第8話 にゅう……ぬぉん……

 憧れのお姉さんが酒浸りになってゴミ屋敷に住んでいる。

 受け入れがたい現状だが、これが現実なのだろう。


 ともあれ、こんな不衛生な場所に彼女をおいていく訳にはいかない。少年は吐瀉物を処理してから、天香はるかを担いで自分の宿に向かった。


 彼女の呼吸は、とても荒かった。寝汗も酷くて、とても休めているようには見えない。


 宿に戻って、部屋を二人部屋に変えてもらった。もう一つ一人部屋を使わせてもらおうかとも思ったが、今の天香はるかを一人にするのは不安だった。


 彼女を部屋のベッドに寝かせて、少年は窓から空を見上げた。


 10年間憧れた、国色くにいろ天香はるかという女性。

 天香はるかにカッコいいままでいてほしかったというのは、正直言って本音だ。こんな彼女の姿は見たくなかった。


 だけれど……なにか理由があったのだろう。正義感に溢れた真っ直ぐな天香はるかが、ここまで追い詰められた理由が。


 ……


 しばらくして、酷いいびきが聞こえてきた。呼吸も乱れているし……彼女がまともに眠れているようには思えなかった。


 ……今、彼女に話を聞ける状態じゃないよな……


 ……明日の朝、天香はるかが目を覚ましたら話を聞いてみよう。





 翌日。ルームサービスの朝食が届いて、それを受け取る。


 カーテンを開けて、日光を室内に入れた。


 さて天香はるかを起こそうかと迷っていると、


「ん……」ゴソゴソと動きながら、天香はるかが目を覚ました。「にゅう……ぬぉん……」


 謎の言語を発している。寝起きが悪いのか、二日酔いなのか……


「おはようございます」

「……んー……」天香はるかは寝ぼけ眼で少年を見て、「あれ……キミは……誰……?」

「えーっと……昨日の夜、酔っ払って倒れていた天香はるかさんを介抱したものです」

「昨日の……夜……?」どうやら記憶がないらしい。とはいえ、昨日よりは話が通じそうだ。「それはご迷惑を……」

「いえいえ……10年前に助けられてますからね。恩返しですよ」

「10年前……?」首を傾げながら、天香はるかは起き上がった。「って……あれ? ここ……私の部屋じゃない……よね?」

「はい。僕の宿泊してる宿に、連れてきました」少年は頭を下げて、「すいません。無許可で勝手なことをしました」「いや……大丈夫……」


 まだ天香はるかは体調が悪いようで、しきりに頭を抑えている。頭痛がするのかもしれない。


「宿代は……?」

「サービスしてくれましたよ」もちろん嘘である。「ですので、料金は僕一人分で変わってません。ご心配なく」

「ん……そうなんだ……」天香はるかは伸びをして、「ありがとう……助かった……」


 目を覚ましたは良いが、まだまだ体調が悪そうだった。


 声もかすれている。酷くやつれているし、なにより覇気がない。10年前に感じた覇気がない。


「じゃあ……お世話になりました……」天香はるかは頭を下げてから、「迷惑かけたね……私は帰るから……」

「あ……ルームサービスの朝食があるので、一緒に食べませんか?」

「ルームサービス……? いや……いいよ」

「せっかく用意してもらいましたし……食べましょうよ」

「ん……」


 それから天香はるかは、ルームサービスで運ばれてきた朝食を眺める。

 サンドイッチと、コーンスープ。少し量が少なく見えるが、極めて一般的な朝食だろう。


「……」天香はるかはその食事を見て、ツバを飲み込んだ。そして、「あ……」

 

 グーッと、天香はるかのお腹が鳴る。相当空腹だったようだ。


「……お言葉に甘えても、良いかな……?」

「もちろん」


 というわけで、2人での朝食。


 少しばかり、少年は緊張していた。憧れの女性と2人きりなのだ。10年憧れ続けた人が目の前にいるのだ。理性を保つだけで精一杯である。


「いただきます……」食前のあいさつをして、天香はるかはサンドイッチに口をつけた。「美味しい……」

「それはよか――」


 良かった、と言いかけて固まってしまった。


 天香はるかの目から涙がこぼれていた。泣いていることに本人も気づいていないようだった。ただただ……彼女の瞳から涙が溢れていた。


 なんとも……痛々しい姿だった。天香はるかも背は高いほうだが……とても小さく見えた。


 一体彼女の身に……何があったのだろう……?

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