【末】

「いや、違うな、『何かだったものが腐ってとぐろを巻いている』というべきかな。まあなににせよ、そこへ入るとあてられるぞ」


 コレット――いや、クロはそういいながらにやにやと笑っている。


「此方はこのくらいの陰気はや怖気はなんともないがな。お前たちは違う。忠告だけしておいてやろう、ここはかかわるだけ損だぞ」


「コ、コレちゃんどうしちゃったんですか?新しい遊びです?」


 響が突然豹変したコレットに目を白黒させている。


「大丈夫だ響、コイツはいつものコレットだよ」


 そう響に言い切り、視線を部屋に戻す。そこは先ほどと変わりない扉が廊下の蛍光灯に照らし出されていた。


「……クロ、忠告はありがたいがこれも仕事だ。何でもかんでも自分が大事と逃げていたら、俺はどこへもいけなくなるし、あの人へ顔向けもできなくなる」


 おれは決心してドアノブをひねり、玄関を開ける。中は暗いが、先ほど見た部屋だ。だが中を満たしている気配はまったくの別物で、扉を開けただけで全身に鳥肌が立つほどだった。


「フン、人間は難儀だな。自身の生命以上に大切なものがあるものか。此方は忠告した、決してこの娘をソレに巻き込むなよ?」


 そう言うと、クロは瞳を閉じる。次に目を開けたその瞳はいつもの蒼へと戻っていた。


「……あれ?皆さん、どうして私を見てるんですか?」


 コレットが我に帰り、視線を集めていることにおろおろしている。

 クロも無茶なことを言ってくれる。俺が巻き込んでいるのではなく、俺がコイツに巻き込まれているというのに。


「とりあえず、荷物は俺が取ってくるから皆はここで待っててくれ。渡辺さんも入らないでください」


「ぼ、僕はここで待ってますので」


 渡辺さんは脅えながら一歩下がる。


「えっ?何言ってるんですか享一郎さん。さっきコレちゃんが中は危ないとか言ってたじゃないですか!」


 それに被さる様に響が前に出て俺を止める。しかしこいつらや渡辺さんを危険にさらすわけにはいかない。しかし逃げ帰ってはこの件が解決するとも思えない。ならば一番怪異になれている自分が確かめることが最善だろう。


「俺は大丈夫だ響、いいからお前はここでじっと――」


「なら中に何かいるってことですよね!?これは不思議体験できるチャンス!行きましょう、今行きましょう、先乗りいいですか!?」


 響は瞳を輝かせ息巻いている。……なんだ、俺の気持ちを返してほしい。

 残念な視線を注いでいると、その響がひょいと俺の脇を抜け部屋の中に入った。


「再度おじゃましまーっす!うーん別に変わったところはないですねー」


「おまっ、何やってるんだ!話を聞いてなかったのかっ!?」


 俺は焦って響を捕まえに部屋へ足を踏み入れる。その瞬間、部屋の空気がひとつにまとまり、固まる感覚がした。

 後ろの扉が音を立てて閉じる。窓から入る町の光で、かろうじて様子は確認できた。

 そしてそこにソレはいた。いつの間にかとしか言えないほど自然にソレはいた。

 玄関を抜けた先、リビングの窓の前に立つ形で、背中を見せたままソレは天井にたたずんでいた。

 逆さになっているせいで、身長などは正確にわからないが、格好から腰を丸めた婆さんだということはわかる。

 ソレは微動だにせず窓の外を眺めるようにたたずんでいた。


「……響、いいからお前は戻れ。そのまま早く外に出ろ」


「なんでですか?何もいないのにそんなに焦ることないですよ。あ、ついでに荷物取ってきますねー」


 そう言いながら響が奥に向かう。俺はというとその婆さんから視線をはずせなくなっていた。視線をはずしたら、ソレがどうなるかわからないという恐怖感が体を強張らせる。


「あれ?何もいなかったんですか?おーい、探偵さーん入っちゃいますよー」


 その時、コレットが扉を開けて顔を覗かせる。廊下から差し込む光に、ソレの存在がはっきりわかる。


「ま、待てっ、お前も入るなっ」


 コイツまで入られるとまずい、この部屋が何なのかはわからないが、クロが忠告していたこともあり楽観視はできない。

 なんとか静止しようと無理やり体を動かす。そして、視線をはずした瞬間ソレの形が歪んだような気がした。

 だが、その静止は通らず、コレットはそのまま部屋へ踏み入れた。


「そんなこと言って、ずるいですよ探偵さん。いつも私ばかり除け者に……えっ、何人いるん――」


 そのまま糸が切れるようにコレットは倒れた。


「コレット!」


 彼女を何とか抱きとめる。呼吸はある、どうやら意識だけが飛んでいるようだ。

 くそっ、こうなるんだったらクロの忠告を素直に受け入れるべきだった……!

