蛹の見た夢、或は悪魔の事
【壱】
その日は曇り、冬の空は淀んでいる。
12月はじめの町にパトカーのサイレンが響き渡る。
静かな室内で、刺さるような気温の中、その部屋の主が苦悶の表情で倒れている。
空は今にも降り出しそうに重苦しく、どこかで少女の笑い声が聞こえた。
場所は練馬区、輸入販売会社勤務の被害者を同会社の同僚が、被害者宅内で死亡しているところを発見し通報した。
被害者はここ2、3日会社を無断で休んでおり、まじめで勤務態度もよく、遅刻なども珍しいためおかしく思った同僚が様子を見に行ったところ遺体を発見。慌ててそのことを会社に連絡し、その後救急と警察にも連絡している。
死因は急性心筋梗塞、就寝中の突然死ということだ。
「――ここまでならよくある不幸な事件ね。だけど、これと同様の突然死がここ近辺ですでに5件ほど起きているの。ね?これはもう立派な事件でしょ?」
冬も本格的になり始め、俺のトレンチコートも本来の役目を果たしている。
俺は近所の居酒屋「平坂」で飲んでいた。
「大将っ!豚のタレ壺煮一つとウーロン茶ください!あ、壺煮は大でっ!!!」
コレットが勝手に注文している。こいつ、やけに手馴れてる割には恐ろしく居酒屋が似合わないな……。
「ちょっと享一、ちゃんと聞いてるの?もう一度言うけど、これは確実に怪異か霊能者が関わってる事件なのよ。だから私がいる『超対課』に話が回ってきたの」
そう言いながら「
「何よりその被害者達が揃って同様の夢を見てるって報告も上がってきてるの。これで超常が関わってなかったら逆にそれが超常よ」
「で、俺にそれを手伝えってんだろ?どうして俺なんだ。警視庁ならお抱えの調伏師や口寄せ屋の一人や二人簡単に用意できるだろ」
葵は警視庁超常犯罪対策課、略して超対課勤めのエリートだ。俺が大学を出て、警察官僚となるべく警察学校に入ったときの同期になる。まあ俺は途中で逃げ出して音信不通となったため、結局出世からは縁遠い人間なのだが。
そんな人間と、過去の
「享一が言うように、こっちもいつもどおりの対策をしたわよ。まずはじめに調査のために呼んだ口寄せ屋だけど、見たとたん『これは私では対処できません、腕のいい調伏師か事件そのものを解決するしかないです』とか言ってすぐ帰ったわ」
俺は焼き鳥をつまみながらビールを煽る、久々の贅沢に胃が喜んでいる気すらする。
「そのあと、協力者として登録されてる中で一番腕のいい調伏師を呼んで事件があった家々を御祓いしてまわったわ。そしたら最後なんていったと思う?『祓いはしたが、元凶はどこにもいなかった。これでこの事件が収まるかどうかはわからない』よ?ハッ、東京で指折りが聞いて呆れるわ」
おいおいおい、そんな話を俺に持ってきたのか?どう考えても俺の力量不足になるだろそれ。
「案の定、昨日次の犠牲者が出たわ。それで、超常に詳しくて、捜査能力があって勘が働く人ってことでキョウイチに手伝ってもらおうと思ったわけ。わかった?」
そう言うと葵はこちらを焼き鳥の串でびしっとさした。
「わかったのはわかったが、そんな面子が匙を投げた相手を俺がどうしろって言うんだよ。俺はそっちの能力はからっきしだぞ」
「それでも今まで何度かこういった事件を解決してきた実績があるでしょ?それに奈良のときも、あの日本最強って言われてる京都の『
葵に評価されているのは単純に嬉しい。こいつは裏表なくはっきりと口にするタイプだ、これがおべっかなどではないことはわかる。
「だけれど、だ。人死がでてるんだろ?そんな事件に俺が介入して、成果を上げられずに余計被害が広がったらどうするんだ。俺は人の命に責任なんて取れない」
「そんなの私もとれないわよ。でも実際に事件は起きちゃって、どうにかできる人間は限られてるわけ。そうなったら、何もしないほうが無責任だと思わない?」
