第9話 世界で一番甘やかします

「ごちそうさまでした……」天香はるかは涙を拭ってから、「ありがとう……生き返ったよ……」


 そんな様子には見えないけれど。まだやつれているけれど。


「さて……仕事……」立ち上がってから、彼女はため息をついた。「ああ……クビになったんだっけ……」

「そうなんですか?」

「うん。ちょっと上司を殴り飛ばしちゃって」


 上司を殴り飛ばす……


 あの天香はるかが、他人を傷つけた……?

 やはり彼女は変わってしまったのか、それとも事情があったのか……


「これから、どうしようかなぁ……」絶望感に満ちた声だった。「参ったなぁ……」


 ……


 一瞬だけ、考えた。


 目の前の女性は……自分の憧れた国色くにいろ天香はるかなのだろうかと、疑ってしまった。

 自分はまだ、彼女のことが好きなのだろうか?


 答えは、すぐに出た。


「あの……天香はるかさん……」

「なに?」

「10年前のこと、覚えてますか?」

「10年前……?」

「僕が酔っ払いたちに絡まれてて……その時に、あなたが助けてくれたんです」


 しばらく天香はるかは天井を見上げて、記憶を掘り起こしているようだった。


 そして、


「ああ……あのときの少年? 立派になったねぇ……」

「ありがとうございます」天香はるかに立派だと言われたことが、素直に嬉しい。「それで……その、僕は……カッコイイ男に成長したつもりです。」

「カッコいい……ああ、そういえば、そんな約束したんだっけ……?」


――キミがカッコイイ男に成長したら、恋人になってあげる――


 その言葉を信じて、少年は努力を続けていた。天香はるかに見合う男になるためだけに、努力を続けたのだ。


「僕は僕を助けてくれたカッコいいお姉さんに憧れて……だから……だから……」いろいろ言葉は考えていた。だけれど、本人を目の前にして、吹っ飛んでしまった。「僕の恋人に……なってください……」

「……んー……」


 困ったときに『んー』というのは彼女のクセらしい。


 つまり今、天香はるかは困っている。10年前にクッキーを渡そうとしたときと同じだ。


「ありがたい申し出だけれど……そりゃ無理だね……」

「え……?」


 ……


 フラレた。予想はしてたけど、ショックが大きかった。


「そんな顔しないでよ……キミがカッコ悪いとか、そんなことは言ってない」

「だったら、なんで……」

「私が……キミに見合わないって話」天香はるかはベッドに寝転がって、「キミの言うはもう死んだの。今の私は……ただの抜け殻。キミの憧れた国色くにいろ天香はるかは、もういないよ」

「そんなこと……」

「昨日の私を見たでしょ? 酒浸りでゴミ屋敷に住んでいて……1人で歩くこともできないような、そんな状態なの」


 彼女は自分の体を抱きしめる。その手は、震えていた。


「今の私じゃ、キミの恋人にはなれないよ。キミにはもっとふさわしい女性がいる。私なんかじゃ……」

「……」


 そんなことはない、と言いかけた。


 だけれど、それは今の彼女を否定する行為なのだ。


 僕が僕の幻想ばかりを追いかけていては、彼女を傷つけてしまう。


「よし……決めました」僕の心は、もう決まっていた。「僕は……あなたを、甘やかします」

「……?」天香はるかさんは怪訝そうに、「……私の話、聞いてた?」

「はい。ですが、関係ないです」少年は自分の胸を叩いて、「僕が決めたことです。僕は、天香はるかさんを世界で一番甘やかします」


 恋人になるとか、そんなのはあとの話。


 今はとにかく、天香はるかさんに元気になってもらいたい。だから、甘やかす。


 そんなのが……少年と初恋の女性の、再会だった。

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