第3話   厄介者

「なにぃ!?? 軟禁中のサイラスのもとに子供の笑い声だとぉ!!?」


 町民から慌ただしく報告された非常事態に、町長は口の中の朝食を全部テーブルにぶちまけた。ライ麦パンで挟んだ野菜がベタベタに散らばる。


「何をしている!! 急げ!! なんとしてでもサイラスと子供を引き離せ!!」


 以前よりサイラスには問題行動が多かった。幼少期は小さな動物たちを愛でる、とても優しい少年……に見えたのだが、可愛いものに対する執着が日に日に異常性を増していき、どこから民家に侵入したのやら、生まれたばかりの赤ん坊や、自我が目覚める前の児童等、勝手に運び出しては、手作りの秘密基地のような場所で甲斐甲斐しく世話を焼くという、意味のわからない不気味な事件を多々起こした。


 あまりに子供を誘拐するので、困った町長は、「動物にしなさい」と説得した。動物ならば、誰も怒ったりしないからと、始終無表情で無反応なサイラスを根気よく説得した。


 それ以来、サイラスが子供を誘拐する悪癖は減った。完全になくなったわけではないのが問題ではあったが、格段に減った。


 家畜の子豚が相当数、行方不明になったり、子猫が大量にいなくなったり、もしやと思いサイラスの数多ある秘密基地を一つ一つ虱潰しに探ると、出てくるわ出てくるわ、サイラスに愛されてすっかり人懐こくなった動物たちが。


 そんな経緯もあり、サイラスに近づく者は誰もいないどころか、どの教育機関も彼をもてあました。サイラスの両親にも、仕事に行く際は子供も一緒に連れて行ってくれと町長直々に頼みに行ったのだが、返答の代わりに、多額の現金が寄付されただけだった。事実上のサイラスの世話代だった。


 お金を受け取ってしまった手前、町長夫妻がサイラスの面倒を見る羽目になってしまったが、食卓を囲む際の彼は暗く、ほどなくして赤ん坊の誘拐事件を再発。町長の妻が心労で倒れた。


 またある時は、道端に落ちていたネズミの赤ん坊の、まだ毛も生えておらず目も開いていないのを保護して、愛でるあまりに口の中にパクリ。隣で見ていた子供らが、悲鳴をあげて逃げたそうだ。


 町長が実際に目にしたものや、耳にした悪評、そのどれもが町の大人たちの頭痛の種だった。サイラスに強く言い含めたくても、なかなかできない事情があり、それも問題に拍車をかけていた。


 今回報告された内容も、朝食を全て噴飯するほどの衝撃を受けた。サイラスに管理させている町外れの古い教会から、ケラケラと楽しげな少女の声が聞こえて、開きっぱなしの寝室の窓から見えたのは、裸で寝転ぶ寝台の上の少女と、その身を弄るサイラスの、恍惚とした横顔だったと……。


 いつか取り返しのつかない大事件を引き起こすのではないかと、心配しない者はいなかった。その最も恐れていた最悪な事件が、ついに起こってしまった。


 サイラスが、幼児こどもに手を出した。


 体格の良い男に成長したサイラスを、小さな子供が泣き叫ばずにどうやって受け入れられるのか疑問が残る……しかしあの男ならやりかねないという強烈な印象の方が勝ってしまい、少女が監禁されて歪んだ愛情の捌け口にされ続けるのを、見過ごせるかと皆が立ち上がった。


 傷付けられた少女の身を証拠に出せば、さすがのサイラスの両親も、息子を恥じるあまり、町から連れ出すだろう。


 子を持つ大人たちの心は、すぐに一つになった。



「うん、私ルルーナっていうんだよ。真名はだれにも教えちゃいけないって先生が言ってたんだけど、お兄さんへんだから、教えてあげるね」


 人間用の子供服を着せてもらい、夢魔ルルーナはご機嫌で部屋の天井付近を飛び回っていた。その体質上、極度の暑がりで、なかなか長袖を着てくれなかったのだが、下着類を一切身に付けなくて良い、と折れてみせたところ、あっさり了承してくれた。


(本当は、汗を吸う効果の高い下着だけは、身に付けてほしかったんだけどな……)


 また汗疹あせもが出てしまったら、そう思うと心配になるサイラスなのだった。


「お兄さんのお名前は?」


 サイラスは寝台に座って、コップに注いだ牛乳を飲んでいた。なかなか飲み終わらず、名前を教えてもらえないルルーナが、膝の上に着陸する。白い喉をのけぞらせて、構ってほしがる子犬のように、サイラスを見上げる。