 コレットを抱え、部屋を出ようと踏み出した瞬間、真上にナニカの気配が固まる。


 マズイ、マズイ、マズイ……!このままだと俺も触れてしまう……!だが、気ばかり焦るが体はピクリとも動かない。

 どうすればいい?俺は何をしたら正解なんだ……?

 俺はコレットを抱く腕に力を込める、そのとき腕の中から声があがった。


「ああ、頭が痛い。此方を叩き起こすとはなんたる不遜か。忠告したはずだぞ享一郎、娘についても、だ。その上でこのような体たらく、見過ごせんな」


 コレットがそうつぶやき、その金色の瞳を開く。


「なにより、そこのお前。此方のモノに手を出すとは、見上げた勇気だ、蛮勇ともいえるが。いいぞ、その行動の代価だ、此方が直々に調伏してやろう」


 そのままクロは腕を上げ、天に向けて手を差し出す。


 ――水よ、我が手に貫く刃を


 そうつぶやくと、俺の背後に突然冷気が集まる。そのまま天井を破壊する音とともに、背後に固まっていた陰気が霧散した。


「ハッ、これで終いか。脆い、脆いなあ享一郎。其方が恐れていたものはこんなにも脆い。ソレを相手に其方は娘を危険にさらした」


 そういうクロの表情に、先ほどのような笑みはない。

 後ろの存在は消えたのに、俺の寒気は取れない。クロは怒っている。それが感覚でわかる。


「おいおい享一郎、状況が悪いとだんまりか?それはないだろう、なあキョウイチロウ?」


 クロがおれの頭に手を伸ばす。コレットの顔で、体で、だがそこに明確な害意を乗せて。


「だ、だが俺も――」


「いい、いいんだ享一郎。此方も鬼ではない。此方を軽んじてしまったことは過ぎたことと流そう。だが、だ。このことを繰り返さないように罰は必要だろう?」


 俺のひねり出したような声は、クロに消される。

 そのまま、顔を俺の首元に近付け、三日月のような笑みを浮かべた。


「――では、イタダキマス」


 クロはそのまま首筋に歯を立て、流れ出す血を啜った。

 痛みに顔をゆがめながら耐える。何より体は俺のものではないかのように動かなかった。


 満足したように、恍惚とした表情を浮かべながらクロが口を離す。


「血の契約だ、享一郎。こんどは忘れずに覚えておいてくれ、其方は此方と出会ったときに、此方と契約していることを」


 そういいながらクロは瞳を閉じた。

 そのまま目を開けることなく、コレットは寝息をたてている。


「わかってる、わかってるさ。だから俺だって必死にやっているんだ……」


 声を殺すように俺は漏らした。




 その後は簡単だ。クロが最後にあけた穴から、ソレの名は知れた。

 天井の板材と基礎、その隙間はびっしりと人間の髪の毛で覆われていたことがわかり、ちょうど穴を開けた場所には桐の小さな箱があり、中にはクロにより抉られた人型と複数の爪や歯が残っていた。クロは的確にソレの核ともいえる部分を貫いていたのだ。

 その人型には「タナベ コウ」とかかれており、最後の部分は風化して読めなかった。


 俺が考えるには、これは呪いの一種だろう。十数年前、以前住んでいた「田邊 孝治」さんを誰がしかが殺したいと願うほどに恨み、それを実行できる「呪い屋」へ頼んだ。

 ここまで大掛かりで、的確に相手を狙う方法を素人が実行できるとも思えない。そしてその呪い屋は代金と引き換えに田邊 孝治を呪殺することに成功したのだろう。


 しかしここで何か、大きなハプニングが起きた。それがいったい何なのかはわからないが、呪い屋が痕跡を残したまま手を引くとなると相当なものだ。もしかしたら、この仕事を請けた本人はもうこの世にいないのかもしれない。


