第7話   カワイイ

 顔の包帯を全て取り払われたことに気づき、ぐったりしていた少年が我に帰った。


「ふざけんな! これ以上俺の体に変なことするなよ!」


 少年は何とか体をひねって、馬乗りになっている少女をベッドの下に落とした。


「ギャア!」


 その悲鳴は、人間というよりは獣の鳴き声だった。


(やっぱりモンスターだった! 最近は人里に降りてきたなんて話、聞かなかったのに)


 少年の腕を拘束していた黒いベルトが緩まり、その隙をついて少年が立ち上がった。


 少女の姿がない。しかし、一度は動きを完全に封じられ、変な模様を腹に刻みつけてきた相手だ、いないからとて油断はならない。


 少年はタンスの上に放置していた自分の荷物を取るために、ベッドから大きく跳躍した。そして荷物を手に取り、リュックサックの口を開けると、生きるために、やむなく誰かからくすねてきた刃の長めの果物ナイフを二本、引っ張り出した。革の鞘を外して、両手に構える。


 扉を背にして、部屋のあちこちに視線を飛ばすが、誰もいない……。


「んふふ♡ もうアタシに会いたくなっちゃったの〜ん?」


 声のみが右側の、宙から。ベッドの上らへんを浮いているようだ。


 少年はカンで当たりをつけると、右腕を下から思いきり振り上げてナイフを飛ばした。長年の隠遁生活で筋力が落ちてしまい、遠心力をつけた勢い任せじゃないと戦えなくなっていた。


 何もない場所から、ナイフが刺さる直前に少女の大きな翼が現れ、羽ばたくついでにナイフをはたき落とした。


「ふふーん、こーんなオモチャでアタシに勝てるわけないじゃん、バーカ!」


「!? お前、まだ裸――」


 少年は辺りを見回したが、すでに遅かった。手負いの毒蛇のような勢いで黒いベルトが両足首に巻き付き、ギュッとしまったせいで体勢を崩してすっ転んだ。すぐに外そうと伸ばした両手指までベルトに巻き込まれて、さっきよりもっとひどく拘束されてしまう。


 文字通り手も足も出なくなった少年の目の前に、少女がゆらゆらと浮遊しながら近づいてくる。真っ平な小さな胸をドヤ顔で張りながら。


「それはアタシの尻尾なんだよ〜♡ ちょっと昔に、聖騎士のお兄さんに斬り落とされちゃったんだけどぉ、今ではこうして便利な道具になってるの。ザコザコお兄さんたち捕まえるのに重宝してるんだ〜!」


 柔らかな細腕が、少年の顔を包み込む。子犬のように頭をわしゃわしゃと撫でられた。


「尻尾一本にも勝てなくって、情けなく夢魔の餌食になってるの、か〜わいそ〜♡」


 からかうように青い瞳を覗き込む。少年の顔色がみるみる悪くなっていく様子に、満足そうに八重歯を見せた。


「これからじーっくり、アタシ好みに育ててあげるからね。可愛い顔した、お兄さん!」


 カワイイ


 その言葉を聞いた途端、少年の喉からものすごい嗚咽が鳴った。背骨の有無を疑うほど前のめりになって、床に倒れてしまった。


「え、ちょっとお兄さん? 大丈夫!?」


 やりすぎたかと、少女はすぐさま拘束を解いて、ベルトを自身の体に巻き付けた。黒いバスタオルを巻いたような、まだギリギリ外を歩けるような服装に見える。


「待ってて、誰か呼んでくる!」


 バタバタと扉を開けて出ていく少女。残された少年は、自分自身で過呼吸を抑えようと必死になっていた。


(なんだよ、ちゃんと扉開けて外に出られるのかよ……。魔法とかで吹き飛ばして行くのかと思った……)


 むしろ後者のほうが、誰かが騒ぎを聞きつけて駆けつけてくるかもしれない。さすがのモンスター娘も、大勢の冒険者を相手にするのはキツイ、はず……。


(ってか、男の部屋から変なメスガキが走って出てくるだなんて、俺、通報されるかも……俺が被害者なのに……)


 床に手をついて、ずるずると這い進み、ようやっと壁に背中を預けて、一段落した。


 部屋の外から、数人の足音がバタバタと駆けつけてくる。そして乱暴に扉が開かれた。むさ苦しい冒険者が入ってきて、部屋の隅でうずくまっている少年に「大丈夫か!」と声をかけた。


「なんだなんだ、まだガキじゃねえか、飲み過ぎか?」


「いいえ、この人は何も注文せず、すぐにお泊まりになりました」


 聞き覚えのある声に、少年はハッと顔を上げた。冒険者の後ろで心配そうに立っていたのは、受付の美少女だった。


(あのチビー!! 受付のお姉さんまで連れてきたのかよ!)


 無様に床にうずくまってる姿を、一番見られたくない人に見られた……。


「アタシ、こいつの妹なの〜♡ もう、すーぐ体悪くするから、早く寝たらって言ってたんだけど、どうしてもタオルで汗拭きたいからって、なかなか寝なくって〜」


 ちゃっかり汗を拭かせたい要望を通そうとしている。


「あーあ、アタシって誰かに抱きしめられてないと、夜は怖くて眠れないのに〜。こんなに具合の悪い兄貴とじゃ、しがみついて寝られないや」


 弱々しい表情をしながら、すすす、と受付嬢の横に移動してゆく小さな少女。


「夜はオバケが出てきて怖いから、部屋のすみっこで丸まって寝てよ~っと」


「それじゃあ妹ちゃんは、私とおやすみしましょうか」


 しゃがんで目線を合わせてくれる受付嬢に、少女がニヤッと口角を上げた。


「いいの? お姉ちゃん、疲れてるんじゃないの?」


「疲れてるけど、あなたをオバケから守ってあげることぐらい、できるからね」


「わあ、お姉ちゃんスキ〜!」


 小さな少女は、目の前の豊かな二つの膨らみにダイブして抱きついた。びっくりする美少女の胸に顔半分を埋めながら、少女がニヤ〜ッと少年を煽る。


(あいつ〜!! どうしよう、このままじゃ受付のお姉さんまで、変なことされるかもしれない。動け……動いてくれ、俺の体!)


 立ち上がろうとしたが、猛烈な目眩が。叫ぼうとした喉を、腹からせり上がってきた胃液が塞ぐ。吐きたくなくて耐える少年の背中を、おっさん冒険者がさすってくれる。


 そんな少年の目の前に、またまた大接近して顔を覗き込んでくる、ニヤニヤ顔の少女。


「それじゃあね、ダメ兄貴〜。アタシはお姉さんのふわふわおっぱいに埋もれて、たーっぷり癒されてくるから、兄貴はムキムキ冒険者のオジ様にケツの穴まで介抱してもらいな」


 片手でビシリと強烈なデコピンをされて、少年の顔が上向いた。その青い目いっぱいに、少女の人懐っこそうな猫目が映りこむ。


「じゃ〜ね〜」


「待っ……待て、お前……」


 ゲホゴホと咳が上がって言葉が出せない。そんな少年の背中をさすりながら「大丈夫か?」「便所連れてってやろうか?」と声をかけてくれる親戚なおっさん冒険者に、少年は甘んじて介抱してもらったのだった……。


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