第五話 笑顔とは


「今のやり取り、なんかかっこよかったんじゃない?」

「そうですね。プロローグ 完って感じのやり取りだったと思います」

「まあ、まだ浦和くん正式には防蟲官候補生じゃないけどね」


 そうなの!?

 あのかっこいいやり取りの価値が一気に下がったぞ。


「服務の宣誓をしなきゃね」

「なるほど」


 そういえばそんなのあったな。一部の公務員がやらなきゃいけないやつ。


「これとこれに署名して」


 宣誓文が書かれた書類が二枚。防蟲官候補生のものと防衛大学生のものだ。

 署名をする。


「次。判子押して。これ使って」

「……はい」


 浦和の文字が刻まれし判子だ。事前に言われてれば持って来たが。というか着替えた服のポケットに入ってるが。


「では、宣誓文を読み上げてくれ。防蟲官候補生のほうね」


 腰の後ろに手をやり、休めの姿勢で腹に力を入れる。

 宣誓文は頭に入っている。


「私は、防蟲官候補生たるの名誉と責任を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、知識をかん養し、政治的活動に関与せず、専心防蟲官として必要な知識及び技能の修得に励むことを誓います」

「……よろしい」


 その時日比谷司令が浮かべた笑顔は映像越しにでも見れば、『俺の本気の笑顔に次ぐ可憐さだな』とでも言いたくなるような素敵なものだった。


「ようこそ、埼玉大隊へ。我々は君の尽力を期待する」

「……はい!」


 ただ、なんの隔たりも無く直接向けられた俺としては、そんな呑気なことを考える余裕なんか無かった。


 大昔の漫画にあった『笑うという行為は本来攻撃的なものであり……』という言葉を思い出した。


 ただ笑顔を向けられただけで冷や汗をかき、口元が引き攣り、片足が一歩引いている。


 日比谷司令に初めて会った時、圧倒的な実力差に却って力が抜けた。

 あれは単に俺に圧を一切かけていなかったからのようだ。


 今回は明らかに笑顔のまま圧をかけられている。俺の体が反射的に攻撃を受けたと判断し、迷わず逃げようとするほどの。


 新入隊員に対する洗礼みたいなものか?

 なら、必死に『効いてないアピール』をする必要がある。

 得意分野だ。こちとら物心ついた時から格好つけて生きている。生まれながらの役者。


「以上。もう下がっていいよ。後のことは副司令に聞いてね」

「はい! 失礼しました」


 ビシッと挙手の敬礼を行い回れ右して後ろを向く。

 成宮副司令が開けてくれている扉から廊下に出た。

 空気が美味しい。


「浦和くんには、これから防蟲研究所に行って各種検査を受けて貰います」

「わかりました」


 そう言って成宮副司令に基地内の簡易地図を渡された。

 防蟲研究所を発見。


「来た時に着ていた私服は防蟲研究所にあります」


 いつの間にか移動されていたようだ。


「大丈夫だとは思いますが、もし迷ったら付近の人に聞いてください」


 子供扱いされてる?


「では、私は他にも仕事があるので、失礼します」

「はい。ありがとうございました」

「いえ」


 短く返事をして司令室に戻る成宮副司令。

 忙しい中ありがとうございました。

 ……やっぱりどう考えても新入隊員の案内って副司令の仕事じゃないよね。




 ■■■



 迷わずに防蟲研究所に到着。

 すれ違う人に敬礼をしながら進んだ。全員上官だからね。


 研究所の中に入ると、成宮副司令から連絡を受けて待機してくれてた研究員に案内される。


 大きな部屋に入る。

 真ん中に円形の台。周囲を囲むように機械が置かれている。端にモニターが乗った机とキャスター付きの椅子があった。


 そしてその椅子には、綺麗な黒髪を肩辺りの長さに切ってある女性が座っていた。


「……待っていたよ」


 うおっ。すっごい美人。


 あまり初対面の人に美人とかそうじゃないとかは考えないようにしている俺だが、とっさにそんなことを思ってしまうくらいの美人だった。


 美人と言えば日比谷司令も成宮副司令もそうだったが、ここまで衝撃を受けなかった。

 もしかしたら俺は白衣フェチだったのかもしれん。思えばそんな傾向はあった気がする。


 俺が過去のお気に入りキャラ変遷を思い返していると自己紹介をされた。


「僕は防蟲研究所埼玉支部 主任研究員の川越かわごえ 久遠くおん。よろしくね」

「浦和 賢太郎候補生です。よろしくお願いします」


 主任研究員。研究所によって扱いは結構違うらしいが、新入隊員の検査をするような役職では無いと思う。

 なんかそんなんばっかりだな。俺の認識が間違ってるのか?


