第5話 わかってる

 天香はるかと少年の出会いから、10年が経過した。

 天香はるかが大学に進学してから、少年は天香はるかと会っていない。


 その間に、努力を積み重ねた。ひたすら勉強して、ひたすら鍛えた。

 ありとあらゆる分野を勉強した。思いつく限りの格闘技を習った。どんな学問にも手を伸ばしたつもりだった。


 そうして、心も身体も成長した。身長も伸びて、かつての弱々しい少年は、そこにはいなかった。


 できる限りのスーパーマンになったつもりだった。

 今なら、彼女に会いに行っても良いと思った。


 どこの大学に進学したのかは教えてもらっている。そこから辿って、彼女の就職先を見つけるのは容易だった。


 とはいえ、そこからが難航した。就職先まではわかっても、住所まではわからない。そこまでの個人情報は、そう簡単には手に入らなかった。


 無論、その気になれば住所もわかる。でも、それは非合法な手段だった。できることなら、合法的な手段でたどり着きたい。


 彼女の就職先周辺に宿を取る。そして通勤退勤の時間、彼女の通りそうな道や駅に張り込んでいた。


 やっていることはストーカーだな、と思いながら彼女のことを探していた。


 しかし、なかなか見つからない。


 就職先の建物に張り込むか? いや……それは最終手段にしたい。下手に会社に訴えられても面倒だ。ストーカーだと言われたら、言い逃れできない。


「はぁ……」


 今日も見つからなかった。朝から張り込みを続けたが、彼女の影も踏めない。

 

 よくよく考えれば、少年は彼女の10年前の姿しか知らない。今の天香はるかの姿を知らない。


 もしかしたら、見逃しているのだろうか。出会っているのに、本人だと気が付かなかったのだろうか。


 だとしたら、彼女を見つけることは困難だ。少年の初恋は、淡い思い出として消えてしまう。


「……」


 それは避けたい。フラれるにしても、もう一度彼女に会いたい。


 なんだか眠れなくなって、少年は外に出た。


 時刻は夜の11時。アテもなくさまよい歩いて、どこかの公園に辿り着いた。


 夜の公園には人は少なかった。子供なんているわけがないが、大人が1人いた。


 スーツ姿の女性だった。後ろ姿なので、どんな人なのかはわからない。


 その人は、地面に倒れていた。うつ伏せに倒れて、


「う……」公園の排水口の上で、「ゥゲェ……」


 なんとも文字で表現しづらい言葉とともに、排水口に吐瀉物を吐き出す。その後もゲーゲーと胃の中のものを大量に吐き出していた。


 髪の長い……ボサボサの長髪。やせ細った体。不摂生なのは見れば分かった。こうして嘔吐しているところを見ると、酒も入っているのかもしれない。


 その人はとにかく苦しそうだった。


 そんな人を見て、放っておけるわけもない。


「どうかしましたか?」大丈夫ですか、と聞くのは良くないらしい。「なにかお手伝いしますか……?」

「……」その人はうつろな目をこちらに向けて、「……大丈夫……」


 そう、一言だけ呟いた。かすれていて覇気のない……喉が潰れたような声だった。


 彼女は、右目に眼帯をつけていた。医療用の白い眼帯。ケガでもしているのだろうか。

 

 彼女は大丈夫だと言っているが、明らかに大丈夫ではない。酒の匂いも強いし……


「家まで送りますよ」

「……いらない……1人で帰れる……」


 そんな状態には見えないけれど。ろれつも回ってないし……

 彼女は立ち上がって歩き出すが、前に進むよりも横にフラフラしている距離のほうが長い。

 

 そしてまた立ち止まって、その場にへたり込んでしまった。


「飲み過ぎですよ……」

「……だよね……わかってる……」自覚はあるようだ……「でも……飲まなきゃ終わんないし……」


 飲まないと終わらない……


 飲み会か何か、だろうか。スーツを着ているし、仕事帰りの飲み会が断れなかったのかもしれない。


「タクシー呼びましょうか?」

「大丈夫……すぐそこ、だから……」


 また彼女は立ち上がる。見ていられなくなって、許可を取る前に肩を貸した。


「悪いね……」これ以上歩けないことは、彼女も自覚しているのだろう。「あっち……」


 震える手で、彼女は近くのアパートを指さした。どうやら、あそこが彼女の家らしい。


 困っている人は、放っておけない。


 というわけで、少年は彼女を家まで送ることにした。


 それにしてもこの女性……どこかで会ったことがあるような……?

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