第ニ章
第5話 顔の包帯
(あんな自分好みの女の子って、この世に存在するんだ……)
目の前のカウンターテーブル越しに、てきぱきと受付の業務をこなしていく可憐で利発な少女に、少年の目は釘付けになっていた。
日も暮れてきた頃。見知らぬ土地で迷子になり、たまたま困って立ち寄っただけの「冒険者ギルド」を兼ねた酒屋兼宿屋。安宿を紹介してもらうだけのつもりだったが、そこの受付嬢が評判の看板娘であり、遠目から見ても大変愛らしくて、その声も、てきぱきと客をさばく段取りの良さも、動くたび揺れ動くブロンドの髪も、目のやり場に困る抜群のスタイルも、全てが心奪われる程ハイレベルで、少年は生まれて初めて、異性に釘付けになってしまった。
「いらっしゃいませ。ようこそ冒険者ギルドへ。新規のご登録ですか?」
「え……?」
「それとも、ご要望に沿ったご依頼の紹介ですか? でしたら、カウンター横の掲示板に、緊急性の高いものから順に、上から貼り付けております」
「あ……あの……」
いざ長蛇の列の先頭になった途端に、視界いっぱいに麗しい少女の存在が占めてしまって、少年はしどろもどろだった。
「あの、えっと、えっと、違うんです、その……あんまり人のいなさそうな感じの、安い宿ってありませんか?」
「料金別の、お宿の紹介ですか?」
少女の眉が少し困ったように、真ん中に寄ったのを見て、少年は申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、小さな声で「はい……」とうなずいた。
「近所の飯屋の店員から、ここで聞けば教えてくれるって、聞いたもんで、来たんですけど……」
「申し訳ありません、こちらでは料金別のお宿の紹介は、承っておりません」
少年は、羞恥心に耳まで真っ赤になった。フードを手繰り寄せて、うつむいて顔を隠してしまう。その際、顔面を覆う包帯に指が当たってしまい、鼻のあたりの布が少しずれてしまったが、恥ずかしくて直せなかった。
「そ、そうだったんですか、あの、お手数おかけしました。では、俺は、これで……」
そそくさと立ち去ることばかり頭に浮かぶ少年の耳に、少女の呼び止める声が。
「お客様、当冒険者ギルドの二階では、宿泊施設がございます」
「え? あ、そう言えば、外の看板に、宿もやってる冒険者ギルドだってあったな」
「はい。ちょうど一部屋、キャンセルが入ったんです。よろしければ、料金表をお持ちしますね」
「あ、いいんですか? ここに泊めてもらっても」
少女は気前の良い返事をして、料金表が彫られた木版を持ってきた。そこに提示されていたのは、金額だけではなかった。
「え? あの、ここはギルドの登録者しか利用できないって一文が、あるんですけど」
「はい、そうなんですけど、現在空室となっているお部屋は、お一人様専用で狭いので、不人気なんです。よろしければ、半額でご提供いたしますよ」
「いいの? 後で君が怒られたりとか、そういうのは大丈夫?」
「はい。売り上げに少しでも貢献できるなら、多少のやらかしはギルドマスターも大目に見てくれますよ。ここは荒くれ者も多いギルドですもの、夜中に外を歩いていたら、喧嘩に巻き込まれてしまいますよ」
いたずらっぽく笑う、狡猾で愛嬌ある魅惑の受付嬢に、少年はすっかり心奪われてしまった。でも彼女を見つめ続けられるほどの自信もなくて、恥ずかしくて、かぶっていたフードをさらに目深にかぶり直してしまった。顔を覆っている包帯が、ゆるまってきているのが気になる。今ここで包帯が落ちてしまわないかと、とても心配した。
「んっと……あんまり高い部屋は、無理なん、です、けど……」
モゴモゴ言いながら、改めて木製の料金表を確認した。力強い文字が彫り込まれていて、お一人様の個室は、とても安かった。
(え? なんでこんなに安いんだ?)
