【弐】

「……とりあえずどうぞ、お座り下サイ」


 俺は遅れてきた渡辺さんにぎこちなく席を勧める。くそっ、なんてところを見られたんだ。女子高生に飯をたかる大人なんて信頼できるわけないだろ……。


「あの……大丈夫ですか?」


「大丈夫、大丈夫ですよ!ええ、何も問題はありません。どんな依頼でも解決して見せますとも!」


「いえ、そういう意味ではなく……何か俯いて震えてらしたんで」


 そこまで態度に出ていたのか俺は。いろいろありすぎておかしくなっているのかもしれない。

 そんなことより、こちらを心配している渡辺さんは顔色が土気色をしている上、目の下の濃いクマなど疲れている様子だ。俺なんかより大丈夫なのか心配になる。


「もういいですよね?押しますよ?押しますからね?はい、押しました!もう、後戻りできません!」


 そう言ってコレットは会話をぶった切り我慢できない様子で注文ボタンを押した。どれだけ腹が減ってるんだお前は。だがよくやった、この流れを変えてくれ!


「というか、探偵さんは注文決めたんですか?この間なんて『カマボコも肉だから焼いたらステーキだ』って世迷い言を垂れ流すくらい肉に飢えてたじゃないですか。食べなきゃ損ですよ?」


「いや、俺はいいんだ。君たちは好きに食べなさい」


 最後に余計なこと言ってくれやがったコレットに引きつった笑顔で応じる。アトデオボエトケヨ。


「ほんとにいいんですか?お金の心配なら――」


「いいんだ、俺はコーヒーを飲みにきたんだ。そう、コーヒーだ」


 響も追い討ちをかけてくる。何だこいつら、人の窮地を叩いてそんなに面白いか!だが、こいつらがこれをわかってやっていないこともわかる。俺はお前たちの今後が心配だよ……。


「騒がしくてすみません。では早速ですが、当日何が起こったか詳しくご説明お願いします」


 俺は渡辺さんに向き直り貼り付けた笑顔のまま会話を促した。これ以上こいつらのペースへ持っていかれると確実に俺の信用が地に落ちる。それだけは絶対に避けなければならない……!


「え、ええ、まあそちらがいいのでしたら。ハガキの内容は読んでくださったんですよね?あれからまたいろいろとありまして……」


 彼はポツリポツリと話し始めた。


 彼は怪奇現象に見舞われたとき、確かに脅え、それを恐れた。しかしいつの間にかその女は消えうせ、普段どおりの自室になっている。


 狐につままれたような感覚のまま、今見たものは幻か気のせいなのではないかと思い始めた。しかしはっきりと細部も思い出せる、いつしか理解できないものを見た恐怖は、未知のモノと遭遇した興奮に変わりハガキを送るに至ったという。


「その時は自分の身に起きたことなのに半信半疑でした……。お恥ずかしいことに『フェノメノン』に送るネタができたと喜んでさえいたんです。そのまま勢いでハガキを買いにいってその場で送ったしだいでして……。それが間違いだったのかもしれません」


 時間は10時を越えていた。彼が意気揚々とコンビニでハガキを作成し、備え付けのポストに押し込んで、ついでに酒を買って帰宅する。そしてドアに鍵を差し込んだとき嫌な予感がした。

 このドアを開いて、またさっきの女が同じところに立っていたら……。そう思うとドアを開ける勇気がない。


 いや、あれは見間違いか慣れない町で疲れが見せた幻に決まっている。それに、もしまた現れたとして、先ほどはすぐ消えたのだしまたすぐ消える。そう自分に言い聞かせ、恐怖を振り払うように勢いよくドアを開けた。


 目の前にはいつもの部屋、怪しいモノは何もいない。なんだ、やっぱり気のせいだったんじゃないか。張っていた気が抜け、安堵のまま部屋に入り玄関のドアを閉める。そして靴を脱ぎ、顔をあげると、目の前に天井に立つ背広を着た男の背中が。


「そのまま気を失って、次の日の目覚ましで気がつきました……。お恥ずかしいですが、それ以来5日ほど家には帰っておりません。その日のうちに荷物をまとめて近くのネカフェから出勤しています」


 渡辺さんはばつが悪そうに乾いた笑いを漏らしながら語った。


 それは誰でも怖い。自分の家、住処は自分が許した人間しか入ることのできないある種の聖域だ。そこの異変には第六感などの特殊な力がなくとも違和感を覚えるくらいには誰しも敏感になる。

