第7話 そっちのほうがいいや

 夜の公園で出会った女性。

 その人こそ、少年が探し求めた国色くにいろ天香はるかだった。


「こ、恋人……?」天香はるかは少年のことを思い出せないようで、「な、なんの話……?」

「10年前、あなたと約束したんです。覚えて、いませんか?」

「覚えて……」それから天香はるかは頭を抑えて、「う……」


 口元を抑えて、室内に駆け込んだ。どうやら、また嘔吐するらしい。


 勝手に室内に入るのは迷惑だろうか、と入るのは躊躇したが……


 室内から、ハデな転倒音が聞こえきた。バキバキとプラスチックを潰すような音と……缶が潰れるような音。


 それから、嘔吐の音。胃の中のものをすべて絞り出すような、苦しそうな音。明らかに洗面台にたどり着けた感じではない。


「すいません……入りますよ」いたたまれなくなって、少年は部屋に入った。「……」


 大量に、ゴミ袋が積み重なっていた。通路はゴミで埋め尽くされて、部屋まで視界が開けていない。

 酒の匂い。ゴミの臭い。吐瀉物の匂い。いろいろな匂いが入り混じった、悪臭の漂う部屋だった。


 ゴミ屋敷……そんな言葉が頭に浮かんだ。


 天香はるかはそのゴミ袋に埋もれていた。廊下に直接嘔吐して、動けないようだった。


「わ、悪いね散らかってて……」声が震えている。「もう大丈夫だから……」


 あんまり室内を見られたくないらしい。当然か。


 しかし……その吐瀉物を処理しないといけない。


「ゴム手袋とか……マスクとか、消毒液とかあります?」

「あるよ」自嘲気味な笑い声が聞こえてきた。「でも、どこにあるか、わかんない……」 


 だろうな。この部屋の中で……どこに何があるか把握するのは不可能だ。


「買ってきます」


 あまりにも不衛生すぎる。コンビニやらで処理に必要なものを買ってこよう。


 コンビニまで歩きながら、少年は自分の心を落ち着ける。


 あの女性が……国色くにいろ天香はるか? 10年探し求めたカッコいいお姉さんが、なぜあんなことに?


 ……考えていても仕方がない。とにかく掃除やら除菌やらに必要なものを買い揃えて、天香はるかの家に戻る。


 鍵は開いていた。そのまま少年は扉を開けて、


「おかえりぃ……」本当に覇気のない声だった。「キミも飲む?」


 そう言って差し出してきたのは……缶ビールだった。どこから取り出したのか……冷蔵庫までたどり着けたとは思えないから、そのへんに転がっていたやつだろうな。


 天香はるかは缶ビールをグビグビ飲む。半分くらい、口からこぼれ落ちていた。手も震えているし……

 アルコール依存症……だろうか。


「死んじゃいますよ」

「別にいいよ。むしろ、そっちのほうがいいや」天香はるかの手からビールが落ちて、床を濡らす。「眠くなってきた……おやすみ……」

「え……ちょ……」

「キミはもう帰りな。こんな汚いところいたら、バカになっちゃうぞー」


 そのまま天香はるかは目を閉じる。一瞬息をしてないのかと思ったが、しばらくして呼吸音が聞こえてきた。


 ……


 ……


 まだ、心が追いついていない。


 憧れの国色くにいろ天香はるかの現状を、受け入れられない。


 なんで……彼女がこんなことに……?

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