第三話 蟲害
『
蟲害? 蟲!? 今か!?
みっともなく動揺した。
ここが安全な場所でないことはわかっていたつもりだ。今は多少安全でも、そのうちに霞ヶ浦に蟲が戻ってきて元の危険なブラックマーケットになるのだと。
でも今かよ!
よりによって俺が居る日に来ること無いだろう!
早いとこ避難したいが、この地震が収まらないことには動けない。
アングラ味溢れる店内は、ろくに固定もされていない棚が所狭しと並んでいた。そんな所に地震が来ようものなら、当然大惨事だ。
俺の方に倒れてきた棚を支えながら、心配するのは店主さんの事だ。
俺であれば【身体能力強化】で、こんぐらいの棚なら余裕で支えられる。
店主さんがどんなギフトを持っているのかなんて当然知らない。
もしかしたら倒れてきた棚の下敷きになってしまっているかも。
「大丈夫ですか!?」
大きな声で呼びかける。まだ蟲害警報が鳴っている為、声を張り上げる必要があった。
「ぐっ……」
呻き声が聞こえた。
良かった。少なくとも頭を強く打って即死してしまった、ということは無さそうだ。
地震はもう収まっていたので、倒れている棚を雑に立たせて、声の聞こえた方へ向かう。
「大丈夫ですか?」
「あ、足が……」
どうやら
こういった重そうな棚ほどしっかり固定するべきだと思うが……。
まあさっきの地震は普通のものでは無かった。それの対策をしろというのも無茶な話なのかもしれない。
「持ち上げますよ」
「あ、ああ」
声をかけて棚を持ち上げる。
酷い内出血だ。左足の脛が青紫色に大きく腫れ上がっていた。
「立てますか?」
「あ、ああ。だい……じょうぶ、ぐぅッ」
「おっと」
何とか机を支えに立ち上がろうとするが、左足に体重を掛けようとした瞬間、痛みが走ったのか転びそうになったので、慌てて支える。
そのまま左足を伸ばした状態で座らせた。
立てない程か。もしかしたら骨折しているのかもしれない。
警報では屋内に避難するように言っているが、蟲達は簡単に窓ガラスを破るので、室内も完全に安全という訳では無い。屋外より安全なのは間違いないが。
室内に蟲が入ってきても、防蟲官が来るまで逃げる必要がある。
店主さんもこのままじゃ大変だろう。店内で息を潜めていても、蟲達は匂いなんかを感じ取って突っ込んでくる。
ちょうど良く、俺は今いいものを持っていた。
通常、市販されない下級治癒薬の原液だ。
本来なら他人に使う前に効果を確認しておきたかった。だが、ある意味ちょうどいい被検体ではある。
店主さんが俺を騙そうとして、それっぽいだけの液体を治癒薬として高値で売ったのであれば、彼の傷は治らない。
反対にこの治癒薬が本物であれば、彼の傷は治る 。完治するかは分からないが、動ける程度には回復するだろう。本当に下級治癒薬ならば。
つまり彼が誠実に商売をしていたかが明暗を分ける!
ここブラックマーケットだけどね!
「治癒薬、掛けます」
「い、いやそれでは……」
頑張れ治癒薬くん! 君の頑張りに店主さんの未来が掛かっている!
