【参】

 そして翌日、俺は昨日起きたことをまとめたメモと事務所でにらめっこしていた。

 今日はコレットがいないため、珍しく平穏で優雅な午後だ。数の少なくなったタバコに火をつけ、思考の海に潜る。

 あの後、仲村さんと交わした会話は以下のとおりである。




 夕暮れ、俺たちに先行し家への帰路につくと、雑踏に紛れて例の足音がハッキリと聞こえてきたという。

 人ごみの中、ひとつの足音など到底聞き分けることもできないというにもかかわらず、そのストーカーの足音はいつもと変わらず聞こえてきた。

 恐怖から歩調を速め、そのうち走り出すような速さになっても、その足音は一定のペースを乱すこともなく変わらぬ距離を着いてきていた。


 俺たちのことも忘れ、マンションに飛び込み、エレベーターを待つことすら恐ろしいので階段を駆け上がり、玄関の扉を開けるまでそれは聞こえていた。

 そして部屋に入るといつの間にか音は止み、息を荒げたまま座り込んでいたらしい。その後まもなく俺たちが到着したといったところだ。




 昨日、俺もコレットも、彼女を追う不審な人物など見ていない。最後は見失ってしまったが、それでも彼女と合流するのにそれほど時間はかかっていなかった。


 なによりオートロックであるはずのマンション内までついてこられていたにもかかわらず、俺たちはそれらしい人影を確認できなかった。マンション内に2基あるエレベーターもコレットが乗っていないものは停止階から動いていなかったことを確認している。階段も俺が上がってくることに気づき上にのぼろうとも、反響音を響かせず上ることは難しい。


 ここまでの状況で、人間のストーカーという「もしも」は消えたと見ていいだろう。


 そして残った可能性、正直ソレらとは関わりたくないのが本音だ。関わるうちに帰れなくなるのではないかと気が気ではないのは確かだし、何よりそこに人の論理はない。


 あるのは獣のように原始的な規則のみである。感情と、因果と、欲が支配する、ソレとは「怪異」だ。

 人でも動物でもないモノ、肉体などなく悪意や意思のみになったモノ、伝承や感情が積み重なり現れたモノ、ただそういう現象として彷徨うモノ。俺はそれらを総じて怪異と呼んでいる。


 怪異には人間社会の規則は通じない。ただ自分の形に則り行動するのみだ。それを止めるには、超常的な力でもない限り、こちらもその形にあわせなければならない。そして、残念ながら俺は“視える”だけであった。


 今回のケースはいったいなんだ?後ろをついてくる足音、姿は誰にも見えない、家に着くと消え、今のところは危害を加えてきてはいない、そしてクロの言った「獣の臭い」。


 考えを巡らす、以前読んだ祖父の書物や手記にもそういった話はあった。

 何かが憑いてくるという話は多い。それこそ妖怪、幽霊、はたまた都市伝説にもそのような存在は確認できる。

 ここで注目すべきはクロの言っていた獣の臭いだ。これにより大きく絞ることはできる。都市伝説となると難しいが、連続して出るものは予兆から段階を踏んでエスカレートするものが多く、今回はそこに当てはまらない。タブーを犯すまで同じことを繰り返すモノもいるが、それは妖怪や幽霊も違いはないので置いておく。


 幽霊だとそのまま動物霊となる。ただ昨日質問した限りだと、仲村さん自身は動物を飼っていたことも、殺した記憶も、死骸などを見たり供養したこともないという。

 怨恨でも、ただ気に入られたわけでもないというなら場所柄という線もあるが、仲村さん以前でここ周辺にそういった被害が出たと聞いたことはない。

 他者から呪いなどで憑けられている可能性もあるが、昨日周囲を確認したところそれらしい痕跡はなかった。

 彼らにもちゃんと理由はある。人間のように突然通り魔的犯行に及ぶものはいない。


 残る大きな要素は妖怪だ。これは当てはまるモノが複数いる。

 初めに話を聞いたときは、人外で音がついてくるならば『べとべとさん』や『ぴしゃがつく』かとも考えた。

 だがそこにクロの話を加えると話は別だ。あいつの言葉を信じるのならば、あてはまるものも増える。

 特に一部はほとんど同じものだが、対処の仕方が違うので慎重に判断しなくてはならない。しかしそれを判断する材料は現状ない。


 どうしたものかと頭を抱える。いっそのこと全て試すつもりでやるか?いや、リスクが高すぎる。


 その時、携帯電話が鳴り響いた。画面を見ると、そこにはコレットの名前が謎のハートマークに挟まれて表示されていた。俺はコイツを登録した覚えはない、いつの間にか勝手に登録してやがったようだ。あのお嬢様にはマナーもリテラシーすらもないのか?