 産毛の生えた黒い翼に、スカートの下から伸びる、トゲの生えた毒々しい見た目の尻尾。サイラスの目には、どれも魅力的に映った。


 つい撫で回して、くすぐってしまいたくなる。


 彼女が悦ぶことを、何度だってしてあげたくなる。この身が干からびようと、構わないとすら思えるほどに。


「僕の名前は――」


「サイラス! 子供から離れろ!」


 開けっぱなしの窓から、町長の怒声が響いた。


 サイラスの金色の睫毛に覆われた両眼が、ギョロリと背後を向く。


 窓の外に立っていたのは、大人五人。いつもサイラスを否定したり、叱ってばかりの大人たちだった。


「最近やたらと大人しいから、生きておるのかと確認に来てみれば……! その子はどこから誘拐してきた!? 今度と言う今度は、全てをお前の父親に話してやるからな!」


「お、お兄さん、なんか窓の外の人間が怒ってるよ。私と、いっしょにいるせいなの?」


 大慌てするルルーナに袖を引かれて、青年サイラスは、安心させるように少女に微笑んだ。


「どうして、そう思うんだい?」


「先生がね、搾取が終わったら、朝になる前に逃げなさいって言ってたの。今思い出したの、ごめんね……」


 栗毛にピンクを一匙した愛らしい髪色が、窓からの朝日に照らされている。


 武装し、着替えている青年の厚い胸板も、柔らかな朝日を受けていた。


「私、先生のところに帰るよ。人間は、仲間に嫌われて一人ぼっちになったら、生きていくのが大変になるって、教科書にあったよ」


「あの人たちは、仲間じゃないよ」


 青年はよく考えないまま口にし、少女の小さな体を、すがりつくように抱きしめた。小さな背中に、大きな手が回される。


「どこにも行かないで」


「お、お兄さん」


「大好きだよ」


 ほっぺた同士をくっつけ合って、頬擦りされる少女。人前だけど、自分も青年を抱きしめたほうが良いのだろうかと、両手がさまよっていると、青年の宝石のような緑の瞳が、いつの間にか少女のピンクの瞳を覗き込んでいて、びっくりしている少女の下唇に親指をひっかけ、口をわずかに開かせると、ふわりと唇を重ねた。


(……!?)


 少女の尻尾が、ピンと立つ。


 触れ合う舌先に、緊張して羽の産毛が逆立つ。


 窓の外で、茫然としている人間の気配が漂う。


 我に帰った町長が、少女を指差した。


「な、なんだ、その子供の容姿は!」


 町長の言葉に、それまで呆気に取られていた取り巻きもハッとした。教会の寝室に、情緒不安定な青年を飼い慣らす魔性が座っているのだ。


「子供の姿の悪魔にかしずくとは何事だ!! お父上が知ったらまた嘆かれるぞ!」


 町長の金切り声に、青年はうるさそうに眉間にシワを寄せて振り返った。


「あなた方が来ることは、わかっていました」


 一方、何一つ知らされてなかった少女は、キスは夢魔である自分からするのだと習ってきたから、先に実践されて絶句していた。


(実技でシたの、初めて……。びっくりした、まだ胸がドキドキってしてる……)


 小さな体を包んでいた大きな手が、離れた。青年が寝台を立ち上がり、その背に負った十字架型の大剣を納めた鞘が、丈夫な革ベルトにがっちりと固定されているのが、窓の外からでもしっかり見える。


 町長は、サイラスが剣と鞘を身に纏ってるのを見て、ますます混乱した。


「武装しておるのか? なら、さっさとそこのちっさいのを――」


「皆さん、今日まで僕みたいな出来損ないを世話してくださり、ありがとうございました」


 大きな剣を抜剣するには、コツか工夫がいる。サイラスの鞘は剣につるっと巻きついているだけで、手に取れば簡単に臨戦体制に移れる。


「ルルーナ、十数えるまでシーツに隠れてて。我慢できるかな」


「お兄さんは?」


「十数えたら、一緒に公園へ散歩に行こう。楽しみだね」


「う、うん……」


 不安そうにたゆたうピンクの瞳を、もう一度キスして慰めた。口内のあちこちを蹂躙されっぱなしの少女の舌先が、頑張って押し返してきて、その必死ぶりに満足したサイラスは、口を離した。


「いい子だね」


 顔までシーツをかぶせて、すっぽり隠した。


 視界を覆われた少女が、聞き耳だけ立ててみると、窓枠を飛び越えた青年の足音が遠ざかってゆくのが聞こえた。


(お兄さん、大丈夫かな……)


 無意識に口を押さえていた。初めて触れた舌先の力強さと、生温いミルクの味が残っていた。


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