【参】
渡辺さん自宅前に到着する。アパート2階、4戸並んだ部屋の右から2番目、202号室が彼の部屋だ。
時間は17時頃、日も傾き始めそろそろ暗くなってくる頃合だ。
「それで、どうしましょう……。入りますか?」
渡辺さんはそう言うと鍵を取り出す。その手はかすかに震えていた。
「ええ、頼みます。難しいようでしたら、鍵さえ貸していただけたら我々だけで確認させてもらいますが」
俺は彼を気遣い、そう申し出たが、彼は勇気を振り絞り自分もついていくと言った。
まあこんなぽっと出の赤の他人に鍵は預けないよな。そのあたり、まだ理性はしっかり働いているようだ。
彼は何とか鍵を差込み、緊張しながら重たい扉をゆっくりと開いていく。後ろで見守っているだけの俺たちも固唾を呑んだ。
彼が扉を開けきり、中が
その他に異常はなく、ただ変哲のないアパートの一室が広がる。
「油断しないでください!入ったら突然目の前に、とかやってくる奴ですからね。常に戦闘体勢で向かいましょう……!」
そういいながら、響が俺を盾にして進もうとしてくる。お前の戦闘プランが俺を犠牲にする前提のものだということはよくわかったから押すのを止めろ。
「そうですよ!何が起こるかわからないですから、備えは万全にしていきましょう!」
俺を防具扱いする人間がまた一人増えた。いや、お前に至っては俺より強いだろ止めろ。
「わかった、わかったから押すな!渡辺さん、少しあがらせてもらっていいですか?いろいろと見てみたい場所もあるので」
二人を振り払い、乱れた襟を正すと、渡辺さんに確認を取る。確認を取らずに他人のものを触るとえらい目にあうことは学習したため、しっかり活かしていく。俺はできる人間なのだ。
「どうぞ、でもいつアレが出てくるのかわからないんで、気をつけてくださいね」
渡辺さんが空けた道を、覚悟を決めて踏みだす。一歩中に入るが、いつもの“ナニカ”がいるような静かなのにざわつく感覚はしない。
そのまま辺りを警戒しつつ靴を脱ぎ、ダイニングからリビングへ入る。そこも何か変わった様子があるわけでもなく、そのまま振り返り3人を呼ぶ。
「大丈夫だ、何か気配がするということもない。とりあえず入ってきていいぞ」
3人は恐る恐るといった様子で入ってきたが、少し経ち、何も起きないと確信すると各々好きなことをし始める。
そんな中、ダメになった食材などのゴミ処理をしていた渡辺さんに声をかける。
「聞きたいことがあるんですが、一番初めに女性を見たとき、彼女はどこに立っていて、どちらのほうを向いていましたか?」
「あ、はい、そうですね……。玄関を入った僕にちょうど背中を向けている形でしたので、確かそのリビングのドアを少し行った辺り、この辺でちょうど窓を見ているような状態でした」
渡辺さんはそう言い、リビングの一番大きな窓を指差す。窓の先には似たようなアパートや民家が立ち並ぶ景色が見えた。
「そのときその女は何か言っていたり、身振りなどはしていましたか?」
「……いえ、どうでしょう。いつの間にか消えていたので実際見たのはほとんど数秒だけだと思います。その時何か聞こえたとかはたぶんありません。ただ動転していたので確信は持てませんが……」
これは話どおり、記憶に残らない程度の時間しか見ていないらしい。
「では、最後に見た男のほうはどうでしょう。女と比べて何か変わったことは?」
「こちらも見たのは一瞬ですし、何せすぐに気を失ってしまいまして……。覚えてることといえば、玄関を入ったところに出たということと、背広だったので男だと思ったくらいです。あぁそういえばひとつ、気づいたことがありました。女も男も、天井から逆さに立っていたのに髪も服も重力に逆らってました。空に重力があるみたいな感じで、僕たちと同じように立ってました」
なるほど、だから天井に「ぶら下がっていた」ではなく「立っていた」と話していたのか。
他に何か思い出すなどもなさそうだ、ここから地味な聞き込み調査といきますか。
「おい、そこの二人。人の家漁るのを止めろ。特にコレット、お前冷蔵庫の中に何があるってんだ」
「いえ、こんなネズミみたいに小さい冷蔵庫があるんだなぁって」
むしろネズミはお前だろ、そう思いながら勝手に冷蔵庫を覗いているコレットを引き剥がす。
というか、お前のとこの冷蔵庫はどうなってんだよ、一人暮らしなんてこんなもんだろうが。俺のとこのは買いだめ用に少し大きめではあるが。