 とりあえず放置するのもなり続けそうでうっとうしいので、電話に出る。


「もしもし、お前そのうち不正アクセス禁止法で訴えられるぞ」


「探偵さんの物は事務所の物で、事務所の物は助手である私の物でもあるからいいんです」


 早くも軽い気持ちで電話に出てしまった自分を呪い殺してやりたくなってきた。


「で、何のようだ?お前は今日来ないんだろ?」


「今、友達と一緒に六越本店でお買い物中なんです。なので、服のサイズ教えて下さい」


 こちらの質問にも答えず、突然わけのわからないことを言い出すコレット。電話口からは賑やかな喧騒も聞こえてくる。

 なるほど、昨日のあれは本気だったのか。本気で俺がダサいのか……。


「お前いきなりすぎるだろ。それにあれは冗談じゃなかったのかよ、いらねえいらねえ、女子中学生に服貢いで貰うとかもうただの罰ゲームだよ。気持ちだけありがたくもらっとくから何も買ってくるな」


「でも、いつもの格好の方がよほど罰ゲームみたいな見た目してますよ?せめてボロボロのダメージジーンズ(笑)くらい履き替えてください」


「う、うるさい。これは探偵のアイデンティティなんだよ。それにダメージジーンズは流行なんだぞ?俺だってその辺取り入れて少しでもおかしくないように――」


「おじさんの流行は終わってます。現実見てください。六越っていつ来てもすごいんですよ?こんな残念おじさんをも生まれ変わらせるなんて、流石高級百貨店です。まったく、探偵さんも来ればよかったのに……出不精は不健康の元ですよ?」


 言い切る前にコレットの台詞がかぶる。その上小言のようなものまでぶち込んでくるとはさては俺の母親か?

 この押さえ込むような教育が母親なら子供は歪むと確信できる。


「まず誘われてない上に、俺は今仕事中なんだが……」


 話を聞いているのかいないのか、コレットは俺の言葉を無視すると電話を繋げた状態で友達と会話を始めていた。


 いや、友達と楽しむんなら電話を切れよ……とは思ったが、勝手に電話を切ると後が面倒になるのも明らかだ。

 俺は通話をスピーカーの状態にして机の上に置く。これで作業をしながら通話もできる、便利な時代になったもんだな。


「あー、紅茶も切れてましたねー。探偵さんはすぐ百均のお茶で代用しようとしてますけど、依頼人さんにはバレバレですからね。取れる依頼も取れませんよ?ということで、ちゃんと私が買っておきます」


 それはなんだ?独り言か?それとも俺への当てつけか?


「おい、百均をバカにするな。あれはあれで美味いんだぞ」


「そもそも紅茶と緑茶の違いも分からずに飲んでいた人の台詞とは思えませんね。味の話をするならまずはその舌を交換した方がいいんじゃないですか?」


 その煽り文句に嫌な予感がし、台所に置いてあったお茶の在庫を見ると空になっていた。あいつまさか!


「あ、台所の紅茶と思われていた緑茶は回収させてもらいました。」


「あれ百均のやつだけど200円もするんだぞ!返せ!俺の200円を返せ!」


 そんな俺の叫び虚しく、コレットは悪びれもせず紅茶を購入したらしい。

 しかも、グラム単価数千円だってさ。ふざけんな、俺のメシ代より高いじゃねぇか。そもそもこの事務所にお前のティーセットがどれだけ浮いた存在なのかわかってないだろ。


「これでよし、あとは――あーニャンコだー!かわいいー!!」


 突然大音量の声が携帯から聞こえたかと思うと、続いてコレットが走る音が聞こえてきた。

 そして、数秒もせず息切れの声……前にも思ったが、こいつは体力が無さ過ぎる。これで本当に日常生活を送れるのか?


「家ではお父さんがアレルギーで飼えませんからね、今のうちに猫分を吸収しとかないと。スゥー、ハァー」


 謎の呼吸音が携帯から聞こえる。猫の精気でも吸い上げてるのか?


「おい、乙女のフリはいいのか?化けの皮がはがれてるぞ」


 コレットの荒い息遣いと共に怯えた猫の抵抗する声が聞こえてきた。おい、誰かこいつを止めろ。

 そんな俺の祈りが通じたのか、コレットの友達数人が事態を収めてくれたらしい。そのままショップから引き剥がされていくコレットの様子が電話ごしながらありありと想像できる。ありがとう、見知らぬコレットのお守り役。


「もう少し、もう少しだけ吸収させてくださいぃ――あっ、そういえばさっきのペットショップでですね」


「普通に会話を再開するお前が怖いよ」


 先程の醜態はコレットの中で無かったことになっているのだろうか、いや醜態だと思ってない可能性のほうが高いな。

 いろいろと諦めた俺はコレットに話の続きを促した。もう疲れた、あとは聞き流して終わりにしよう。


「ストーカーさんを探してた時に私が寝て――いや、ボーッとしてた時に嗅いだのと同じニオイがしたんですよ」


 こともなげにそう言い放ったコレット。


「へー、それはよかったな。って待て、お前今すごいこと言わなかったか!?」


 それを聞いていつもの軽口のように聞き流そうとした俺は、危うく椅子から崩れ落ちそうになった。

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