【参】桃視点
「ほんと、コレちゃんのオカルト好きも大変だよ……」
コレットがあの手の話を始めると止まらなくなるのは、もう十分すぎるほど理解していた。
だからこそそんな怖い噺が始まる前に、準備を済ませておくことが桃には最低限の自己防衛手段となっている。
「今日のは痛かったりしない話だといいけど」
桃は怖い噺は嫌いだ。テレビでやっているホラー番組や映画もまともに見ることができた試しがない。
そんな桃がどうしてこんな怖いことしかしないような部活に参加しているかというと、ただの友達付き合いというだけではない。
怖い噺以上に、コレットや姫と一緒にいる時間、空間が好きだし、好きなことをしているときの二人は何より輝いて見える。
だから、そんな彼女たちと一緒にいると自分も輝ける――変われる気がして桃は苦手な部活にも率先して参加していた。
あとは、桃自身が最近ひっそりと掲げている自分のテーマが「自己改革」だから、というものもあるだろう。
「早く戻らないと、下校時間になっちゃう」
少しの焦りからそう呟き、鏡で身支度を整る。
文化部の部室は、『部室棟』と呼ばれる校舎にかたまっている。
この部室棟は以前学校以外の別の建物だったものを利用した、これまた趣のある校舎で、不便なことにトイレの数が非常に少ない。
一番近いトイレなのだが、オカルト研究会がある2階からはそれなりの距離がある。気軽に行くことができないうえ、時間によったら混み合うこともあるのでひたすらに不便だった。
いい点は、何故かここだけ改装されているため、校舎に似合わない現代風の設備と清潔さを兼ね備えているくらいだ。
手早く済ませ、トイレから出ようと扉に手をかける。
その時、廊下を重いブーツのような足音が向かってきていることに気付いた。
少し出ていくことを
少しだけ息を殺して待つ。おそらく工事や整備の人だろう、この先にある玄関から出ていくに違いない。
足音が近づいてくる、その音は静かな冬の廊下によく響いていた。
響く足音が、トイレの前でピタリと止まる。
桃は少し混乱した、もしかしたらこのまま入ってくるかもしれない。こんなところで隠れるようにいたら変な子だと思われる。
どうしようかと思い悩んでいると、扉からくぐもった男の声がかけられた。
「……渡瀬 桃さんはいますか?」
声は、扉越しにそう聞いてくる。
「え、はい、そうですけど……」
混乱していたためか、桃は反射的にそう答えてしまった。
そう答えてしまってから、ソレが悪手だったことに気付く。
だが、その判断はもう遅かった。扉の奥からはくぐもった、こらえたような笑いが聞こえた気がした。
怖くなり、扉から離れるようにあとずさる。
もう声はなくなったが、足音は扉の前から動かない。
背中を嫌な汗がつたう、いつの間にか、トイレの中が冬の外気にさらされたように冷え込んでいた。
桃から出るのは荒い息だけで、助けを求める声さえ出せない。
いつの間にかトイレ奥の壁まで移動していたらしく、背中が壁につく。
コワイ、ただそのことで頭がいっぱいになる。逃げ出そうにも唯一の出入り口はソレがいて使えない。
助けを呼ぼうにもこの時間、周囲に人はいない。携帯電話は部室へ置いてきてしまっている。
「た、たすけっ……」
かすれた声が出る。その声を合図にしたように、目の前にあるトイレのドアがゆっくりと開き始める。
その奥に人影のようなものを見た。
ギィィ……
軋む音が響き、トイレ入り口の扉が開ききったことを悟る。
足が震える、一層強くなる冷気によるものか恐怖によるものかわからない。
トイレの中に入ってくる思い靴音が聞こえる。その音はゆっくりと、しかし確実に近づいてきているのがわかった。
口元を自分の手で押さえ、桃は声を漏らさないよう必死に耐える。
涙のたまった瞳で扉と床の間の狭い空間を見やり、足音の主がここまで来ないかどうかを確認するしかできない。
その足音は一番入り口側にある個室のドアの前で止まり、続いて扉が開く音が聞こえた。
「いない」
男の声で、はっきりとそう呟く声が聞こえてきた。
桃の隠れている個室は4番目、あと3回で自分のところまで来てしまう。
今にも叫びだしたい気持ちを必死に抑えながら、いったいどうしてこんなことになってしまっているのかどうやったら逃げられるのか必死に考える。だが、そんな考えに答えなど出るはずもなかった。
次の扉が開かれる。
「イない」
ゆっくりと、足音が近づいてくる。
自分の心臓の音が個室に響いてしまっているのではないかというくらい激しくなっている。
すぐ隣で音がする。
「イナい」
次はお前のところだ。
そう言われているような気さえした。
扉の隙間から、ブーツのような革靴がのぞく。その足は、今しがた雨や雪の中を通ってきたかのようにズブ濡れだった。
扉の前でその足が止まる。扉は鍵がしまっているためあかない、加えて震える手で力いっぱい押さえつけてもいた。
それが桃にできる精一杯の抵抗だった。
しかし、ソレは扉の前で止まったまま、開けようとするでもなくただそこに静止していた。
ソレは確実にこちらを認識していることがわかる。それは楽しむかのようにそこから動かない。
先ほどのトイレで声をかけられたときのようだ。きっとソレは、桃が声を出したり気を緩めると襲い掛かってくるに違いないと直感していた。
そのままの体制で時間だけが過ぎた。息をのむだけでも長い時間がかかるほど桃は緊張している。
その時それは起こった。数分が何時間にも感じられるような緊張で、桃の意識もすり減るように疲弊しているときだった。
いつの間にか、目を離すまいと睨むように見つめていたソレの足がなくなっていた。
それに気づいたとき、
して、しまったのだ。
「えっ?」
小さくだが、確かに声を上げてしまった。
それが桃自身の声だと本人が気づく前に、頭上から別の声がかかる。
「赤いマントが欲しいか?青いマントが欲しいか?」
男の、くぐもった声で、確かにそう聞こえた。
顔があげられない。確かに扉の隙間にソレの足はない。だが、確実にソレはいた。
「赤いマントが欲しいか?青いマントが欲しいか?」
質問が繰り返される。
こんなことになるなら、先にコレちゃんの話を聞いて似たモノの対策を教えてもらっておけばよかったと、現実逃避にも似た後悔をする。
寒さが一層強くなる。
「赤いマントが欲しいか?青いマントが欲しいか?」
この繰り返される問いが、最後の問いであることがなぜかわかる。
何か答えなくては悪いことが起こる。
そう思い、必死に出ない声を振り絞る。
「あ、」
唇が震える。振り絞った声はカラカラに乾いてかすれてしまった。
「あか――」
「――ッ待ちなさいよ、この変質者ああああっ!!!」
桃が必死に答えた声が、誰かの声にかき消される。
叫び声とともに扉が無理やり開け放たれた音が響いた。
その声は、桃がよく知る、一番信頼できる声だ。
「姫ちゃん……!」
その声を聞いて張り詰めていた緊張が解けたのか、桃の意識は暗転した。
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