くっ、それはそうだが……。しかし俺はそこに自然と自分の命が乗せられるような場所には関わりたくないわけで……。
「さっきから渋って見せてますけど、季節と一緒に懐まで寒くなった我らが探偵事務所にそんな余裕があると思ってるんですか?せっかく、葵さんが仕事を持ってきてくれたんですから、さっさと依頼を受けるか首を縦に振ってください」
「あら、コレットちゃんいいこと言うじゃない。ね、そういうことだからいいでしょ享一、この通り、うまく解決したら報酬とは別にまた奢るから」
コレットがまた適当なことを言い、葵がそれに乗っかる。お前、さも自分が俺の探偵事務所の一員みたいな態度は何だ。……まあここ最近手伝ってもらう頻度は増えているが。
くそ、美人にここまで頼まれると俺も弱い。これくらい大丈夫かな?困ってるみたいだし。とか思ってしまう。
「だけどな、俺も――」
「そう、やっぱり遊び相手だった女の頼みなんて聞けないのね」
俺の言葉をさえぎり、葵はヨヨヨとしなだれた。
「遊び相手?ねぇ探偵さん、葵さんとどんな遊びを――はっ!?まさか私に隠れて二人で!?許せません!私もネズミの国に行きたいです!!!」
そしてその台詞にコレットが異常に反応し始める。止めてくれ、周りの客の視線が痛い。
そこかしこから、「なに、喧嘩?」とか「子供もいるのに遊びとか」とか「あの男クズだな」とか聞こえてくる。ここ近所の居酒屋なんだけど……?
大将だけはこちらの様子を苦笑いで見守ってくれている。できれば否定してください、俺の社会的立場が虫の息です。
「いや、それはその、あの時は何も言わずに悪かったけどな」
おれは言葉を取り繕うように葵に向き直る。
周りは「謝ったぞ」、「サイテー」、「やっぱりクズだな」といいたい放題だ。大将の眼差しはすでに慈愛すら感じさせるものになっている。
「でも、無理なんでしょう……?」
葵が涙目で聞いてくる。
「ぐっ……クッ、わかった……その依頼受けるよ……」
その時点で俺の心は折れた。
「ありがとう、頼りにしてるわねキョウイチ。さあ飲みなおすわよ!」
ケロッと態度を変えた葵は追加の日本酒を頼んでいる。俺は取り残された気分だよ……。
「何が何だかよくわかりませんでしたけど、多分探偵さんの自業自得ですよね?私は詳しいんです。で、遊園地のことですけど私新しくできたアトラクション乗りたいんです!」
うるせえ、お前なんでついてきたんだよ。俺に後ろ弾するためか?
「あっ、大将ー!刺身の盛り合わせくださーい!松でっ!!!」」
文句を視線に込めてみせたがコレットには一切通じず、むしろ元気に追加注文をしていた。いや、お前どんだけ食うんだよ。いくら葵大明神様の奢りだからって遠慮を知らなすぎ――
「あ、享一、私あなたの分は奢るけど、コレットちゃんの分は別よ?」
え、ナンデ?俺奢られる気満々で財布すら持ってきてないよ?
「心配ご無用ですよ、探偵さん。流石の私も死人に鞭打つような趣味はありませんから……というわけで、じゃじゃーん!秘密兵器です!」
そう言いながらコレットは財布から白金色のカードを取り出す。なんでお前そんなランクのカード持ってんだ。
「お譲ちゃん、すまねえが、ウチはそのカード使えねえんだ」
見守っていた大将がようやく喋った。まあ勘定はお店にとったら俺の社会性より大事だもんね。仕方ないね。
「……探偵さん、ゴチです!」
おい、鞭打たないんじゃなかったのか。
「享一、がんばって。財布を取りに帰るくらいは待っててあげるわ」
その後、俺は心で泣きながら事務所に財布を取りに走った。
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