 かくして呪いだけがこの部屋に残された。それが十数年の月日を越え、たまたまこの部屋を呪いの条件と合致する人間が借りてしまい、今回の事件へと発展したのだろう。


 俺はこのことを渡辺さんと、このアパートの管理人に話し、天井を張り替える工事を行う約束をとりつけ、それに立ち会った。

 すると、天井からは人間数十人分はあると見られる大量の毛髪が出てきた。なんと玄関を含め、ダクトなどを避けるようにありとあらゆる場所に敷き詰められていたのだ。


 このことを知り、渡辺さんも管理人もショックを隠せないようだったが、俺は許可をもらいこれを知り合いの神社で炊き上げることにする。

 おそらくこれでもう何も起こらないだろう事を渡辺さんに告げると、彼は何度も感謝をして帰っていった。


 響は今回の件で、自分だけ怪異を見れなかったことを大層悔しがっていたが、この一連の事件を自分の手で記事にして見せると意気込んで会社へ帰っていった。

 そして今日、その記事が載った雑誌と一緒に報酬振込み完了の手紙と、ある物が同封されて送られてきた。


「――ってのが今回の話。おかしいだろ?俺はなんで子守をしながら怪異退治なんてせにゃならんのだ?」


 俺はいつものバー「ストレンジフィースト」でとぐろを巻いていた。


「なるほど、今回はそれで呼ばれたのか」


 隣に座る了は、呆れたような、同情するような表情をしながら俺の話を一通り聞いてくれた。


「それにあの時だって俺が一人で入っていたら、クロから小言を言われることもなかったんだ。そりゃおかげで確信には辿り着けたよ、でも俺一人でも何とかなったと思う」


 そうに違いない、と俺は強くうなずいた。


「まあおかげでソコソコもらえたんだろう?スピード解決で各方面に恩も売れた、十分じゃないか」


「そうだよ、そうだけどさ。なんというか、俺はもうちょっとスマートに話を持っていきたかったんだよ。それで、このところ俺を目上と思ってもないガキ共をなんとかさ」


 机にへたり込みながら、愚痴をたれる。こんな飲みでも誘ったら来てくれるあたり、了は付き合いがいいやつだ。感謝しかない。


「もうそこは諦めなよ、あの子達の傍若無人っぷりは今更どうにかなるようなものだとはないと思う。もう割り切って懐いてくれていると考えたほうがいいんじゃない?というより、僕はそう思うし」


「そうか?そうかなぁ……壁がないといえばそうなんだけどさ、でも引いてほしい一線もあるわけなんだが……。まあ百歩譲ってそうだとして、さすがにこれはないだろ!」


 そういいながら、雑誌の入った封筒を机にたたきつけた。


「これがその記事が載った雑誌と手紙かい?」


 了が受け取り、中を開く。そこには雑誌「フェノメノン」と手紙、そして何かが和紙に包まって入っていた。


「そう、そのフェノメノンの付箋の部分が今回の記事、内容は個人がわからないようになってるが、脚色されすぎて響がヒーローみたいになってるのが娯楽作品として面白いぞ。俺の扱いが助手かパシリみたいになってるが……」


「なるほど、これだと誰も信じないのも納得できる出来だね。彼女は文才もあったのか」


「ああ、もうあいつはオカルト雑誌止めてドリーム小説でも書いてりゃいいと思うよ」


 俺は言い捨てるとカクテルを一気に飲み干す。


「手紙はあれだ、渡辺さんの感謝の言葉とかだ。ついでに振込明細書と領収書も適当に突っ込まれてたよ。そんなものよりソレだよソレ、その包み紙だよ。ほんとにあいつ何考えてんだ……」


 おれはそうぼやきながら頭を抱える。突拍子もないやつだとは思っていたが、ここまでネジが外れているとは思っても見なかった。しかも何で俺に送りつけてくるんだ。嫌がらせか。


「この包みのことかい?いったい何が……ああ、これは、嫌がらせだね」


「そうだろ?そう思うよな!?これ警察に持っていかれても文句言えないよな?」


「まあね、でも何かわかってるのも事実だし、明日にでもまた持っていくしかないんじゃない?」


 了はすぐソレを包みなおすと、封筒に入れてこちらにつき返してきた。


「はあ、俺だっていつも暇だってわけじゃねえっての。もう向こうで勝手に処理してくれよ。何で最後にこんな爆弾よこしてくんだよ……」


「まあ、今日一日はなんとか耐えるしかないね。あ、僕のうちには来ないでくれよ?そんなものをうちにいれたくないからね」


 チクショウ、血も涙もないやつめ……!親友が困ってるんだから何とかしろ!


「なんだいその目は?あー、せっかくたまたま知り合いの拝み屋から貰った護符があったのになあ、残念だけどこれはしまっておこうかな」


「睨んですみませんでした、助けてください了様」


 即座に頭を下げる俺。やはり持つべきものは友情だよな!


「仕方がないな。じゃこれは次の仕事の迷惑料ってことで、享に頼みがあるんだ――」


 なにか了が不安になる一言を添えつつ、その夜は更けていった。




 その日、深夜をまわり、もう少しで始発も動き始めそうな時間に家に帰ってくる。

 そのままソファに荷物と服を脱ぎ捨て、ベッドに飛び込む。


 今回の依頼人はたまたま合致してしまった事故のようなものだった。だが、以前すんでいた故人は実際に呪いによって自殺という形でこの世を去っている。

 ならば、彼はまだあの部屋に縛られているのだろうか?あの呪いが向いていた先、その先こそが果てだとするなら、あの部屋は呪いで――


 ああ、少し飲みすぎた。動くのもだるいし、このまま眠ろう。そう考え仰向けに寝返りをうつ。

 すると、視界の端に何か大きな影が映った。何だ?俺の部屋にそんなものがあったか?

 そう思い、眠たい目をこすりそれを注視する。


 そこには、髪の長い女が天井から立っていて――

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