 そこに見知らぬ物や人物、はたまた此の世のモノじゃない“ナニカ”がいたとなっては、安心して暮らすことなどできようはずもない。


「うへぇ、もう嫌がらせの域ですね……。ドア開けたときにいないってところに性根の悪さがにじみ出てます」


 響は眉根を寄せて本気で嫌がる。まあ基本的には怪異に性根も何もないわけだが、嫌がらせのようだという感覚はわかる。


「それはなんというか、お気の毒に。では一度その部屋を――」


「ご注文を伺います」


 俺の話に割り込むように店員が注文を受けに来る。コレットが起こした行動はどうしてこう間が悪いんだ。

 だが何も注文せず居座り続けるのも気が引ける。ここは話を区切って整理するか。


「まずはオムライスで、それからハンバーグとナポリタンと……あ、パフェも外せませんよね!」


「いや、お前絶対それ全部食えないだろ。そんなに頼んでどうするんだよ」


「勿論、食べます。でも、食べきれなかったときは探偵さんが頑張る予定です」


 えっ、俺が残飯処理する予定だったの?何それよくわからない。

 さすがに俺はこの状況でそれができる猛者ではない。


「すいません、こいつが言った注文は全部キャンセルで。お子様プレートAとパンケーキとホットコーヒー、渡辺さんはどうします?」


「あ、なら僕もホットコーヒーで」


「ではそれで」


「ちょっと!お子様ってなんですか!それに頼むならBも一緒に頼んでください!」


 ……いいのかお前はそれで、メニューに「※この料理は小学生までのお子様が対象です」って書いてあるぞ。俺はこいつの見た目で通ると思っているが。


「ではお子様プレートBも追加で、以上です」


「かしこまりました。ではご注文の確認をします――」


 ウェイターはコレットに一抹の疑念も抱かず注文を通す。まあ小学7年生みたいなものだしな。


「よく見ればお子様プレートって私の好きな物詰め合わせの最強メニューじゃないですか……しかも、おもちゃまで!」


「おー、最近のお子様ランチはこんなに種類あるんですねー。低アレルゲン……?企業努力が見えますね」


 こいつら仕事そっちのけで普通に楽しみにきてないか?はじめからほとんど期待をしていなかったが、ここまでとは……。響のお守りをまかされた岡田先輩とやらの気苦労が知れる。

 はしゃいでいる女子二人を放置しつつ、話題を戻して話を進めることにする。


「それでですね、渡辺さん。その2回目、変なモノを見た後は家に帰っていないということですね?」


「え、ええ、そうです。すぐさま着替えと大切なものだけ持って出たので。ただ買ったものを放置してきてしまったのでそれが気がかりですね……」


 やはりこれは一度見に行かないとわからないようだ。幸い渡辺さんには今日話をしてもらうためにある程度時間を作ってもらっている。

 とりあえずはその部屋へ行き、どういった場所でそれが起こっているのか確認するのが先決だろう。

 話を聞いただけでわかるような有名どころだと助かったのだが、そんなものはほいほい此方側に出てこない。出てきたとしても上手く偽装して人間社会に溶け込んでいたりするのが通例だ。


「わかりました。では食事が終わったら一度渡辺さんのご自宅へ行きましょう。現場を見たらわかることも増えます」


「あ、ありがとうございます。解決するなら僕もできる限り協力しますのでよろしくお願いします」


 おそらく彼はソレを見てからゆっくり睡眠もとれていないのだろう。ソレそのものが悪いものかはわからないが、現に彼に健康被害が出ている以上放って置くことはできない。


「いやいや探偵さん、パフェをお忘れではないですか?食後のデザートは外せない年頃なんですけど?」


「お前はいい加減立場を弁えろ。そうじゃないと次からほんとに置いてくぞ」


「そんなこと言って、いつも解決できてるのは私のおかげじゃないですか。探偵さんこそ弁えてください」


 ぐっ、なんてこと抜かしやがる……!そりゃお前に会ってからこういった事件に巻き込まれることが多くなった上、お前の力で何とかしてきた感はあるが、俺だって頑張って調査してるんだぞ!

 しかもそれを依頼者の前で言うな。渡辺さんがお前と俺を見比べて怪訝にしてるだろ!


「いやいや、そこは俺の一分の隙もない調査と推理力の賜物であって、君の行動はそれへの力添えに過ぎないよ」


 俺は大人気なくコレットの言ったことを否定する。


「でも享一郎さん、以前コレちゃんに何度か命を助けられて頭が上がらないって言ってましたよね?」


 響、お前は何でこのタイミングでそんなことを言うんだ。お前ほんとは俺に協力する気ないだろ。

 おかげで渡辺さんが疑惑から不信感に入りそうな表情になってるだろうが。


「ふふーん、やっぱり探偵さんもわかってるじゃないですか。しょうがないから今後も助けて――」


「お待たせしました、ご注文のお子様プレートAとBになります」


「わーい、ごはんだー!」


 そこで料理が運ばれてくることによりまたもや会話が寸断される。このタイミングはなかなかいい仕事だウェイター。お客様アンケートに名指しで褒める文章を書いてもいいとすら思える。


 そのまま続けざまに料理が運ばれてき、馬鹿な会話をしながら食事を済ませる。当たり前だがコレットの言う「食後のデザート」は無視し、渡辺さんの自宅へ向かうために店を出ることとなった。

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