エピローグ

 JRの車内は、通勤ラッシュという事もありまさにすし詰め状態だった。ワイヤレスイヤフォンからは、八十年代から九十年代初頭のハードロックヒットチャートが流れている。満員電車のストレスを吹き飛ばすのならば、ハードロックが良いというのが早坂の持論だ。

 使用しているイヤフォンは、ノイズキャンセリング機能が付いているため外の音も問題なく聞こえる。ボリューム調整や一時停止、早送りなどイヤフォンを触るだけで操作できるため、安心して両手でつり革がぶら下がっているバーを掴むことが出来る。

 森口との一件が有ってから、早坂は必ず両手でつり革の輪っかではなくその上のバーを掴むことにしている。

 今日は、入院している妹が一時帰宅が出来る事になったため、迎えに向かっている所だった。やはりたまには外に出たり、家や思い出の場所に行く事で快復に向かうかも知れない。

 そんなことをぼんやりと考えていると、女子高生が潜り込む様に早坂の前に後ろ向きで立った。

 そして、そんなタイミングでイヤフォンから聞き覚えのあるギターリフが流れて来た。ランカー君が登場する際に流れた曲。

 デスゲームの記憶が蘇り、思わず冷や汗をかく。


 あのデスゲームの後、早坂は自宅のベッドで目を覚ました。まるで何事も無かったかのように。

 実際鏡で左目の眼球を確認してみたが、QRコードは見つけられなかった。そして、手鏡を利用して何とかうなじの部分も見てみたが、埋め込まれたものはさっぱり綺麗に消えていた。

 だが、階段から落ちた時に少し擦りむいた手の平の傷痕は残っていた事から、完全に夢などではない事は分かった。

 それは、銀行口座に振り込まれていた金についても同様だった。貯金など無いに等しい口座だったが、残高は三億円を超えていた。所得税が怖くて一気に使う事は出来ないが、とある調査のために少しだけ使う事にした。

 用途は、浮ヶ谷と森口の事を調べるためだ。依頼先は、森口が浮ヶ谷の事を調べたときに使った興信所に依頼することにした。どの興信所を使ったのかは、死ぬ間際に森口が教えてくれていたので、直ぐに依頼することが出来た。

 そのため、浮ヶ谷については一部調査済みという事もあり、当初より費用は安く済んだ。勿論森口については正規の値段を支払ったが。

 結果から言うと、まず二人とも行方不明との報告を受けた。それについては勿論想定内だった。早坂は二人が既に死んでいることを知っているからだ。

 二人の今までの生活や交友関係を調べれば、今回のデスゲームについて何かわかるかも知れない、そう思い調べる事にした。ただ、調査の依頼をする時には、その理由は伏せたが。

 森口は死ぬ間際、自分の後悔を語っていた。

 友達に誘われ、お金に目がくらみ闇バイトに手を出してしまった事。一度始めたら、個人情報などを握られていて抜け出せなかった事。本当は痴漢の冤罪なんてやりたくなかった事。むしろ、あなたは命の恩人だ。早坂はそう言われた。

 どういう事かと尋ねると、小学生の時に電車で助けてくれたことが有る、という事だった。

 話を聞いていくうちに早坂はその事を思い出した。

 

 早坂がまだ高校生だった頃、電車で通学していたある日のことだ。途中の駅で小学生の女の子が乗ってきた。その女の子は勉強熱心なのか、テキストを読みながら電車に乗り込み、乗ってきた方のドアが閉まると、その真ん中にランドセルごと背中を持たれかけさせた。次の駅では反対側のドアが開いたため何事も無かったが、早坂はその様子を音楽を聴きながらぼんやりとみていた。

(もしあのままあの子が本に夢中でドアが開いたら、後ろに転倒するよな)

 そして、次の駅は早坂が降りる駅で有り、まさに女の子が背中を預けている方のドアが開く。

(声をかけようかどうしようか。扉が開く前に女の子が気付いてくれれば良いんだけど……)

 残念ながら、周りの乗客も女の子のその状況に全く気付いていない。それに、声をかけるのも恥ずかしいし、不審者と思われても嫌だ。そんな思いが早坂の中にはあった。

 やがて、車内には駅に着く事を知らせる車内アナウンスが流れ、電車もゆっくりと減速していく。だが、まだ少女は気付かない。

 そして、電車が駅のホームへ入り、いよいよ停止する寸前になっても勉強に集中しているのか、少女は動かない。

 ついに、電車が完全に停止し、少女がもたれかかっているドアが開いた。

 驚いた表情を見せ、少女の身体が後ろへ傾きバランスを崩しかけた刹那、早坂は素早く手を伸ばし少女の右腕を掴んだ。グイッと車内の方へ軽く引っ張り、バランスを立て直させると、そのまま振り返らず、少女に一言もかけることなく、自然な動作で電車を降りて行った。