手に持った治癒薬に念を込め、ゆっくりと患部に掛ける。
すると、治癒薬は患部に染み込んでいき、同時に腫れが引いていった。
こんなすぐに傷が治るのか。下級でも治癒薬はすごいな。
どうやら店主さんは誠実な商売人だったようだ。掃き溜めに鶴。
「立てますか?」
「……だ、大丈夫だ」
念の為支える準備をしていたが、必要なかったみたいだ。
両の足でしっかり立っている。右足だけに体重を乗せているというわけでも無さそうだな。
これなら大丈夫そうだ。
──さて……。
店の出口に足を向ける。
「お、おい。このみ、店のシャッターは蟲の素材をつ、使っている。店内は、安全だ」
店主さんは、話すのが得意では無いのか、どもりながらも引き止めてくる。
いつの間にか店の入口には黒いシャッターが降りていた。地震が起こった時に自動で降りたのだろう。
店主さんの気持ちは嬉しいが、俺はなんと言われようと外に出るつもりだった。
人を助けるために。
外から五月蝿い蟲の羽音と人の悲鳴が聞こえてくる。
俺は決して『助けを求める声が聞こえる!』なんて言って街を駆けずりまわり、積極的に人助けをするような善人では無い。
目の前で困っている人が居て、こっちに余裕があれば手助けするかもな、と言った感じの一般人だ。
いや、こんなところに来ている以上少し悪人寄りか。
だから、善意で助けたい訳では無い。
俺は俺のことをよくわかっている。
このまま安全な場所で蹲って、誰かに助けられて、『土浦で起こった蟲害で~人が亡くなりました』なんて報道を聞いたら、こう思う。
『俺が戦っていれば救えた命があるかもしれない』
俺は小さい頃から、この世に蟲とかいうでかくて強い人類の敵が存在すると知った時から必死に鍛え続けた。
一方的に食べられることも、一方的に助けられることも嫌だったからだ。
それは自分のギフトがレアギフトでないことが解ってからも、ずっと。
もし、蟲具を持っていなかったら言い訳がきいた。
蟲に効く武器が無いなら出てっても無駄死にするだけだ。
だけど、俺は今蟲具を持っている。
なら駄目だ。助けなきゃ駄目だ。
『目の前で困っている人が居て、こっちに余裕があれば手助けするかもな』が俺のスタンス。
余裕があるはず。余裕なはずだ。
レアギフトを持ってないと解っても、防蟲官に成れないと知っても、鍛え続けたんだ。
全員を救うことは無理だろう。でも俺が助けに行くことで死なずに済む人が必ずいるはず。
これはプライドの問題だ。
防蟲官の人が聞いたら『座って救助を待ってろ!』とでも言いそうな考えだな。
だけど俺は行く。もし行かなかったら俺の『これまで』に意味は無く、『これから』も真っ直ぐ進める気がしないからだ。
「行ってきます」
店主さんに声を掛けてシャッターを持ち上げようとする。
「ま、待て! そっちの方! そ、そこに治癒薬がある!」
店主さんは、崩れた棚だらけで、床に商品が転がっている店の一角を指差しながら言った。
確かに、俺が下級治癒薬を持ってきた辺りだ。
「そ、そこの治癒薬を一本、持って行け! お、お前が、俺に使ったやつだ!頑丈な容器をつ、使っている。割れては、ないはずだ」
棚を掻き分け店主さんが指差した場所へ近付く。
「……ありがとうございます」
下級治癒薬を一本手に取り、短く、それでいて心を込めて、礼を言う。
「い、一本だけだからな!」
「はは……。はい」
俺が店主さんに使った分の補填ということだろう。
俺としては補填を期待して使った訳では無いので、なんだか一本増えた気分だ。
「では改めて、行ってきます」
再び出口の前に立ち、店主さんに声を掛ける。
「お、おい……」
さっきまで、何故か店主さんは声を張っていたが、それとは打って変わって弱々しい小さな声だった。
「し、死ぬなよ……」
呻くように、もしくは呟くように告げられたその言葉はきっと、本心からのものだろうと思った。
ブラックマーケットの店主なんてのは蟲害に慣れ、それによる人死ににも慣れていると思っていたが、彼はそうではなかったらしい。
「はい!」
自然と笑顔で、自然と大きな声が出た。
元々死ぬ気は無かったが、これで死ねない理由が増えたな。
外の気配を探り、周囲に蟲が居ないのを確認し、シャッターを半ば程まで持ち上げた。
そして、シャッターを潜り、安全な屋内から虫が闊歩する危険な屋外へ足を踏み入れた。
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