「響もなんでポスターはがしてんだよ。お前らほんとに遠慮がねえな」
「どこかにお札でも貼ってないかなーと。出る部屋にはあるって言うじゃないですか!」
「なんで家主が自分で張ったと思しきポスター裏にお札があると思えるんだお前は。いいから行くぞ、次は聞き込みだ」
そのまま荷物を置かせてもらい、二人を部屋から引きずり外に出る。
「とりあえず二手に分かれて聞き込みだ。周りの状況から何かわかるかもしれないしな。コレットと響は二人で周辺住宅の聞き込み、俺は渡辺さんと他住民に聞き込みをする。いいか、くれぐれも問題は起こすなよ」
一抹の不安は残るが、さすがに響もこういった取材を任されている訳だし地域の方にそれとなく聞く技術くらい持ってるだろう。自信はないが。コレットはまあ男女より女二人のほうが警戒されないだろうからだ。ぶっちゃけこちらにいられても困るわけで、おまけだ。
俺は渡辺さんがいる分、部屋のことについて聞く分には難しくないだろう。
「じゃあそうだな……、19時まで軽く聞き込みだ。時間が時間だからそこまでの成果は期待してない、できる範囲で情報を集めよう」
「わっかりました!必ずやこの事件、このオカルトJK探偵響がズズッと解決して見せましょう!」
「オカルトJK探偵!?じゃ、じゃあ私はオカルトJC探偵として頑張ります!」
もう突っ込みどころが多すぎてしんどい。このまま何も聞かなかったことにして二人を送り出す。
二人はエイエイオー!といいながら階段を下りていった。楽しそうで何よりだが、この件を本気で困っている渡辺さんの気持ちも汲んであげてほしい。
「……では我々も行きましょうか」
「は、はい……」
とりあえずお隣さんから順に攻めていくか。大体一戸に使える時間の計算をしつつ、俺は隣室のインターフォンを押した。
2時間後、アパート前で女子組二人と落ち合う。
「お勤めご苦労。こっちはまあ、噂程度のものなら拾えたがそっちはどうだ?」
俺が二人に声をかけると二人は不敵な笑い声を上げる。
「フフフッ、聞きました?『噂話』ですってよコレットさん」
「まったく、これだからおっさんは無能で困りますわね。わたくし達を見習ってほしいですわ」
なんだこいつら。怪異に触れすぎてついにおかしくなったか?あと喧嘩は買うぞ?
「まあまあ落ち着いてください。そんな幽霊を素手で捻り殺すような顔をされても困ります。当方達はとっておきのネタを仕入れてきたのですよ!」
そう言いながら謎のポーズを決める響。なんだそれは、少しかっこいいだろうが。
「というわけで、報告はしょぼい方からどうぞ!」
コイツ、もう勝った気でいやがる……!いや、別に勝負などはしていなかったわけだが、ここまで言われると黙ってはいられない。
「いいだろう、俺も2時間遊んでいたわけじゃないんだ。プロの探偵の力、見せてやる」
まずはじめに、俺はこの2時間でアパートに現在在宅している全住人の証言を得ることができた。
そのほとんどが空振りだったが、中には興味深い話もあったわけだ。それが1103号室に住んでいる佐竹さんの証言である、「以前202号室で人死にがあったらしい」という噂だ。
どうやらかなり以前の話になるようだが、202号室で人が亡くなって騒ぎになった。といった内容である。問題はそれが噂程度の確証しかえられなかった点だ。
そしてもうひとつ、これが一番重要だ。ちょうど渡辺さんの部屋である202号室の真上である、302号室の住人の古田さんの証言である。
彼は渡辺さんの存在すら知らなかったので、今回の件では関わりないと早々に打ち切ろうと思ったが、思い出したように「最近床の軋みがひどい」と言っていた。曰く、「これといって動いたり、体重移動もさせていないのに夜になると床が軋む」といったものだ。
この話から、202号室天井に何かがあるのではないかと踏んでいる。
一人頭では少ない時間しか聞き込みできなかったが、それなりに進展できたのではないだろうか。自分としては及第点だ。
「ほぉ、さすがは本職、すこしはやりますね。ですがこちらはもっとすごいですよ!JK×JCの無限大パワーですからね、最強です」
「なんだと……?お前らごときがか?」
まずい、口に出ていた。渡辺さんもこのノリに若干引いている。
「まず私たちは近所の一軒家に住んでいる知らないおばあちゃんの家でお菓子を食べることにしました」
うぉい!!お前ら何ご近所さんに迷惑かけてんだよ!!!