 その時の少女が何と森口だったのだ。

 森口は礼を言いたかったそうだが、何事も無かったかのように早坂が行ってしまったため、それが叶わなかったらしい。しかも、たまたまいつもと違う時間、車両に乗ったため二度と早坂を見つけることが出来なかったと言っていた。だが、カバンに付けていたキーホルダーだけは覚えていたらしく、冤罪のターゲットとして指定された男がその時と同じキーホルダーを付けていて戸惑ったとの事だった。

 確かに早坂はキーホルダーを付けていた。しかもそれは市販のキーホルダーではない。妹が早坂の誕生日に作ってくれた世界に一つだけのキーホルダーだった。だから、他の人が持っている事はあり得ず、見間違うはずもない。

 その事実を知った早坂は、もはや森口を恨むことなど出来なくなってしまった。確かに自分を嵌め、人生をめちゃくちゃにした相手だ。だがどうだろう。ずっと探していた恩人とやっと再会できたと思ったら、その男を罠に嵌めなくてはいけなかった彼女の気持ちは。とても苦しかったに違いない。裁判でも必死にウソの演技をしなければならなかった森口の思いを想像すると、単純に恨む事は出来ない。

 それは、興信所の報告を聞いても同じだった。

 高校入学後に父親が浮気の末離婚。母子家庭となった後、母親は新しく出来た彼氏と遊び惚けており家事などは一切やらなくなったらしい。最低限の学費は出してもらえてたらしいが、お金もまともにもらう事が出来なかったみたいだ。

 そこで魔がさして、楽して稼げるという甘い言葉に誘われ闇バイトに手を出してしまったそうだ。


 浮ヶ谷については、早坂の持っていたイメージとは全く正反対の報告が上がってきた。

 お嬢様育ちで真面目、悪い事などと無縁な世界に住んでいると思っていた。だが実際は、地元の不良グループとつるんでいたり、影でクラスメイトの一部女子に陰湿ないじめを行っていたとの事だ。

 確かに早坂の初恋の人ではあったが、それはあくまで一目惚れで、容姿が好みだっただけだ。始めは『いいなぁ、可愛いなぁ』と思ってはいたが、一緒のクラスで過ごしていくうちに『あれ? なんか違うな』と思うようになっていた。それに、自分が好かれていないと感じてしまったのも、気持ちが冷めてしまった要因なのかも知れない。

 そして森口が言っていた通り、その不良グループの彼氏経由で石黒に早坂の姉を襲わせた。

 浮ヶ谷の家庭環境も最悪だった。父親は銀行員、母親はピアノ講師とそれだけで見ると育ちの良さは想像に難くないが、浮ヶ谷の事は無関心だったそうだ。三つ上の兄が居たそうだが、そちらばかりを過保護にし、浮ヶ谷はいつも冷たくされていたらしい。

 浮ヶ谷本人は、そんな両親にかまって欲しくて非行に走っていたのかも知れないが、高校卒業と同時に縁を切られてしまったらしい。数々の非行が、親の信用が下がる事など、世間体を気にしての判断だったそうだ。

 そう言った点では、多少同情を禁じ得なくは無いが、姉に対して行った事は到底許すことは出来ない。

 

 病院について一時帰宅の手続きや準備を済ませると、車椅子が乗車可能なタクシーを使って家に帰った。人の多い電車やバスなどの公共交通機関を利用するのはまだ難しいだろう。

「さぁ澪、着いたぞ。どうだ? 久々の家は」

 車いすに乗った早坂澪は、虚ろな瞳で玄関のドアを見つめるだけで、特に何の返事も無い。早坂からすればもう慣れっこだった。基本、終始心ここにあらずと言った感じでぼーっとしており、話しかけても何のリアクションも無い事がほとんどだ。

 身体には何も問題はなく、歩くことは出来るのだが、無気力状態でいることが多いため普段は車椅子を使用している。

 車いすを押しながら玄関前のスロープをのぼると、扉を開け中に入る。一か所だけ椅子の無いダイニングテーブルの前に停め、食事の準備を始めた。病院では全然食事をしない、とのことだったので少し心配だが、自分の手料理なら食べてくれるかも知れない。

