第二十九話 ハンカチは紳士の嗜み

「いや、本当に凄かったのじゃ! これは強力な武器となるじゃろうな!」


 もうギフトの効果は切れているが、それでも興奮冷めやらぬ様子で姫隊長が言う。


 俺としても、こういう風に直接威力の上がり方を見るのは初めてだ。久遠さんの時は久遠さんの脳内で完結していたからな。


 確かに凄まじいものがあると我ながら思う。

 使いこなせれば、だが。具体的には発動に十秒くらいなら許容範囲かな。


「発動時間も結構短くなっておらんかったか? 三分くらいじゃったと思うのじゃが……」


 いや、普通に十分かかっていた。

 恐らくはウトウトしていたため勘違いしているのだろう。


 それを伝えるべきか。『あんた、俺の膝の上でグースカしていたぜ』と言っていいものか。


「……賢太郎の膝の上でヨダレを垂らしていて分からなかったようだが、十分はかかっていたぞ」


 悩んでいると愛夢一曹が姫隊長を揶揄うように言ってしまう。


「ヨダレっ!? 出ておらんではないか……。まったく」


 咄嗟に口元を指先で探り、跡がないかを確認するも、愛夢一曹の冗談だと判断した様子。


「賢太郎のハンカチは弁償してやった方がいいぞ」

「え、なん……ハッ!」


 真実に辿りついたようだ。


 そう姫隊長はヨダレを垂らしていたのだ。幸せそうな顔をして。

 それを俺がハンカチで拭っていた。尊厳に関わると判断。


 言わないでおくのが優しさだと思ったが、気の置けない仲であるが故の無遠慮さ。

 愛夢一曹は言ってあげるのが優しさだと思ったのかもしれん。


『嘘じゃよな……?』とでも言いたそうな顔で俺を見る姫隊長。


「洗えばまた使えるんで」


 弁償はしなくていいですよ、と暗に伝える。これは同時に姫隊長がヨダレを垂らしていたことを肯定する。


 口を愕然と開き、大きなショックを受けたような体勢の姫隊長。

 ゆっくりと口を閉じると【念動力】で自身の体を包み、膝を抱えて宙に浮かぶ。


──おお。素晴らしい……!


 ……子供みたいな言動を避ける姫隊長がまるで胎児みたいになってしまった。これは姫隊長の悲しみを表している。


 なんか現代アートでも見たような気分になっていた俺に茜が声を掛けてきた。


「あの、ケンくん」


 なんでしょうか。


「私にもケンくんのギフト使ってください!」


 場に衝撃が走る。


「あ、茜……姫の醜態を忘れたのか……?」


 愛夢一曹の痛烈な発言に胎児が揺れた。


「確かにさっきの姫ちゃんの顔は、私なら『誰かに見られようものならお嫁さんに行けない!』そう思うほどの表情でした」


 そこまでだったか……?


 緩んではいたものの可愛らしいの範疇だと思ったが。


「そこまでじゃったのか……妾」


 姫隊長もショックのあまり胎児モードから少し成長し、二足歩行をしてしまっている。


「でも姫ちゃんは言いました! 『小隊は家族』と! ここには家族しかいません。家族にならちょっとくらい恥ずかしい姿を見せても大丈夫です!」


 それは姫隊長に『そんなに恥ずかしがらなくていいよ』と伝えているようだった。


「う、うむ。確かに妾たちは家族じゃが、その場合妾は家長じゃ。威厳がひつ──」

「そんなもの最初から無いですよ!」


『威厳が必要なのじゃ』とか言おうとしたであろう姫隊長の言葉を遮る茜。


 なんか姫隊長がボコボコにされている……。


「そんなもの無くたって、私たちは姫ちゃんのことが大好きです! だから一緒に居たいし、指示にも気持ちよく従えるんです!」

「茜……」


 愛夢一曹も腕を組み、頷いている。


 実に感動的な言葉だ。

 威厳があることだけがリーダーの資質では無い。仲間に愛されることだって重要だ。


 ……でもまあ俺の場合はちょっと話が変わってくるかな。ほら、俺威厳あるし。よく『王の器』って言われてたし。


『姫隊長を見て、俺は目指すべき隊長像が見えてきた気がする』とか言っておいて大変申し訳無いが、目指す方向性は違いそうだ。隊長性の違い。


「じゃあケンくん! お願いします!」


 制帽を取り頭を下げ、そのまま差し出してきた茜。

 そういえばそんな話だった。


「……よーしよしよしがんばれー頑張れーいいぞー」

「うぅ……」


 流石の茜も恥ずかしそうだ。さっさと終わらせてやろう。




 ■■■




 もうすぐ十分だ。


「はっ! 発動してます!」


 俺の膝の上で微睡んでいた茜が飛び起きた。

 そして姫隊長が出しておいた的たちをサクサク倒し回る。


 結局茜もヨダレを垂らし、姫隊長に自身がどんな顔をしていたのかを教えていた。


「いやー! 凄いですね! ケンくんのギフト!」


 爽快そうな顔をした茜。

 やはりギフトの火力が大きく上がるというのは愉快痛快なのだろう。


「さて……妾も茜も賢太郎のギフトを体験した」


 そう言って未だ俺のギフトを受けていない愛夢一曹に目線を送る。


「わ、我は嫌だぞ! あんな痴態を晒すのは……!」


 姫隊長の求めるところを察知し、抵抗する愛夢一曹。


「痴態とまで言うか……! いいからはよ強化されるのじゃ!」


 姫隊長は強引に俺のギフトを受けさせようとする。


 ──あんまり無理やりに強化するのはちょっと……。

 頭撫でるのってセクハラになったりするし。


 俺は『コンプライアンス』という魔物に従順なのだ。


「大丈夫です! 愛ちゃんは嫌がっている振りをしているだけです! ケンくんのギフトに本当は興味があるんですよ!」


 愛夢一曹を強化するのに躊躇いがあることを見抜いたようで、茜がこっそりと教えてくれた。こっそり(当社比)。


 多分茜の声は愛夢一曹たちにも聞こえていただろうが、未だじゃれあっている。

 確かに本当に嫌がっているのならこれを否定するだろう。


 嫌よ嫌よも……ということでいいんだろうか。


「わかった! わかったから! ……賢太郎! 一思いにやってくれ!」


 さも姫隊長に言い負かされたという風に愛夢一曹が制帽を取る。


 茜の言うことが本当なら、俺のギフトに興味がありつつも、自身のキャラを気にして言い出せなかったということだと。


「……いいんですね?」

「ああ……。賢太郎」

「なんですか?」

「我がどんな姿になっても失望しないでくれるか……?」


 ──もちろんですとも!


 愛夢一曹はかっこよくて尊敬出来る先輩だ!


「よーしよしよしよし! 頑張れッ! 頑張れッ! えらいッえらいぞッ」

「うぅ……」


 たとえ……




 ■■■




 たとえ俺の膝の上でヨダレを垂らしていても!


「はっ! 発動してる!」


 愛夢一曹は跳ね起きて、的たちを黒炎で燃やし尽くした。


「ふっ……」

「すごいのぉ愛!」

「すごいです!」


 三人は痴態を晒しあったことでより絆を深めたように見える。


 今回痴態製造機でしか無かった俺はちょっぴり疎外感。


 しかしそれも楽しそうに笑い合う少女たちの前ではすぐに消えてしまう程度のもの。


 まったく……。俺がハンカチを常時五枚持ち歩く主義じゃ無かったら大変なことになっていたんだからな! ヨダレまみれ。

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