 川越主任は俺を案内してくれた研究員を軽く労うと、部屋から退出させた。


「じゃあ、早速始めていこうか」

「はい」

「上着脱いで」

「はい」

「あー……あと靴も脱いで」

「はい」

「それで円の真ん中に立って」

「はい」


 川越主任の指示に唯々諾々と従い、円形の台の真ん中に立つ。


「スキャンするよ」


 スキャンとはなんだ、と思いつつもじっと立ち続ける。すると薄黄色い光のようなものが、俺の体の下から上までを通る。

 なるほど。これはスキャンだ。


「完了。ええと……これとこれかな」


 そう言って付近の棚をゴソゴソ弄る。


「向こうでこれに着替えてくれ」


 差し出されたものは確かに服だ。

 受け取り、パーテーションの向こうへ行く。


 渡されたのは下着類とその上に着るのであろう服。


 これらには見覚えがある。

 防蟲官が制服の下に着るべき衣服だ。法令では定められていないが、各地方基地の規則で決められている。

 蟲の素材を使っており、とても頑丈。

 防蟲官の装備を紹介する動画で見た。


 まずは下着類から。

 所謂ボクサーブリーフと半袖シャツだ。どちらもピッチリとした素材である。

 俺はトランクス派であるが、防蟲官となるなら主義を変えねばなるまい。


 股間部には薄いパッドのようなものが入っていて、ブツの形がくっきりするのを避けることが出来る。


 上下ともに吸汗速乾で蒸れにくく、着心地抜群らしい。


 次、その上に着るもの。

 所謂コンプレッションウェアと言われるものが上下。

 コンプレッションウェアとは、簡単に言えばめちゃくちゃピッチリした服で、そのピッチリ力で動きを多少サポートしてくれる。


 袖は手首あたりまで、裾は足首まである。


 こちらはより防御に振った性能をしており、話を聞く限りだと、あのハラビロカマキリの『屈辱☆鎌の背アタック』であっても腕がもげることは無いと思う。


 こちらの股間部にもパッドがあり、これはファウルカップ代わりとなる。

 衝撃を吸収する特殊な素材を使っており金的攻撃を防いでくれる。

 蟲は金的攻撃なんかを狙ったりはしないが、不意にちょっと当たるだけで大ダメージだからね。


 また、夏の暑さにも冬の寒さにも対応しており、年中快適に過ごせる。


 これらを纏めて、インナーと言うらしい。


 全て着て、軽く動いてみる。


 ──これはすごい。


 昔、全裸状態でも戦えるように全裸でトレーニングをしたのだが、その時と比べても段違いの動きやすさだ。


「着替え終わったかい?」

「はい」


 そう言いながらパーテーションの横から顔をのぞかせる川越主任。

 まだ着替えてたらどうするんだ。


「うん。ちゃんと着られてるね」


 そう言いながら肩や腰をぺちぺち触る。くすぐったいんですけど。


「どうだい? 動きやすいかな」

「はい。とても動きやすいです」


「そうか」と少し考える表情。


「具体的にどれくらい動きやすいのかな」


 具体的!?


「そう、ですね……。全裸よりも動きやすいです」


 なんか恥ずかしかったが、正直に伝える。

 普段全裸で歩き回っているという誤解をされそうな発言。


「……なるほど?」


『よくわかんない』みたいな反応をされた。どう答えるのが正解だったんだ?


 全裸じゃ伝わりづらいか?

 ……いいや、そんなはずはない。全裸は人類皆に最初に与えられた衣装だ。

 誰もが皆『全裸』を持っている。




 ■■■




『防蟲研究所』

 各地方基地に一つずつ支部が置かれている。

 本部と言える中央防蟲研究所は中央基地内にある。

 各支部の独立性は高く、本部と支部ではっきりと上下関係がある訳ではない。


 主に、所属基地の防蟲官の装備を作っている。

 蟲の生態を調べる部署などもある。

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