第12話 頼りになる姉御

 そして、更に一夜が明けた今、私は美琴みことさんと一緒に行動していた。


 美琴さんはただ一人、私がおじさんと一緒に戻った時にも、顔色一つ変えることがなかった。拒絶されているという訳でもないが、歓迎されているという訳でもない。そんな感じ。


 それに比べて莉奈りなさんからは「あのままどこかへ行っちゃうのかと思って、すごく心配した」と怒られた。一応謝ってはおいたのだけれども、怒られることが少し嬉しく感じるなんて、初めての経験だった。


 正直なところ、美琴さんとイェンさんの二人とは、どのように接して良いのか未だに分からない。感情を表に出さないタイプと、そもそも意思疎通が難しいタイプ。嫌いって訳じゃないけれど、どちらもとっつきにくいように感じてしまう。


 でも、全然違うタイプの女性達を同時に四人――いや、私を含めると五人か――も同時に妻にしているおじさんって、実はなかなか凄いのかも。


 美琴さんが運転する、どこでどうやって借りてきたのか分からないクルマで、まず最初に向かったのは区役所だった。これからおじさんの家でお世話になるに当たって必要な、色々な手続きをするためだ。


 一番最初に行った手続きは、転居届だった。今まで住んでいたアパートを引き払って、おじさんの家へ引っ越すことについては、おじさん達とも既に相談済みだった。


 窓口の担当者さんに色々と聞きながら届出書を書こうとしたところで、少し迷った。お母さんが亡くなって以降、一人暮らしをしていた私は法律上の「世帯主」として暮らしてきたが、おじさん達と同じ家に住むとなると、私はおじさん達と同じ世帯になるのだろうか。


「貴方が世帯主で問題無いわよ」


 私の隣に座っていた美琴さんが、飄々ひょうひょうと言った。


「同住所別世帯なんて、別に珍しくもないわ。うちの場合、イェンは法律上もそうさんの妻だから別として、あとのみんなはそれぞれが世帯主の、単独世帯の寄り集まりだし」


 その言葉を聞いていた窓口の担当者さんは何事かを言いたげだったが、私が届出書に書いた新住所の欄を見て、急に得心とくしんしたような表情になった。ああ、この住所の手続きか――たぶんそんな感じ。おじさんの家のことって、区役所でも有名なのかも。


 それから美琴さんに連れられて、あっちこっちの窓口を渡り歩いた。その結果、医療費の負担割合が三割から一割になったり、NHKの受信料の支払いが必要なくなったり、何とか給付金っていうお金が貰えることになったり。今まで私が知らなかった様々な手続きのことを、美琴さんは色々と知っていた。


 ただ、その後で今まで勤めていた居酒屋へ連れて行かれたのには参った。正直なところ、もう私にとってはどうでも良い場所だったし、二度と行きたくない場所だとも思っていたのだが、美琴さんからは「貴方のためにも、色々とけじめをつけておかなきゃいけないから」と切って捨てられたのだ。


「ふうん」


 美琴さんから促され、正式に仕事を辞めさせて欲しいと言った時の、居酒屋の店長の第一声はそれだった。


 実のところ、私はこの店長が苦手だった。チェーン店の雇われ店長として色々と忙しいのは分かるのだが、いつも何かにイライラした感じで、そのくせ店の従業員にやたらと「仕事のやりがい」を押しつけてくる。あと、お気に入りの店員――要は自分の言うことを何でもすぐに聞いてくれる相手――に対してだけ愛想が良い辺りも、店員の間では陰で受けが悪かった。


 採用面接の際に「君みたいな色々と訳ありの人間を雇ってくれる場所なんてそうはない」などと言われ、今まではしぶしぶ我慢し続けてきたのだが――。


「君はその一言だけで物事が済むと思っているみたいだけれどもさ……君が突然ここを飛び出して行ってから、こっちは色々と大変だったんだよ」


 しらけた感じを装いながらも、店長の目は美琴さんを警戒している。


「で、義理のお姉さん、だったっけ……アンタは一体何しに来たの?」


「この子がきちんとけじめをつけられるかどうか、確認しに来ただけです」


 冷ややかな目、冷ややかな声でそう答える美琴さん。なまじ美人なだけに、とってもおっかない。あと、義理の姉だなんて平然と嘘をつく辺り、相当に肝も据わっているっぽい。


「ま、まあいいや……で、咲希ちゃん。お姉さんはけじめって言ってるけれども、どういう風にけじめをつけてくれるの?」


「どう、って」


「君が突然抜けたシフトの穴を埋めたり、出勤してこなくなった君を訪ねて何度もアパートに出向いたり。こっちも色々と迷惑を被ったわけだけれどもさ……その辺りのこと、社会人として君はどう思って」


「お言葉ですが」


 言葉に詰まった私よりも先に、美琴さんが柳眉りゅうびを逆立てて反論した。


「咲希から聞きましたが、ここのお店の皆さん、お店のお金がなくなった話が出た時に、真っ先にこの子を疑いの目で見たそうじゃないですか。何の証拠もないっていうのに」


「いや、それは」


「一生懸命、真面目に働いてきたのにそんな仕打ちを受けたら、誰だって仕事を投げ出したくなるでしょうに……ここのお店の皆さんこそ、まず人としてその辺りのことをどう思っていらっしゃるんですか? あと貴方、店長として社員教育がなっていなかったとは思わないのですか? その辺りのこと、店長としてどうけじめをつけていただけるのですか?」


 特段声を荒げたりしていない分、次々と畳みかける美琴さんの言葉には凄みがあった。相変わらず、感情は表に出ていないように見えるけれども。


 同年代の女性に面と向かって凄まれた店長は、そのまま意気消沈ムードに――まあ、元々は客とのトラブルも全部店員へ投げ出すぐらいに気の弱い人だったんだけれどもさ。私からしてみれば、ざまあって感じ。


 そこから先の話は早かった。私の退職に関する諸々もろもろの手続きをきちんと行うこと、未払い分の給料をきちんと支払うことなどを店長に確約させた美琴さんは「もしも約束が守られなかったら、その時は然るべきところへ出させてもらいますので」と言い残し、颯爽さっそうと店を後にした。

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