世間から離れて四年になる少年には、新しい王が国の統治者となってからの様々な決まり事や法律が、わからなかった。自分はこのままの状態でいてはダメだと奮起し、顔の傷を隠して、勇気を振り絞って人里に下りてきた、のだが……。
「おい見ろよ、あのガキ。顔どうしたんだ?」
少年はビクリと身が震えた。
このギルドは、受付のすぐ隣が酒場だった。ワイワイ楽しむためではなく、明日の作戦や、今後の冒険のあり方などを決めるための作戦会議場として。しかし夕飯時には酒のせいで、声がでかくなった冒険者も多い。
少年は自分の過去を知っている者が周囲にいるのではないかと、怖くて立っているのがやっとになってきた。
早く人目を避けたい。部屋の中にこもって一人になりたい。
「こ、この部屋に、決めます」
「かしこまりました。では、こちらの用紙にお名前をご記入ください」
手渡されたのは、一枚のごわごわした用紙と、インク瓶に突っ込まれた羽ペン。お名前と言われたわりに、記入欄がいっぱいあった。
(うっ、書くところがいっぱいある。こりゃ時間がかかりそうだ……)
少年は震える手に鞭打って、必死で欄を埋めにかかる。しかし、最初の欄で手が止まってしまった。
偽名を書こうか、それとも本名にするか、迷っていた。
(どうしよう、いつもみたいに偽名でいいかな。でもここ、大きくてしっかりした施設だから、偽名だってばれるかも。この女の子に、こんなに親切にしてもらってるのに、俺ばっか不誠実なことしてて、いいのかな)
何もかも弱気になっていた。以前の自分は、こうではなかったのに……という不甲斐なさに、打ちのめされてしまう。
「お客様?」
「あ、はいっ、書きます! 大丈夫です」
彼女に不審がられて嫌われないよう、ペンを持つ手に力がこもった。だけど、ペン先を紙につけることができない。怖くて、偽名に逃げたくなる。
「え〜? お兄さん、お名前も書けないの〜ん?」
やたら耳に絡み付く、甘ったるい猫撫で声がした。
「ん?」
辺りを見回しても、女性は目の前の受付嬢の彼女だけ。しかも彼女は少年が書き終わるまでの間に、次の客の対応に追われており、少年は彼女を待たせてしまっていることに慌てて、またペンと紙に集中した。
「もしかして〜? 自分のお名前がかっこ悪いからイヤなの〜ん? そんなこと気にして固まっちゃって、チョー自意識過剰じゃ〜ん♡」
ケラケラ笑う、少女の声。
(ああ、俺はついにおかしくなったのか……。もう早く休もう。偽名でいいや、そっちの方が短いし)
本名カイリ・グレフォリオ。だけど素性を知られるのが恥ずかしいから、カイリ・グレイと欄を埋めた。
まだまだ記入欄が残っている。今度は住所、それから未成年は保護者の名前に、身元保証になる人、等々……。
(あ、これ、ギルドの登録書も兼ねてるのか! だからこんなに個人情報を求められてたのか)
受付嬢が言った通り、書く欄は名前だけで良かったらしい。
(ああ、なんだ、良かった……)
心底ほっとした。少年には、何も明かせるものがなかった。
宿泊日数の欄に、一泊二日と書いてゆく。
本格的なボロの安宿だったら、何の記入もなしに、前払いするだけで泊めてくれた。でもこれからは、きっちりと情報を求められるときもあるのだろう……その時はどうしようかと思いながら、羽ペンをインク壺に戻した。
「書き終わりましたか?」
「あ……」
ひょいと用紙をとられて、心の準備ができていなかった少年は青ざめた。偽名でやりすごそうとした罪悪感が、胸にズシンとくる。
ブロンドまつげのカールした大きな瞳が、用紙の文字を追っていく。
「はい、ありがとうございました。それでは、料金前払いとなっております。一泊二日で、お間違いないですね?」
「は、はい……」
慣れた彼女の暗算により導き出された料金を支払い、部屋の鍵を受け取って、急いで店奥の階段を駆け上った。
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