第6話 死の影に踊れ
「……では、今日のレッスンはここまで!!お疲れ様!!」
鏡張りのスタジオに、若々しくハリのある声が響く。
『ありがとうございました!!』
目の前に整列した生徒たちの声に、奈緒はレッスンの集中が解けて今にも飛びそうな意識を必死につなぎとめた。
疲れた――
まるで鉛にでもなったかのように重い
◇◇◇◇
時計の長針が真上を向き、定時終業のチャイムが鳴り響く。陽射しは夕焼けの赤みを帯びて眩しく、窓の外で時折なびく木の葉たちを見るに、最近少し冷たくなった風が吹いたり止んだりを繰り返している様が窺える。
そんな中、伸びをして体をほぐす者、いそいそと帰り支度を始める者。様々な同僚たちを横目に、香澄も今日最後の業務チェックを終えると、帰途に着いた。
今日はなかなかいい仕事が出来たと思う。主任に褒められるくらいに。
そんなこんなで帰り道、珍しく鼻歌を歌いながら歩く程には機嫌が良かったのだが――。
?!?!
――黒い、人だかり……なわけないな……。
よくよく見ると店の前で複数の
カスミは慌てて駆け寄ると、印を結んで女性の周りに結界を張る。ストックしている中でも強力な退魔の札を懐から取りだすと、辺りにばらまいた!!
強い浄化の魔力が籠った深紅の札が、黒く
――ギィィィィィ!!
不快な鳴き声ともつかない音を発しながら、魂食みが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
一度狙いを定めた魂食みは、獲物の魂を喰らい尽くすまで標的を変えない。故に二次被害は出ないのを見越した上での対処療法だ。
カスミは最後の魂食みの気配が消えたのを確認して、女性に駆け寄った。
複数に狙われていたためか消耗がかなり激しい。正直1分でも店に着くのが遅れていたら危なかった。僅かに残った魂の輝きはかなり弱々しく、本人に意識が戻らないことには魔法薬も飲ませられない。
こうなったら手段を選んでいられない。必死に唱える呪文に合わせてカスミがかざした手のひらから、緑色の優しい光が女性に降り注ぐ。
カスミの生命力を分け与えられて、少しずつ輝きを取り戻していく魂。削られすぎた魂を補うのは消耗が激しく、そろそろ限界かも、と思い始めたちょうどその時。
「う、うーん」
女性が目を覚ました。
「気が、つきましたか?」
はぁはぁと荒い息をつき、床にへたり込みながら絞り出した言葉に、女性は混乱した様子でこたえる。
「あ、ら? ここ、どこ……??」
「ここは困った人を助けるお店、です。何でも解決できるわけではないですが……」
「困った人を助ける、お店……?」
「あなたのような方を助ける、お店です。とりあえず中へどうぞ」
カスミにうながされるままに、女性は店の中へと入った。
少しぼーっとしている様子の彼女と、消耗している自分用に、テキパキと魔法薬を淹れる。
煎じた魔法薬が放つ柔らかい香りが、ゆっくりと店内を満たしていく。
温かく優しい魔法薬の力でみるみる回復した二人は、改めて自己紹介することにした。
55歳になったばかりの彼女はプロダンサーにして振付師。ダンスレッスンの講師もしているらしく、何人もの有名ダンサーを育て上げてきた第一人者だそうで。
そちら方面に疎いカスミには馴染みのない名前ではあったが、どうやら有名人であるらしい。
「私が教えて一流にならない子はいないわ。レッスンについてこれれば、だけれど」
そう語る彼女には確固たる自信と矜恃が見て取れた。
「凄いですね!!」
カスミから向けられる純粋な尊敬の眼差しに満足したのか、奈緒の警戒が和らいだ。
「ところで、最近困っていることはありませんか?異常なほど疲れる、とか、黒い人影のようなものを見る、とか」
カスミに言われて思い返せば、最近いやに疲れやすいし、なんだか部屋に帰ると黒い人影のようなものが見えた気がしなくも無い――部屋が暗いせいでただの気のせいだと思っていたけれど。
思わずゾッとして全身から血の気が引いていく。
「心当たりがおありのようですね。では、失礼ですが最近依存されたり恨まれるようなことはありませんでしたか?」
――!!
「感謝されこそすれ、この私が恨まれるなんて、あるわけないでしょう?!」
「そうでしたか、それは大変失礼しました」
突然激昂する奈緒を、カスミは宥めた。
「ただ、そういう事情を抱えている人ほど、襲われやすいんです」
「お、襲われる、って……さっき言ってた黒いのに?」
奈緒の顔は恐怖のあまり引きつっている。
「そうです。ですので、もしそのような事情がおありでしたら、お話いただけると対策も立てやすいのですが……もちろん秘密は厳守致しますのでご安心を」
「だから! 私が恨まれるなんてあるわけないって言ってるでしょ?!」
ガタン、と音を立てて立ち上がると奈緒は流れるような動作で踵を返す。
「助けてくださったことには感謝するけれど、これで失礼させていただくわ。ごきげんよう。もう二度とお会いすることはないでしょうけれど」
そう言うとカスミが声をかける間もなく、さっさと店を出ていった。
しかし。恨まれてなどいない、と言いきった彼女が、ほんの一瞬見せた表情を見逃してはいなかった。
――なにか恨まれる心当たり、あるんだな――
そう直感した。
(少し調べてみよう)
本人が非協力的だからといって、魂食みに狙われている人を放っては置けない。そのまま放置したら間違いなく彼女は死ぬ。それを見過ごせるほどカスミは薄情者ではない。
かと言って本人の協力がない以上、調査は難航するかもしれない。それでは救いようもないのだったとしても。
「助けてみせる!!!」
彼女もまた救いようのないお人好しなのかもしれなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます