただ、黒いロングコートを着ていて、シャツもパンツも靴も黒系なのはちょっと――よっぽど黒が好きな人みたいだが、何か威圧感がありすぎ。たぶんヤクザとかって訳ではないんだろうけれども、どう見ても
それでも、何より印象的だったのは、すごく綺麗な瞳の色と、日本人なのにそこはかとなく身にまとった外国人っぽい雰囲気だった。何て言うか、匂いが違う感じ。
その男の人のお連れさんも、異様といえばこれまた異様だった。私とほぼ同い年ぐらいの、アッシュブロンドの長い髪が印象的な白人――たぶん北欧系とか、そんな感じの女の子。ぱっと見はモデルか女優かってぐらいの美人さんで、これまた綺麗な青い目でこちらを見てニコニコ笑っている。ちなみに彼女の服装は、歳相応のいたって普通なものだ。
「あの……どちらさまでしょうか」
あまりにもインパクトの強い二人を前にして、私はそれだけ言うのがやっとだった。セールスマンってことは絶対にないだろうし、ひょっとして怪しい宗教の勧誘とか――いや、それにしては最初から私の名前を知っているって辺りが、どうにもよく分からない。
戸惑いっぱなしの私に、男の人が苦笑した。
「失礼しました……私、私立探偵の
「マリーヤ・ゼレンコフです。マーシャって呼んでクダさい」
男の人はマーシャと名乗った女の子を軽く肘で突いてから、コートの内ポケットに手を入れて名刺を取り出す。その名刺には「TN探偵事務所
探偵というキーワードに、思わず身構えた。ひょっとして美琴さんが以前言っていた、元ダンナに雇われたって人達なのだろうか。だとしたら美琴さんが危ない、うかつなことは喋れない。
「あの、えっと……探偵さんが、私に何かご用ですか?」
恐る恐るの私の問いに、鳴沢と名乗った男の人はやや気まずそうな笑みを浮かべた後、小さく咳払いをしてから言った。
「実はとある人物から、貴方の行方を捜して欲しいと頼まれたのです。大変恐縮ですが、少しお話のための時間をいただけますか」
――えっ、用があるのは美琴さんじゃなくて、私?
一瞬ほっとしたが、同時に新たな緊張が生まれた。私を捜している人って、一体誰?
でも、見かけはともかくその立ち居振る舞いからして、どうやら悪い人達って感じではなさそうだった。私は少しの間考えてから答えた。
「えっと、とりあえずこの自転車と荷物を片付けてからでも良いですか」
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