【肆】

 男が部室から出て行ったあと、息をのんだ姫が声を張り上げる。


「コレット、今すぐ享一郎さんに連絡して!今起こったことそのまま言って対処方法をさがすの!これってそういうモノなんでしょ!?」


 静かな廊下に姫の声が響くと共に、彼女はすぐさま階段の方へ走り始めた。

 私は、突然のことに慌てながらも携帯端末を取り出し、履歴から電話をかける。


「わ、わかりました!でも、姫ちゃんは走ってどうするつもりですか!」


 呼び出し音を聞きながら私も廊下に出て、階段に差し掛かった姫に声をかける。


「わからないわよ!でも何もしないで待つよりはましでしょ!」


 階段を下りていき、見えなくなった姫の声だけが響く。

 電話の方はもう8コール以上なっているが、探偵さんは気づいていないのか出てくれない。


「もう、こんな時に限って役に立たないんだから探偵さんは!!」


 いつまでもつながらない電話をかけるのを止め、トークツールで探偵さんにあらましを送信しておくことにする。


『異常事態起きた 青いレインコート男 桃ちゃん狙われた 気づいたら電話』


 箇条書きだがここで長々と文章を作っている暇はない。

 携帯端末をポケットに戻し、私も姫ちゃんの後を追うように走り出した。




「大丈夫?桃、いるんでしょう!?ここを開けて、開けなさい!」


 一階にあるトイレへと到着するも、何故か先に到着していた姫ちゃんが扉を殴るように叩いている。


「姫ちゃん落ち着いて、扉が開かないのですか?」


「見てわかるでしょ!私が体重かけて押しても開かないのよ!かといって内側から押さえられてる感じもしないし、扉自体が張り付いてるみたいにピクリともしないなんて」


 姫が言うように、叩きながらも体重をかけているというのに内開きの扉は何事もないようにその場にあり続ける。


「……どう考えてもおかしいですね」


「享一郎さんはなんて言ってたの?あの人の謎知識ならこんなコトの一つや二つ知ってるでしょ!」


 姫ちゃんは扉に殴る蹴るの暴行を加えながら聞いてくる。


「あのポンコツおじさんは反応がありません。十日の菊、六日の菖蒲あやめを体現できる素晴らしい人ですねホントに」


「こんな時にふざけて――マジみたいね。ということはあたしたちで何とかしないといけないってことよね?」


 肩で息をしながら姫がこちらに振り向く。


「……そう、なりますね。でもこんな天岩戸みたいな扉どうしたら」


 頭を抱えるようにつぶやいた瞬間、何もない、誰もいない隣から声をかけられた。


「おや、お嬢様がた、こんなところでなにかお困りでしょうか?」


 突然、隣から声をかけられ、私は驚いて身を縮ませてしまう。姫ちゃんなんかすぐさま声の方向へ身を切り返し構えを取っていた。かっこいい。


「驚かせたのなら申し訳ございません。当方、お嬢様がたを驚かせる意図はなく、ただお困りのようでしたのでご助力することはないかと思案した次第でございまして」


 いつの間にかそこにいたモノは、うやうやしい声でそう告げる。

 見た目は男物のスーツを着込み、革靴を履いたどこにでもいる目立たないサラリーマンのような格好だった。

 ただ、その顔に張り付き覆い隠している布のようなものに、文字だか模様なのかわからないモノが書き込まれているのを除いてだが。


 このヒトを見ていると、どこからともなく襲ってくる寒気に、体がすくんでしまう。


「突然音もなく後ろに立っているようなヤツに、はいそうですかなんて言えるわけないでしょ?アンタもさっきの青マント野郎の仲間ってわけ?」


 さすが姫ちゃん、こんな訳のわからないうえ、見ているだけで寒気がするモノ相手にもケンカ売るなんてバーサーカーなんです?


