第22話 カッコいいお姉さんに

 10年間、少年は天香はるかの恋人になるために努力を続けていた。

 しかし……先を越されていた。すでに天香はるかには恋人がいた。


 いや……落ち着け。過去形で語っているということは、今はいないということだ。別れたということだ。天香はるかを傷つけた人間がいるということが許せないが……


 ……傷つけたとは限らないな。円満に分かれている可能性だってある。まずは落ち着け……


「仕事で悩んでた時期なんだけど……」テニスをした会場のベンチで、天香はるかは言う。「その時に通ってたバーで出会ったんだけどね……」


 通っていたバー……その頃から、お酒は飲んでいたらしい。


「はじめは優しかったんだけどねぇ……落ち着いた感じで、穏やかで……」見る目なかったなぁ、と天香はるかはうなだれる。「まぁ、長話は割愛するけれどね。付き合い始めて……彼が暴れ始めるのに、1ヶ月かからなかった」


 暴れ始める……


 ……


「きっかけは些細なことでね……中学時代に部活やってたってことを話したの」……その程度で、どうして暴力につながるのだろうか。「彼は言ったよ。俺への当てつけかって」

「……当てつけ?」

「そう。部活が長続きしないで、すぐに辞める俺をバカにしてるのかって」とんでもない被害妄想だ。だが……「彼を傷つけたのは事実。悪気はなかったとはいえ、地雷踏んじゃった」


 ……そうかもしれない。事実として彼とやらは怒ってしまった。

 正当性のない逆ギレだ。だが……本人にとっては許せないことだったのだろう。


「最初は一時的なもんだと思ったよ。ちょっと機嫌が悪いだけだって。ちょっと私が軽率だっただけだって。そう思って……殴られても我慢してた」天香はるかを殴ったという時点で極刑だけれど。「そんでね……さらに数週間して、別れた」


 彼女ができたんだって、と天香はるかは深くため息をつく。


「お前はただのサンドバッグだったから、もういらないって。殴っても文句言わないから一緒にいただけだってさ」……なんとも胸糞悪い話だ。「なにがサンドバッグだよ……こっちは片目見えなくなってるのにさ……」


 天香はるかにしては珍しい恨み言だった。誰に対しても不満や文句を言わない天香はるかだが、よほど恨みがあるらしい。

 それも当然だろう。片目が見えなくなるというのは、重大なことだ。人生に影響を及ぼすことだ。

 さらに……そこまで酷い男と付き合っていたという傷も、なかなか消えないだろう。


 それにしても……どうして天香はるかが眼帯をしているのかは気になっていた。それは……彼氏のDVが原因だったらしい。


 今すぐにでも殴りに行きたい。極刑宣告をしてやりたい。それくらい怒りが湧いてくる。


 しかし、そんなことは天香はるかが望んでいない。それは見ていればわかる。


 だが……それでも、腹が立つので聞いてみる。


「ご要望とあらば、今すぐ消してきますが」

「それも面白そうだけど……まぁいいや。右目が返ってくるわけでもないし……」とにかく、と天香はるかは立ち上がる。「そんな事情で、私は荒れてたの。それで仕事もクビになって、キミが現れなかったらヤケになってたかもしれないね」


 ヤケになって……どうなっていたのだろうな。自ら命を断っていた可能性も、あるのだろう。


 そう考えると……なかなか良いタイミングで天香はるかを見つけられたかもしれない。

 もしも彼氏がいる期間に出会っていたら……どうなっていただろう。天香はるかの右目は、守れていただろうか。

 それとも……その彼氏が帰らぬ人になっていただろうか。


「まぁ、そんなことがあって……私は男性に対して臆病になってたの」

「……でも……」

「キミは別」特別だったらしい。「最初に見られたのが、最大級に情けない姿ってのもあるけどね……やっぱり、10年前のことがあるから」


 それから天香はるかは少年の目を見て、


「キミの前では、カッコいいお姉さんでいたかったの」

「カッコいいと思いますけど」そんな過去があって笑顔を見せることができる優しさは、カッコいい。「僕の中の10年前の天香はるかさんと、同じくらいカッコいいです」

「ありがとう。でもね……私自身が納得できてないのさ」

「納得、ですか……」


 なんとなく理解できる。心が納得できないという状態は、少年にも覚えがある。


「私さ……キミに告白されてたよね」

「はい」

「悪いけど……ちょっとだけ待ってておくれ」天香はるかは頭を下げて、「私は……私の納得できるカッコいいお姉さんになって帰ってくるから。それまで……待っててほしい」


 少しばかり、反応が遅れた。


 ……カッコいいお姉さんになって帰ってくる……


 今でも十分にカッコいいのだけれど……


「私……キミのこと好きだよ」覚悟の決まった目をしていた。「カッコよくて優しくて……今の私にはもったいないくらい」

「そんなこと……」

「納得の話さ。今の私じゃ……キミの彼女になれないの。私自身が納得できないの。だから……少しだけ待っててほしい。その間に……キミに見合う女になって帰ってくるから」


 なら今のままで良いのだけれど…… 

 このままの天香はるかで良い。ありのままを愛することだってできる。


 だけれど……その言葉は天香はるかの決意を踏みにじるものである気がした。


 だから……


「わかりました」そう答えるしかない。「でももう……10年も待ってますから。あんまり長くは待てませんよ」

「そうだね……私も若いうちに……若くてキレイなうちにキミの彼女になりたいから……まぁ、そんな長期間じゃないよ。能力的にキミに追いつけないのはわかってるから……」


 そうだねぇ……と天香はるかは考え込んでから、


「今の堕落した生活からは脱出するよ。しっかり自律した……そんな人間になってからだね。キミに甘えなくても生きていけるようになってから、キミに甘えさせてもらうよ」


 今すぐ甘えてもらって結構なのだけれど……まぁそれだと納得できないのだろう。


 それはおそらく天香はるかのプライド。少年の知らない、天香はるかの一面。


 そんな一面を見せられて、反論できるはずもない。


「待ってますよ」

「うん。ごめんね、何年も待たせて」

「いえいえ……」


 待っている時間というのは、悪くない。理想に恋をする期間というのも、悪くないのだ。


 



 それきり……天香はるかとは会っていない。といっても、今のところ半年くらい。


 10年も待ったのだ。天香はるかに準備の期間が必要なら、いつまでも待とう。


 きっと天香はるかは、少年と対等な立場になりたかったのだと思う。対等な恋人として、付き合いたかったのだと思う。


 甘やかされるだけの立場じゃない。お互いに支え会える存在になりたかったのだと思う。


 ならば……これ以降天香はるかに甘えてもらうことはできないかもしれない。カッコいい年上のお姉さんになって帰ってくる天香はるかを甘やかすことはできないかもしれない。


 ……むしろ甘やかされるかもしれないな……天香はるかはきっと、そうしたいと思っている。


 ……


 それはそれで、構わないか。天香はるかと……憧れのお姉さんと一緒にいられるなら、立場なんてどうでもいい。


 ……それにしても……


 待ってる時間というのは……本当に長いなぁ……


 まぁ帰ってきた天香はるかと恋人になれるのなら、いつまでも待つけれど。

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僕がただ年上のお姉さんを甘やかすだけの話~子供の頃、年上のお姉さんに告白したら「キミがカッコいい男に成長したら恋人になってあげる」と言われたので、めっちゃ努力した~ 嬉野K @orange-peel

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