第9話   搾取の恩恵

 怪訝そうな顔だった少年が、突然目をかっ開いて股間を強く押さえた。強烈に身体を駆け巡る快楽に、背を丸めて必死に耐える。


 シャツ越しに腹部の刺青が点滅していた。ギョッとしてシャツをめくって見ると、刺青が激しく上下に動いていた。なんとかせねばと点滅部分を手で押さえるが、なんともならない。


 刺青が絶え間なく上下運動を繰り返し、少年は腰が震えて、片手に握っていたナイフを床に落とした。悔しげに歯を食いしばっていた顔が、こみ上げた嬌声とともに恍惚としたものに変わり、股間を両手で必死に押さえつけていた。


 勝手に果ててゆく己自身に、羞恥と屈辱感が募ってゆく。荒い息を吐きながらズボンの下を確認すると、やっぱり何も不着していない。


「これで自分の立場がわかった~? アタシはいつでもお兄さんから搾り取ってあげられるわけ♡ 人前だろうが、勝負時だろうが、お構いなくね。だ・か・ら〜、くれぐれもアタシには逆らわないようにね……ああ、なーんてかわいそーなお兄さ〜ん♡ それとも、わりとこの状況楽しんでたりする~?」


 ジャネットは腹部だけ器用に隙間をあけて、肌を見せてきた。ピンク色の刺青に青が差し込み、じんわりと紫色に染まってゆく。それを満足そうに手で撫でながら、気持ちよさそうに目を細めていた。


 一方の少年、二度も夢魔に搾取されて、屈辱と恐怖に苛まれていた。


(ヤバイぞ、こんなのクセになったら、もう元の生活に戻れねえかも……なんとか隙をついて、このチビ助モンスターをぶっ殺さねーと!)


 威勢のいい決断とは反対に、体が、だるくて重くて、再び武器を握りしめる力が、寸分も残っていない。頭は興奮しているのに、しばらく横になっていたい。


 調教されかけている自分の境遇に、焦燥が止まらない。人前でこんな目に遭わされたら、今度こそ社会的に再起不能になる。


「う〜ん、まだアタシが満足するにはぜーんぜん足りないんだけど~、これ以上ヤッたらザコザコお兄さんが倒れちゃうかな。しょーがないから我慢してあげる〜、感謝してよねー」


「なんで俺に、こんなことするんだよ……人間と交尾したって、種族が違うんだから意味ないだろ」


「へ? もしかして、夢魔を知らないの??? これは交尾じゃなくて、ただの食事なの」


「へえ? なんか食ってんのか? もう、わけわかんねーよ」


 ジャネットが呆れたように眉をひそめて、フンと鼻を鳴らした。


「お兄さんがぐったりする分、アタシに精気が満ちて〜、アタシが元気になったり、アタシが使う魔法が強くなるの。これで理解できた?」


「俺は弁当かよ……」


「お弁当? キャハハハハ! そんな感じそんな感じ〜」


 ケラケラと八重歯を見せて爆笑するジャネット。指までさされた少年が、不満に顔を歪ませる。


 ふと真顔になるジャネット。


「それで話は変わるけどー、お兄さんはアタシに夢を覗かれてるとか思ってるわけね?」


「ん? うん、まあ……違うって言われても信じない程度には疑ってるぞ」


「ふ〜ん……まあ、覗こうと思えば覗けるけど〜?」


 ジャネットのオレンジ色した大きな両目が、くるくると室内を泳ぐ。


「プロのアタシにかかれば、あの受付のお姉さんにだって変身して、夢に出てきてあげられるよ」


「ほら! やっぱり俺を苦しめるために、わざわざそんな姿に化けて……」


「まあ、お互いのことはおいおい知っていくとしてー、朝ごはんでも食べに行かない? ほら、塩漬け肉の焼ける匂いって、大概のオスが好きな匂いなんでしょ〜?」


 ころころ変わる話題。少年が不服そうに辺りの匂いに意識を向けると、腹の鳴る香ばしさに包まれた。一階から二階へと、肉料理の気配が立ち昇ってくる。


「あ、ほんとだ……」


「肉さえ焼いて食わせとけば機嫌が直るんだもん、男ってほーんとチョロ〜い♡」


「言っとくけど、奢らないからな」


「あー、モテないんだー、そういうの〜。割り勘なんて子供産まれたら、互いの合計金額なんてめちゃくちゃになっちゃうんだから、もうメス犬に噛まれた治療費だと思って払っちゃえばいいんだよ」


「モテるうんぬんの話じゃねーよ! お前に奢るのがヤダっつってんの!」


 狙ってもない女子に奢る金どころか、生活費もかつかつな状況である。肉料理だって、値段を見ないと注文できるかわからない。


 そんな少年の懐事情などおかまいなく、ジャネットが小さな手をポンと叩いて、八重歯を見せた。


「さあ! 朝がネガティブな人は、朝食ぐらい好きなもの食べて、元気出そ! あのお姉さんが手作りしてるかもしれないよ」


「お姉さん……? あ、そうだ! お前あの受付のお姉さんに変なことしてないだろうな」


「ふふ〜ん♡ 何かは、シたかもしれないね? 気になるんなら、一階まで下りてみれば~?」


 少年は急いで一階に下り……ようとしたが、部屋から出るのを躊躇した。寝癖がついたままの頭よりも、もっと気掛かりなことがあった。片手を、自分の顔の片頬に押し当てて、うつむいてしまう。


「俺の顔、包帯で隠さないと。傷だらけだから、怖がられるかもしれない」


「あら、そうなの? じゃあ鏡をよく見てみて♡」


 鏡と言われて、少年はクローゼットを見上げた。あの中に上着を掛けたとき、クローゼットの内側に小さな鏡が掛かっていたのを見つけていた。どうせ包帯だらけの顔が映るだけだと捻くれて、あのときは鏡を使わなかった。


 今、顔に包帯はない。いつ取れたのかも、覚えていない。人前に出るときは必ず巻いていたのだから、どのみちあの鏡を使って、丁寧に巻き直す必要がある。


 少年はクローゼットを開けると、背伸びして自身の顔を映した。


「 」


「アタシと契約して、魔力供給してくれたお礼♡」


 顔をズタズタに切りつける前の――母親にそっくりだとからかわれ続けた挙句に、違法な娼館に売り飛ばされる原因にもなった、あの顔が映っていた。


 しかし、昨夜に少年を介抱してくれたおじさんも、受付の女性も、少年にとって最上級の苦しみの源である「顔」のことを、全く話題にしていなかった。


(あのとき、とっくに俺の顔は元に戻ってたんだ。それなのに、誰も――)


 なんの見返りも求めず、心配して駆けつけて、介抱までしてくれた人がいた。この宿の部屋も、あの受付嬢の厚意なくして泊ることは適わなかった。


「ここにいる人たちは、お兄さんをそういう目では見てないわ。だってお兄さんよりも、もーっと可愛い受付嬢ちゃんがいるんだし。だから変にギクシャクしなくていいんじゃない? それでも周りの目が怖いってビビるんなら~、また包帯でミイラ男にでもおなりなさいな~」


 少年が鏡から廊下へと視線を戻すと、そこには誰も立っていなかった。


 鞄の中を探したが、包帯が一個もない。前髪も、少年の顔を覆い隠すには長さが足りなかった。


「……やってくれたな、あのチビ」


 壁にバンッと手を打ちつけて、寝台に座り込むなり顔を覆って苦悩していたが、腹は減るばかり……。疲れた体に鞭打って、立ち上がった。


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搾取できないサキュバスちゃんたち 小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中) @kohana-sugar

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