第8話 働く女たち

 朝食の後片付けが終わった後は、掃除と洗濯の手伝いをした。他にこれといってすることもなく、手持無沙汰だったからだ。


 掃除の方については、手伝いといってもそれほどすることがなかった。帆夏ほのかさんが掃除機をかけてくれている横で、ハンディワイパーを使って埃を払う程度の作業をしただけだ。


 二階の個室を使っている人達は、自分の部屋はそれぞれ自分で掃除をするのがこの家のルールらしい。一方で階段や廊下、リビングなどの共用スペースは、主に帆夏さんが面倒をみているという。


 食事の準備や後片付けもそうだったが、掃除や洗濯についても、帆夏さんがほぼ一人で行っていることに、私は少し引っかかりを感じ始めていた。みんなで共同生活をしているというのならば、家事だって分担制にすれば良いのに。


 そんな私の様子を察したのか、掃除の途中で帆夏さんが苦笑しながら言った。


「私は美琴みことさんや莉奈りなさんのように、働いてこの家にお金を入れることが出来ないから……だからせめて、私は家事でみんなの力になりたいの」


「はあ」


「それにね、美琴さんも莉奈さんも、それぞれ手すきの時には色々と手伝ってくれるから……イェンさんは、まずは日本での生活に慣れてもらう方が先かな?」


 まあ私も、たった一晩泊めて貰っただけの身分で、この家のルールについてどうこう言うつもりなどは全くない。ただ、昨夜莉奈さんが言っていた、帆夏さんの体調のことだけは少し気がかりだった。


「莉奈さんは、帆夏さんの体調のことを気になされていましたよ」


 あからさまな嘘ではないつもりだったが、かなり曲解した見解を口にした私を見て、帆夏さんが少し気まずそうに笑った。


「大丈夫よ。ただの軽い喘息で、普通に家で生活する分にはほとんど支障がないから」


 その言葉を聞いて、私は帆夏さんのことが他人のようには思えなくなってきた。というのも、実は私のお母さんも喘息持ちだったからだ。


 いつの頃からの持病だったかはもう定かでは無いが、お母さんも仕事で疲れて帰ってきた時などには、よく夜中にヒューヒューと喉を鳴らしていた。そのたびに私は不安に駆られたものだったが、そういう時にお母さんは決まって「大丈夫だから」と言って、吸入式の薬を服用していた。何とか私を養うために、薬を服用しながら毎日必死になって働くお母さんの姿は、見ていて非常に辛かった。


「どうしたの?」


 気が付くと、帆夏さんが少し不安そうな表情でこちらを見ていた。いけない、つい余計なことを思い出してしまった。


「いいえ、何でもありません。ところで、帆夏さんは喘息の薬を使われていますか?」


「えっ? そうね、発作が起きた時に吸入する薬は貰ってあるけれども」


「そうですか、なら良かったです。私のお母さんも喘息持ちだったから……お身体は大事にして下さい」


 私がそう言うと、帆夏さんはちょっと驚いたような表情を浮かべた後、穏やかな笑みを浮かべて頷いた。


「ええ。気にかけてくれてありがとうね、咲希さん」


 何とも気恥ずかしい雰囲気になったので、つい帆夏さんから目を逸らしてしまった。その時、洗面所の方からピーピーという音が聞こえてきた。


「一回目の洗濯物が洗い終わったみたいね」


 帆夏さんの言葉で、洗面所へと向かった。確かに洗濯機の中には、結構な量の洗濯物が入っていた。


 ひとまず近くにあった空の洗濯かごに洗濯機の中身を移し、もう一つの洗濯かごの中に入っていた汚れ物を洗濯機の中へと放り込む。私を含めると都合六人分の洗濯物は、結構な量だった。


「帆夏さん、洗い終わった洗濯物はどこへ干せば良いですか?」


 私が尋ねると、掃除機を片付け終わった帆夏さんが洗面所へとやってきて苦笑した。


「そんなに気を遣ってくれなくて良いのよ、咲希さん」


「手分け出来る家事は、手分けしてさっさと終わらせてしまいましょう」


「うーん、そう言って貰えるとこっちも助かるけれども……うちは女物が多いから、基本的には部屋干しにしているの。申し訳無いんだけれども、昨日の夜咲希さんが寝ていた部屋で、ね」