「ごめんなー、すぐ作ってやるからね」

 そう言って作り始めたのは、インターネット動画でバズっていたタマゴサンドだ。いわゆる普通のタマゴサンドとは違い、カリッと焼いたベーコンと、チーズ入りオムレツを六枚切りの厚いパンで挟んだものだ。

 料理が完成すると、ホットコーヒーと澪の好物である金平糖の入った瓶をテーブルに置く。

「いただきます」

 早坂は澪の向かいに座り、一人食べ始める。

 もはやこれは慣れっこだった。普段ボーっとしていても、唐突に食べ始める事があるのだ。ただ、そのタイミングがいつなのか分からないため、気長に待つしかない。

 早坂は、食事をしながらデスゲームで起きたことを話し始める。おそらく友人や周りの人に話しても到底信じてもらえないだろうし、もし自分が言いふらしている事を運営側に知られたら命を落としかねない。その点、澪ならば安心できた。聞いているのか聞いていないのかは全く分からないが、運営に伝わる事は無いだろうし、信じてもらえずとも聞いてもらうだけでも構わない。

「いや~、この間さぁ、散々な目に遭ったんだよ。目を覚ましたら知らない遊園地の廃墟にいてさ、そこでいきなりデスゲームをやれっていうんだよ。意味わかんなくない?」

 タマゴサンドを頬張りながら続ける。

「中学の同級生だった浮ヶ谷もいるし、俺の事を痴漢に仕立て上げた森口って女子高生も参加してたんだよ」

 澪の眉毛が少しだけピクリと動いた。

「しかもそれだけじゃないんだよ。俺たちを不幸にした連中が同じゲームに参加しててさ、んで俺が最終的に残ったってわけ」

 ズズッとホットコーヒーを飲み、タマゴサンドの残りを胃に流し込む。

 そして、デスゲームのルールやランカー君の事、舞台となった場所や顛末を妹に語り掛ける。

「……スベスベマンジュウガニ」

 ぼそりと澪が呟いた。

「えっ?」

 早坂は突然のその言葉を聞き取れず、思わず聞き返した。

 だが、同じ言葉は澪の口からは出てこなかった。そこから聞こえてきたのは別の言葉、質問だった。

「それで、お兄ちゃんはそいつらの事、殺したの?」

 突如目の光を取り戻した澪が、真っすぐな瞳で早坂に問う。

「い、いや。俺は一切殺していない。お前を、殺人者の妹にしたくなかったから」

「そんなの、あたしを言い訳にしてるだけじゃん!」

 テーブルに置いてある金平糖の瓶を唐突に掴み、地面に叩きつけた。

 床一面にカラフルな金平糖が散らばる。

「どうして!? 散々あたしたちを苦しめた奴に復讐する事が出来たのに。何で殺してくれないのよ。もう……殺すことが出来ないじゃん……」

 そう力なく俯くと、ゆっくりと立ち上がった。そして、フラフラとした足取りで自分の部屋へ歩いていく。

「お、おい。澪!」

「うるさい。しばらくほおっておいて」

 そう、静かな怒りを携えて澪は部屋へ引きこもってしまった。


 床に散らばったガラス片と金平糖を片付け終えると、ふと手付かずなタマゴサンドを見る。

 しばらくほおっておけと言われたが、部屋に持って行ってやろうと早坂は思った。なにせ、久しぶりに正気を取り戻し会話をすることが出来た。タマゴサンドを部屋へ持って行き、せっかくだからもう少し話しがしたかった。

 料理の乗った皿を持ち、澪の部屋のドアをノックする。

「澪? せっかくだからタマゴサンドを食べてくれよ」

 だが、返事は無い。

「澪、開けるぞ?」

 それでも返事は無い。ドアに耳を当ててみるが、物音が一切聞こえない。

「いいか? 開けるからな?」

 少し大きめの声で警告した後、早坂はドアを開けた。そして、目に飛び込んできた光景に思わず手に持っていた皿を落としてしまった。

 部屋の真ん中。宙でユラユラと揺れる澪の身体。

 足下には異臭を放つ液体が溜まっている。

 早坂は膝から崩れ落ち、声にならない叫び声をあげた。

 

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QR 玄門 直磨 @kuroto_naoma

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