「いえいえ、滅相もない。当方はそんな野蛮な噺などとかかわりはなく。ええ、ただお嬢様がたにご不幸があってはいけないと馳せ参じたまでで」


 そう語るそのヒトからは、感情の機微が何も感じられなかった。流暢りゅうちょうに日本語を話してはいるのに、全く心がこもっていない。


 その時、ようやくといっていいほどの間をあけて、ある記憶がよみがえった。


「ああ!あなたはあの時の!」


 私は確かに夏休みにこのヒトにあったことがある。どうしてこんなパンチの効いた見た目の人物を今の今まで忘れていたのだろう。

 このヒトとは夏休み、みんなで海に遊びに行った時に出会ったことがある。その時は私たちをこんな“異常”から助けてくれたのだ。確か名前は――


「思い出していただけましたか。そう、当方はしがない術師の『無明むみょう』です。よろしければもう一人のお嬢様もお含みおきください」


 そう言うと、丁寧にお辞儀をする無明さん。だが、その動作、言葉とは裏腹に、その声音には感情が見えなかった。


「……コレット。この人、信用していいの?」


 姫が警戒を解かないまま私に聞いてきた。


「大丈夫、だと思う。前も私と探偵さんを助けてくれたし、悪いヒトではない……と思う」


 正直ほとんど会っていない知り合いみたいな相手なので、信用できるかどうかなどわかったものではない。

 だが、このヒトからは敵意のようなものは感じられないのも事実だった。


「ほとんど予測じゃない。……まあいいわ、今は藁にもすがりたい気持ちだし、この際この上なく胡散臭い超常現象にでもなんでも頼ってやるわよ」


 そう言いながら、姫は構えを解いて扉の前から動く。


「この中にあたしたちの友達が捕まってよくわからない奴に襲われてるみたいなの。アナタ、コレを何とかできるの?」


 姫はそう言いながら扉を睨む。

 その言葉を聞き、無明は扉へ歩み寄る。


「いえ、当方はその噺が現出している異界は何ともできません」


 しかし、無明は扉を一瞥いちべつするとそう言い放った。

 その一言に、さすがの姫も動揺する。


「は?じゃあなんでアンタ出てきたのよ」


「これは手厳しい。しかし、実際当方はコレに関与できる力はありません。それ以前に、関与する余地がないといいましょうか……。コの扉は、閉じてなどいないのですから」


 そう言うと無明は数歩下がる。

 突然訳のわからないことを言い始めた無明を怪訝な目で睨みつける姫が、やはりというか、当然のように文句を言う。


「だから、それだったらあたしたちは困ってないでしょ?そんな禅問答みたいなことをしに出てきたわけ?」


「では、お嬢様がたがおっしゃっていた『扉』とやらをよくご確認ください。本当にそれは『トビラ』なのでしょうか?」


 胡乱なことを言い始める無明に、私と姫は困惑する。このヒトが何を言っているのかワカラナイ。


「そりゃあ扉に決まってるじゃない。そんなの見たらわかる……」


 そう言いながら二人で扉を振り返る。そこには、何もない“壁”がただ立っているだけだった。

 愕然として周囲を見渡すと、ここが教室群をはさんだ反対側、ちょうどトイレと左右対称に位置する場所に私たちが立っていた。


「え、なん、で」


「簡単なことです。あるものを隠すなら、同じようなものを使えばいい。木は林に、林は森に。おあつらえ向きにこの建物はどこも似たような作りをしていますよね。なら、後は少し目線をそらすだけですから」


 無明はそう語る。その勝ち誇るような口調には、やはりどうしてか感情がなにも感じられなかった。


「さて、お嬢様がたのお友達はあそこで助けを求めていらっしゃいます。この“時間”は友好の印につけて差し上げますので、どうかお急ぎを」


 無明が指さす先には、本当の扉が見える。そのことを確認し、姫と顔を合わせる。彼女も驚いた様子が抜けきらないようだが、顔を振り気合を取り戻したようだった。


「ありがとうございます無明さん!待っていただけたらお礼を……」


 そう言いながら私は無明がいた場所を振り返ったが、そこには元からそうであったように誰もいなくなっていた。


「出てくるときも、帰る時も突然なのねあの人。それでも助かったわ!さっさと行ってあの変態青マントをぶっ飛ばすわよコレット!」


 切り替えの早い姫に追い立てられるように私も走る。

 しかし、本当に私たちがいって力になれるのだろうか?探偵さんからの連絡はまだ来ていない。

 トイレへ近づくごとに悪寒が増す。また無明さんが手助けしてくれるなんて楽観的にもなれなかった。


「姫ちゃん!ここからどうするんですか!?」


 走りながら姫に聞いてみる。もしかしたら彼女になにか手があるのかもしれない。


「そんなことわからないわよ!でもこのまま放っておいたら取り返しのつかなくなることくらいはわかる!だからとりあえず殴ってみるのよ!」


 淡い期待もその一言で霧散してしまった。

 正直なところ、アレに物理が効くとは思わない。


 だが、走ることは止めない。解決策が出ないままトイレの前に到着してしまう。

 トイレには近寄るだけでわかるほどの悪寒と、冷気がちていた。


 その異常さに、私は怖気づく。――アタマがイタイ。何か、大切な何かを忘れている気がする。


 しかし、姫はソレに気付いているのかいないのか、走る勢いのままに扉に蹴りを入れた。

 大きな音とともに開け放たれる扉。先ほどまでのように、張り付いたような固さはなく、あっさりと内側へ飛ぶように開いた。


「こんどこそッ待ちなさいよ、この変質者ああああっ!!!」


 叫びながら姫が突撃する。開いた扉から、中が見える。

 扉が開け放たれたとたん、中から真冬の雪山のような冷気があふれ出す。この廊下も十分寒いが、それ以上に心が凍えるほどの冷気だった。


 中に、あの男はいなかった。代わりに一番奥の個室の前、一つだけ閉ざされている扉の前にかろうじて人とわかるような形をした暗いモヤがいた。

 ソレは奥の壁が見通せないほど暗さがあるにも関わらず、ヒトであることがわかる。いや、わかってしまう。


 アタマがイタい。ソレを直視したとたん、頭痛が一層強くなる。

 視界が明滅する。そのまま暗転し、世界が変わる。


 暗い部屋。高級な椅子。足元は石づくり。そこ一面が――血に濡れていた。

 赤い、紅い、その只中に、私は一人立ちすくむ。その手も部屋より朱く――。


 そこで私の意識は途切れた。

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