 なるほど、部屋の隅に置いてあった物干しスタンドはそういう事情だったのか。


 二回目の洗濯物を洗いはじめている間に、部屋に物干しスタンドを広げて、帆夏さんと二人で洗濯物を干す。よく見ると、衣類はどれも女物ばかりだった。


創太そうたさんがね、自分の分の洗い物は別に分けてくれって言うの。どうやら私達に気を遣ってくれているみたい」


 そう言って、少し困ったような笑みを浮かべる帆夏さん。おじさん、見た目は雑なように見えて、案外細かい気配りは出来るタイプなのかも。私はそれほど気にするほうじゃないけれども、そういうところ気にする人はいるからなぁ。


 何とか全ての洗濯物を干し終えたのが、もうそろそろお昼という時間帯のこと。部屋のスペースは随分と狭くなったように感じられる。昨夜使わせて貰った布団が部屋の隅に片付けられていることもあって、結構広いと思っていた部屋の中も半分以上、足の踏み場が無くなった。


「そう言えば、莉奈さんは?」


 昨日は一緒に寝てくれて、朝ご飯を食べる時までは一緒だったはずの莉奈さんの姿が、いつの頃からか全く見られなくなっていた。昨夜自分が使っていた布団を納戸に片付けていたところまでは見覚えがあったのだが。


「たぶん二階の自室じゃないかしら。今日は出勤の日だし、二度寝をしているか、仕事をしているかのどっちかだと思うわ」


「二度寝か……仕事?」


 随分と両極端な二択だ。それに、意味がよく分からない。


 軽く首を傾げた私に、帆夏さんが微苦笑交じりで言葉を続ける。


「キャバクラって夜のお仕事だし、家に帰ってくるのも深夜になるから。お店が終わってからも、お客さんやお店の女の子達とのお付き合いがあったりするらしいし。だから、寝だめは出来るときにしておかないと、あの若さでも身が持たないみたいよ」


「はあ」


「あと仕事っていうのは、お客さんへのLineとかが結構忙しいみたい。こまめにやり取りをしておかないと、常連客さんもすぐに離れていってしまうってぼやいていたわ」


 なるほど、それはなかなかに大変そうだ。私も居酒屋での仕事では終わりの時間が遅かったけれども、お客さんへの営業なんかはしなくて良かったからなぁ。それにお店の従業員同士の付き合いとかも、少なからずお金もかかって面倒くさかったから極力避けていたし。


「美琴さんとイェンさんは?」


 姿を見かけないと言えば、この二人も同様だった。まだほとんど話をしていない分、帆夏さんや莉奈さんよりは随分と印象が薄かったが。


「美琴さんも、今はたぶんお仕事中。彼女、実は結構人気のある作家さんなのよ。彼女の名前に見覚えや聞き覚えはないかしら?」


「……すみません、残念ながら」


 小説家としてお金を稼ぐというのがどういう世界なのかは良く知らないが、帆夏さんの話しぶりからすると、美琴さんは結構凄い人なのかも知れない。だがあいにく、私は小説なんてものを読む余裕がある生活を送ったことなど、働きに出始めてからは全くなかった。


「イェンさんはたぶん、日本語の勉強中かな? 彼女はとても真面目だし、お仕事をする意欲も十分にあるんだけれども、まだ日本語がこころもとないから……あ、そうだ。咲希さんもぜひ彼女の日本語の練習相手になってあげてね。例の翻訳機を使って、話し相手になってくれるだけで大丈夫だから」


 帆夏さんからの懇願に、曖昧な笑みを返す。それはまるで私がこの家で住み続けることが前提となっているような話だったからだ。


 だがそれでも、不思議と嫌な感じがしなかったのは帆夏さんの人柄ゆえのことなのか。昨日の夜おじさんと出会って以降、少しだけ色々と考える余裕が出てきた分だけ、何とも複雑な気分になった。

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