第7話 使命
「何か手伝わせて下さい」
私が声を掛けると、帆夏さんはほんの少し困ったような顔で微笑した。
「あら、良いのよ、別に気を使ってくれなくても」
「六人分の後片付けは大変でしょうし、私もこれと言ってすることがありませんから」
「そう? それじゃあお言葉に甘えて、水切りカゴの中の食器を片付けてもらおうかな」
「分かりました」
私はひとまず水切りカゴの中にあった食器をキッチンのテーブルの上に並べて出し、それぞれの収納先を帆夏さんから教わりながら順番に食器を片付けた。この家の食器類は、絵柄や形はまちまちだが、似たような大きさ、似たような用途の食器が必要以上に多いように見える。
「あの、帆夏さん」
「何かしら?」
「昨日の夜に
私の問いに、帆夏さんは食器を洗う手を止めて少し考え込んだ。
「うーん、私の記憶が正しければ、一番多かった時には八人ぐらいだったかしら」
「八人、ですか」
それは、アラブの王族もびっくりするぐらいのハーレムっぷりかも知れない。よくは知らないけれども。
「そう。二階の個室にそれぞれ一人ずつ、咲希さんが昨日寝ていた部屋に四人が相部屋で暮らしていた時があったわねぇ」
「それだけの人数の女の人達に、おじさんは住む場所を提供していた、と?」
「ええ。
はて――おじさんが言う「自分の使命」とは、一体どういう意味なのだろうか。
それから帆夏さんは、ふと何事かを思い出したかのように笑った。
「そう言えば、創太さんが行き倒れになっていたホームレスのおばあさんを連れて帰ってきた時には、さすがにびっくりしたわね。その時も
「訳が分かりません」
「でしょう? 普通だったら、誰もがきっとそう思うはず……でも、あの時も創太さんったら、『これは自分が決めたルールだから』って言って聞かなくて」
「そのおばあさんは、結局どうなったのですか?」
今そのおばあさんがこの家にいないということは、何らかの話の結末があったのだろう。
私が尋ねると、帆夏さんは少しだけ目を伏せて言った。
「元々心臓が弱かったうえに、それまでに色々と無理がたたっていたみたいで、ね。少しの間は、ここでみんなと一緒に暮らしていたんだけれども……」
「そうでしたか」
「でもあの時には、佳代子さんには身寄りの方がいなかったし、本人の身元すらあやふやだったから、もう大変だったわよ。佳代子さんが亡くなられた時、警察の方々がこの家にまで事情聴取に来られて、当時この家にいたみんなであれこれと状況を説明して……最終的には事件性が無いと判断してもらえたから良かったようなものの、警察の方々も色々と呆れていたわ」
それはそうだろう。この家の在り方は、日本という国の中では非常に特殊で、そして
「おじさんがこの家に女の人を連れてくる時って、何かルールみたいなものはあるのですか?」
今の帆夏さんの話を聞いた限りだと、どうやらおじさんは年齢や美醜に関係なく、行き場のない女性であれば誰にでも手を差し伸べているように思われる――が、その割には今この家にいる女性達の顔ぶれを見ると、みんな美人と呼べるような人達ばかりだ。
帆夏さんは食器を洗う手を動かしながら、小さく唸った。
「さあ、どうなのかしらね……そういうことは、あまり表立って創太さんに聞いたことはないから」
「そうですか」
「ただ、私が今まで見てきた限りでは、第一印象で人柄に問題があるような人を連れて帰ってきたことはなかったような……結果的に問題があったっていう人は、残念ながら何人かいたように思うけれど」
人は見かけによらないとは、よく言われる話だ。一見好印象な人物に見えるが、内面は非常に醜いなどといった人達は、私もこれまでに散々見てきている。おじさんは、人は良さげだが神様などではないから、多少は相手の人物像を見誤っても致し方がないだろう。
だが、おじさんは必ずしも、女性であれば誰彼構わずに連れ帰っているという訳ではないらしい。おじさんはおじさんなりに、この家の中の秩序が乱れないように気を遣っているのかも知れない。
「この家で暮らしていて、次から次へと知らない女性がやってくることに、不安はありませんか?」
最後の食器を食器棚に戻しながら私がそう言うと、帆夏さんはちらりとこちらを見て苦笑した。
「それはまあ、全く不安が無いって言ったら嘘になるかしら……でも、いつだって創太さんは必ず私達の事を守ってきてくれたから。少なくとも私は、創太さんのことを信じているから」
この言葉には、少し驚いた。莉奈さん曰く、おじさんとは一番付き合いが長いからなのかも知れないが、帆夏さんのおじさんに対する信頼の度合いは相当なものらしい。
「……もしも私が悪い人間だったら、どうしますか?」
何故そんなことを口走ったのか、自分でもあまりよく分からなかった。莉奈さんに対してもそうだったが、ひょっとしたらおじさんのことを純粋に信じ切っている帆夏さんのことが、少し妬ましかったのかも知れない。
だが、帆夏さんは一瞬目を丸くした後、ぷっと吹き出して笑った。
「それは有り得ないわね。もしもそうだったら、創太さんが咲希さんを連れて帰ってくるはずがないし」
「分かりませんよ。ひょっとしたら私は、さっき言ってた『例外の何人か』に当てはまるのかも?」
少なくとも私が逆の立場だったら、突然やってきた人間への警戒心は到底拭えない。そして、自分が行うべき評価を他人に委ねるような真似は出来そうにない。
それでも帆夏さんは、泡だらけの食器をすすいで空いた水切りカゴの中へと並べていく手を休めず、笑って被りを振った。
「創太さんも私も、これまでに何十人っていう女の人達を見てきたのよ? これでもそれなりに、人を見る目は養われてきたつもりだから……それにね、本当に悪い人っていうのは、自分で自分の事を『悪い人かも』だなんて言わないと思うけれども?」
この話題でわざわざ議論がしたい訳でもなかったので、私は軽く肩をすくめてみせた。
ただ、帆夏さんのその一言で、私はほんの少しだけ心が救われたような気がした。みんな私の事をほとんど知らないだろうから、当たり前と言えば当たり前なのだが、どうやらこの家には私を色眼鏡で見る人物はいないらしい。
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