「フフッ、それだけじゃないですよ。当方達、なんとそのまま2時間居座りました……!」
新手の詐欺グループか強盗かな?おばあちゃんも相手が女の子とはいえあまり知らない人間を家に上げちゃいかんでしょ……。
あと響は地味にこのキャラが気に入っているようで、先ほどからポージングを崩していない。俺がやったら明日筋肉痛になりそうだ。
「ただ羊羹とかりんとうと芋けんぴ食べながら緑茶を飲んでいたわけではありません。ちゃんと世間話で情報収集してたんです!」
彼女達の言い分はこうだ。
とりあえずアパート敷地外に出た彼女らは、まず目に付いた銀杏マークのついた車のあるお宅へ接近、他の自動車や自転車がないのを確認しインターフォンを押す。この時点で何かおかしいが、ここで横槍を入れるのは無粋なのだろう。たぶん。
インターフォン越しの声が老人だと確信した響は、「学校の課題で地域のことを調べてるんです!少しお話聞かせていただけませんか?」と声をかけ、人のいいおばあちゃんのガバガバセキュリティな玄関をあけさせることに成功。
玄関口ではあがりきらず、そこで架空の課題について説明し、実際にそのことについて聞きながらメモにとる。その時に目に付いた家財や道具を話題に上げ世間話の花を咲かす。ここまでで30分。
こんなところで話も悪いからと、おばあちゃんが部屋に上げてくれる。おばあちゃんの優しさ、プライスレス。
そして、世間話をしつつ、「課題について調べているときに近くにあるアパートの変な噂を聞いた」というところから話を広げて話を聞いてきたのだとのこと。
怖い。手口が幽霊より怖い。
「お前ら一歩間違えると犯罪だぞ……?」
「犯罪者によく間違えられるモノホンの不審人物に言われたくないです。それに私たちはおばあちゃんと友達になっただけですよ?」
「ねー。享一郎さん気にしすぎですよー」
二人は笑って答える。ああ、編集長。あんたが響を取材によこした理由がわかったよ。こいつはプロの記者か詐欺師だ……。
「それでですね、調べられたことなんですが」
その親切で優しいおばあちゃんの話では、15年ほど前、彼女の伴侶である爺さんがまだご存命だった頃、件の202号室の住人が死体で見つかったといって小さなニュースとなったとか。
はじめは調査のために警察もちらほら出入りしていたが、事件性がないと見て自殺と断定。その流れで噂もすぐに収まった。といったものだ。
自殺をした住人の名前は「
なるほど、15年も前の事件を覚えてるとなると、それほど事件がこの町でセンセーショナルで、不可解で、死んだ彼が慕われていたことがわかる。
この事件が、俺の集めた情報の噂話の正体なのだろう。
「フフン、どうです?少しは認めても――いや、看板すらあげてもいいほどだと言えるんじゃないですか?」
コレットは得意げにふんぞり返っているが、どう考えてもこいつ一人の力ではない。今回は響の取材力に負けたんだ。決してお前に負けたのではない!
「響はすごいな。さすが中小とはいえ高校在学中に内定もらえてるだけはあるな……。負けたよ」
「へへー。それほどでもありますー」
響は照れながら自慢してくる。コイツ器用だな。
「わたし!わたしもがんばりました!無視しないでくださいよ!?」
「さて、お前らのおかげでそれなりに話がまとまってきた、なんとか形をつかむことができそうだ。今日のところは時間も遅いしお暇させてもらおう」
コレットがまだ何かわめいているが知ったことではない。褒めてほしいなら俺といるときもそれくらい働いてくれ。
渡辺さんの部屋に荷物を回収しに戻る。時間は19時過ぎ、辺りは完全に日が落ちて街頭の明かりが道を煌々と照らしていた。
渡辺さんが先ほどよりも落ち着いた調子で鍵を開く。と、同時に背後の気配が変わった。
「享一郎、その部屋に何かがいるぞ」
悪寒から即座に振り向くと、コレットが金色に輝いた瞳を歪ませながら睨んでいた。
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